「芸術」をつくった男 書評|イングリッド ローランド(柏書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年11月10日 / 新聞掲載日:2018年11月9日(第3264号)

ヴァザーリの生涯と功績を網羅 
「最初の美術史家」の功罪両面を論じる

「芸術」をつくった男
著 者:イングリッド ローランド、ノア チャーニー
翻訳者:北沢あかね
出版社:柏書房
このエントリーをはてなブックマークに追加

でも喧嘩するのはもうやめにしようや、
なあ、ルクレーツィア、お願いだ、もう一度堪忍してくれ。
さあ腰をおかけ、これからはなんでも君の思い通りにしてあげる。
顔はこちらに向けたけれど、心もこちらに向けたかい?


―ロバート・ブラウニング『男と女』より。ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』(白水社)に所収(平川祐弘訳)





19世紀イギリスの詩人ロバート・ブラウニングが、1885年に出した詩集『男と女』の中で、「アンドレア・デル・サルト」という長詩を書いている。アンドレア・デル・サルト(1486~1531)はルネサンス後期のイタリアの画家で、詩のなかで妻ルクレツィアに向かって語りかけるスタイルがとられている。夏目漱石はおそらく英国留学中にこの詩を知り、帰国後ほどなく書いた処女作『吾輩は猫である』の中で、登場人物にアンドレア・デル・サルトの名を語らせている。そのため明治末期の日本では、画家アンドレアの名を、たとえ作品を見たことはなくとも知っている人が多くいた。

ブラウニングがこの詩を書いたのは、ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574)の『美術家列伝』を読んで触発されたためだ。ヴァザーリはアンドレア・デル・サルトの弟子であり、師の死後に伝記を書いて『列伝』に入れた。アンドレアは大工房をかまえて数多くの注文をこなすだけでなく、当時はミケランジェロに次ぐ高い評価を得ていた。

しかし、詩中のアンドレアのへたれっぷりはどうしたことだろう。一大流派を率いる領袖とも思えないが、ルクレツィアのことは弟子ヴァザーリも書いている。「高慢で気位が高く、しかもいろいろな男に言い寄られると色目を使う、すこぶるあだっぽい女であった。女は多くの男を夢中にさせたが、その中に哀れなアンドレーアもまじっていた」(同前)。

ずいぶんと辛らつな批判だが、驚くことに、ヴァザーリがこの書を出版した1550年当時、師はすでに亡くなっていたが、その妻はまだ生きていた。さすがに兄弟子たちから諫められたのだろう、1568年に出した増補版ではこのあたりの記述はすべてカットされている。それでも後にブラウニングが詩に詠い、明治の日本人までがアンドレアの名を記憶したほど、ヴァザーリの『列伝』は絶大な影響力を持っていた。彼は画家や建築家としても成功をおさめたルネサンス型万能人のひとりで、とくに『列伝』はジョットからミケランジェロにいたる芸術家の伝記集で、同時に優れた美学理論書でもあり、後に多くの類書を生んだ。彼が「最初の美術史家」と呼ばれる所以である。

ヴァザーリに関する論文や研究書は数多い。しかし、彼の生涯と功績を網羅的に紹介した一般書はこれまでなかった。イングリッド・ローランドとノア・チャーニーによる『芸術をつくった男』は、そうした欠落を補って余りある一書である。書簡などの膨大な同時代史料から丁寧に再構成された彼の人生は研究資料として一流のものであり、しかも読み物としての面白さがある。晩年に視力が落ちて、友から眼鏡を送ってもらった逸話など、恥ずかしながら評者は同書によって初めて知った。その一方で、彼がフィレンツェ派ルネサンス美術を称揚するあまり、後世の美的基準に偏見を作ってしまった点など、功罪の両面ともに論じる冷静さも失っていない。これを機会に、ルネサンス時代そのものが持つ魅力と、美的基準がどのように形成されていくかといったことがらが、日本でより深く理解されていくよう願っている。(北沢あかね訳)
この記事の中でご紹介した本
「芸術」をつくった男/柏書房
「芸術」をつくった男
著 者:イングリッド ローランド、ノア チャーニー
翻訳者:北沢あかね
出版社:柏書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「「芸術」をつくった男」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
池上 英洋 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
芸術・娯楽 > 芸術学・芸術史関連記事
芸術学・芸術史の関連記事をもっと見る >