メモを読む時、幽霊は空虚に出会う デヴィッド・ロウリー「ア・ゴースト・ストーリー」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年11月13日 / 新聞掲載日:2018年11月9日(第3264号)

メモを読む時、幽霊は空虚に出会う デヴィッド・ロウリー「ア・ゴースト・ストーリー」

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デヴィッド・ロウリーの『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』では、男が突然の事故死の後、幽霊となって甦る。妻への愛が現世への未練となったのだ。男は妻と幸せな生活を送った家に帰り、残された彼女を見つめる。妻は悲しみに打ちひしがれ、台所の床に座り込んで食事をし、その様子が固定ショットの四分間の長回しで示される。ローアングルによるスタンダードサイズの構図や、昼の薄暗い室内の照明が上手い。語りという観点から見れば著しく非効率的なショットだが、幽霊にとっては、妻の自分への愛を確かめる貴重な時間に相当する。けれども時は流れ、彼女にもやがて新しい恋人ができる。女は家を出て行くが、幽霊は家に残る。女を追ってももう幸せは得られず、幽霊は彼女と愛を育んだ家に残るのを選ぶのだ。こうして幽霊は家という空間に囚われた存在となる。そこには鍵となるささやかな対象がある。女が家を去る前に残したメモだ。紙片に何かを書き、柱の隙間に埋め込んだのだ。小さい頃から、彼女は引越しのたびにそうしたメモを残してきた。後で戻ってきた時に、そこで過ごした幸せな時間を思い出せるようにと彼女は言う。幽霊はメモを取り出そうと、柱の塞がれた隙間を指でこする。居住者が替わり、夫婦が住んでいた頃の面影がなくなっても幽霊はこの家を決して去ろうとしないが、この行動にはメモの存在が大きく関わっている。

ところで、家の新たな居住者たちの一人に無神論者の男がいる。幽霊が出るという家に平気で住めるのは、まさにこういう人物だろう。彼が人生の無意味について長々と語る場面が興味深い。長短様々なショットを混ぜるカット割りや、俳優の演技が秀逸だ。男は語る。人間は皆いつか死ぬ。音楽や本が残り、後代へ受け継がれていく。だがいつの日か地球の滅亡が訪れ、全ては失われる。この無神論者にとって人生や宇宙の存在に意味はない。ただしもし神がいるならば、神が創造した宇宙にも人間の命にも意味があるだろう。

では、幽霊にとって現世に留まることの意味とは果たして何か。それはいつの間にか妻のメモを中心に構築され直している。家がなくなり幽霊が開拓時代に遡っても、そこで見出されるのは、やはりある少女が石の下に隠す手紙だ。幽霊はそれを見て妻のメモを思い出さずにいられない。幽霊がメモを読みたいと願うのは、幸せな時間を思い出すためではない。そうした時間をよく覚えているし、追体験することさえ可能だからだ。幽霊はメモを読むことで、そんな幸せな時間にさえ欠けていた何かを得ようとするのだ。しかし、メモに書かれているのは、記憶を蘇らせるためのまじないか詩にすぎない。たとえ詩であってもその内容に意味はほぼなく、妻の隠された秘密が書かれている訳では決してない。メモは実のところ読まれる必要のない手紙であり、かつてそこに女が住んだことを示す純粋なマークにすぎない。このメモを読む時、幽霊は空虚に出会う。彼が築き上げる象徴秩序の中心に空虚があるのだ。欲望の中心に空虚を見出す時、幽霊は現世に留まる意味を失う。では、この主体は来世へ旅立つのか。それとも消失して無と化すのか。ともかく、神のいない世界では、生きる意味も芸術の価値も根源的な空虚のまわりに築かれている。

今月は他に、『アンダー・ザ・シルバーレイク』『おまえ次第』などが面白かった。また、特集上映で観たマリアム・ハチヴァニの『デデの愛』も圧倒的に素晴らしかった。
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