平野啓一郎×武田砂鉄 対談載録 作家の思考、その背中 『考える葦』(キノブックス)と『ある男』(文藝春秋)を巡って|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年11月9日 / 新聞掲載日:2018年11月9日(第3264号)

平野啓一郎×武田砂鉄 対談載録
作家の思考、その背中
『考える葦』(キノブックス)と『ある男』(文藝春秋)を巡って

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第6回
序の効果、作家と物語と読者の距離


武田 
 『マチネの終わりに』も『ある男』も、毎日更新のメール配信が試みられていましたね。自分の長編小説が短いブロックで読まれることに、抵抗感はないのでしょうか。
平野 
 配信方法は、周囲の人が知恵を絞ってやってくれていることで、そこは任せて、僕自身は小説を書くことに集中しています。 ただ『マチネの終わりに』のウェブ連載が終った後に、「マチネロス」と言って、寂しがってくれた読者が結構いたんですね。毎日同じ時間に配信していると、習慣になるのだと思うんです。物語が終った寂しさだけでなく、歯磨きして、顔洗って、服着て、『マチネ』を読むという、習慣の一つが失われた寂しさ。
武田 
 NHKの朝ドラもそうですね。
平野 
 そんなふうに、毎日少しずつ楽しむ、それも現代の読者の、一つの読み方ではないかと思います。
武田 
 これまで小説家の方にインタビューした際、何度か「これまで聞かれて嫌だった質問はありますか」と聞いてきました。その返答で多かったのは、小説の内容について、「これはあなたの体験ですか」と聞かれること。平野さんはむしろ『ある男』で、小説の序に作家の「私」を登場させ、この作品世界は平野自身と重なりあっていますよ、と見せていますよね。
平野 
 十九世紀、バルザックは小説を新聞連載し、同時にサロンで自作を朗読してみせて、あぁこの小説はこの人が書いているんだな、と。それは作家と物語の関係が可視化される世界でした。印刷、出版、流通が強大化していくと、時間も距離も作家から遠く離れた読者が小説を読むようになり、その距離が作家を神秘化していきます。

ところがインターネットの登場で、作者と読者の距離感が狭まり、いまは再び、「平野の書いたこの小説」という、作者と物語の関係が可視化された状況に戻っていると思うんです。そうであれば「僕がこの本を書いた作者ですが」というところから物語を書き起こすことが、機能するのではないかと思っています。

それから序については、僕が影響を受けている、一九世紀から二〇世紀初めぐらいのオーセンティックな小説には、序文がついている名作が多いんです。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とか、サルトルの『嘔吐』だとか。『マチネの終わりに』を書く前に読んだ、マルグリット・ユルスナールの『とどめの一撃』には、本当に見事な序文が付いていて、自分もその感じで書きたいな、と思いました。

好きだから、というのが一番の理由ですが、序にはいろいろな効果もあると思うんです。一つは、読者が長い導入を楽しめないいま、編集者は、読み始めから面白い話にしてください、と注文する。起も承もいりません、転転転転結で、みたいなことを言われがちなんですよ。でもいやしくも「純文学」ですから、少し静かに始めたい。

例えば『マチネの終わりに』のコンサートのシーンは、はじめて蒔野、是永、早苗、洋子という登場人物たちが出て来るわけですが、見知らぬ人物たちに、読者はそれほど興味をそそられないでしょう。でも序文で、これは蒔野と洋子という人の愛の物語ですよ、と一言書いておくと、読者は導入部の動きがゆっくりでも、楽しめるのだと思うんです。あ、蒔野が出た、と登場自体に注目できる。そういう意味では、物語を静かに始めるために、序文を付けるという効果もあるのかなと。
武田 
 長い導入に耐えられない、象徴やほのめかしが受け取られない時代だからこそ、序が、より強い存在感を持ってしまう可能性はないのでしょうか。もしも、映画『万引き家族』の冒頭で、「えー、この映画を撮りました是枝です」と出てきたら、引いてしまいますよね。映画と小説の機能は違うだろうけど、作者本人が最初に登場することによって、作品の枠組みが規定されてしまうリスクはないのでしょうか。
平野 
 面白い指摘ですけど、映画はその手法を取ってこなかったし、小説にはその手法が有効だったということですよね。映画に監督が出てくるのは、確かに生々しい。 
武田 
 映像ですしね。
平野 
 でも小説の序文に出てくる作者は、虚実が抽象化されているから、どこまで本当でどこからフィクションなのか、結局分からない。そこがいいのだろうと思います。

実は、最初の原稿ではあとがきも書いているんです。でも結局余計だと感じ、没にしています。大概、名作に序文はあるけれど、あとがきはない。たぶん文学にとって、あとがきは不必要なものなのだろう、と思うんです。
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この記事の中でご紹介した本
透明な迷宮/
透明な迷宮
著 者:平野 啓一郎
出版社:
以下のオンライン書店でご購入できます
考える葦/キノブックス
考える葦
著 者:平野 啓一郎
出版社:キノブックス
以下のオンライン書店でご購入できます
ある男/文藝春秋
ある男
著 者:平野 啓一郎
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
マチネの終わりに/毎日新聞出版
マチネの終わりに
著 者:平野 啓一郎
出版社:毎日新聞出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「マチネの終わりに」出版社のホームページはこちら
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