的場昭弘×白井 聡 レーニンマルクスNight☆ Part2 『カール・マルクス入門』、『新装版 新訳 共産党宣言』(作品社)同時発売記念|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年11月13日 / 新聞掲載日:2018年11月2日(第3263号)

的場昭弘×白井 聡
レーニンマルクスNight☆ Part2
『カール・マルクス入門』、『新装版 新訳 共産党宣言』(作品社)同時発売記念

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作品社から、的場昭弘著『カール・マルクス入門』『新装版 新訳 共産党宣言―初版ブルクハルト版(1848年)―』という、マルクスにまつわる二冊が上梓された。これを記念して十月六日、イベントスペース「読書人隣り」で、著者でマルクス経済学者の的場昭弘氏と思想史家の白井聡氏によるトークイベントが開催された。ロシア革命より一〇一年、『資本論』より一五一年、そしてマルクス生誕二〇〇年の今年は、映画「マルクス・エンゲルス」の公開など、人間・マルクスと『共産党宣言』『資本論』を再評価、検証する動きが活発になっている。

マルクス学の提唱者として研究書から啓蒙書まで多くの著書のある的場氏、若手の論客として活躍し、『増補新版 「物質」の蜂起を目指して レーニン、〈力〉の思想』(作品社)をはじめ、『国体論』など旺盛な執筆活動を展開する白井氏のお二人が、レーニンとマルクスの思想を語り合った。(編集部)


この記事は2018年11月2日公開の記事のWeb限定の続編です。
レーニンマルクスNight☆ Part1
目 次

第1回
マルクスの読み方、古典の力 


的場 昭弘氏
的場 
 今、白井さんから『資本論』の読み方についてお話しいただいたのですが、今年私は『最強の思考法 「抽象化する力」の講義』(日本実業出版社)という本を出しました。そこで書物の読解法について触れています。その基本とはユダヤ教の解釈学(ミドラーシュ)なのですが、三通りの解釈法が書いてあります。一番目は字義通りその時代の意味として読み込む。これはごく一般的に行われている方法。二番目は、未来はどうなるかという、未来志向型、預言型に読む。一種革命の書、啓蒙書として読む。三番目にはレトリックとして読むという方法です。そこに聖書を聖書らしく、宗教を宗教らしくする解釈法がある。『資本論』がこのように継続して読まれている最大の理由は、ああも読める、こうも読めるといろんな読み方があるからです。先ほどマルクスの『資本論』の包摂の話がありましたが、文化的な意識の再生産というところまでマルクスの本を読み込んでいって、現代社会をある意味で国家権力が持つイデオロギー装置として研究したルイ・アルチュセールなどは、まさにこうしたレトリック的読みの典型でしょう。当然ながらマルクス自身はそんなことなど言っていないのですが、良い研究というものはそういう読み方をすることなのです。これができるのも古典の持つ力であり、書物が古典として長く読まれるというのはそうした読みができるということです。ところが残念ながらソビエトや中国などが読み方を鋳型にはめてしまった。特にソビエトではスターリンが『経済学教科書』などというのを作ってしまった。どんな学問もそうですが、学校で教科書的に教えられたら、その学問は大体死んでしまう。今大学の学問が死んでいるのはまさにそれです。教科書だけが教えられるようになった。教科書を作って『資本論』の読み方はこれしかないとがっちり決めてしまったら、それ以上の読みができなくなり研究はそこでストップするわけです。そうなればマルクス以降、それを発展させる次の人が生まれない。レーニンがそういう読みをしていたら、レーニンは現れなかった。大体どんな優れた書物でも、いろんな人が出てきて賑やかになっていくのがいいんですね。これが開放型の学問なんです。教科書のような閉塞型学問として読むと、これが党のドグマになっていくわけです。マルクスはこう読みなさいとは何も書いていないし、マルクス自身自己矛盾するようなことをたくさん言っているわけです。たとえば、労働が自己目的でありながら労働は廃止されなければならないと相矛盾することを言っている、だからこそ魅力がある。その自己矛盾の中に切り拓く次の可能性が指し示されているわけです。こういうものがマルクスにあるから面白い。実は今マルクスの『哲学の貧困』という本を翻訳しているのですが、前々からどうも気になったところがあるのです。マルクスは生涯かけてフランスの思想家プルードンを批判するのですが、なぜこれほど批判しなければならなかったかという点です。実はプルードンという思想家は意外とマルクスに近いのではないか。右と左のちょうど一対の鏡のようになっていて、マルクスはプルードンを批判することで自らを構築していったとも言えるのです。マルクスは、プルードンは何を言っているかわからない、論理の一貫性がなくて思いつきばかりだと批判するのですが、その思いつきの中にすごい魅力がある。創意工夫やイマジネーションの力という点では、断然プルードンなんです。マルクスはそういうイマジネーション力が欠けていて、まあ一般的にドイツ人は欠けていますが(笑)、フランスの思想家フーリエもそうですが、読んでいて吹き出したいくらい面白い。よくこんなことが考えられるなという、オリジナリティがある。今でもフーリエやプルードンの本を読む人がたくさんいて、マルクスがどんなに頑張って彼らを批判しても、彼らの本を読む人はいなくなりません。なぜならばそこに読み方の妙、レトリックの妙があるからです。そしてそのことをマルクスもよく知っている。経済が社会を作っていくということをプルードンも知らないわけではない。しかし、人間の能力や人間の意識がなければ経済だけでは社会は変わらない。しかしこれもまた真実なんです。

しかし、なぜ経済によって変わった社会主義体制が、個人崇拝や独裁者を生んだのか。たとえばソ連もトロツキーがトップになっていたらスターリンと違っていたと思います。まさに、それが人間の在り方なんです。人間についての分析は残念ながらマルクスにできなかった。できなかったということは、我々がそれをやればいいということです。マルクスはある意味で経済学に留まり、その中で経済学の自己矛盾を批判し、経済学批判を構築しようとした。しかし、プルードンは早々と経済学を出ていって、社会学から経済をみた。マルクスが『哲学の貧困』でマルクス流にお前の経済学は間違っていると批判すればするだけ、その批判は肩透かしを食わされるわけです。これはある意味で無力でもあるわけですし、またそれがマルクスの良さでもあるんです。マルクスは一生懸命、新しい経済学、批判的経済学を作ろうとした。しかしマルクスは経済学の外に行けなかったんです。そこを乗り越える作業というのが次の世代に受け継がれているともいえます。

これこそ読みという部分です。先ほど宇野弘蔵さんの話もありましたが、資本主義の分析というのも一つの読み方だし、これを革命の書として読むのも一つの読み方だし、さまざまな読み方があっていい。自分たちが現実の状況に合わせてそれを読み変えていかなければいけない。
この記事の中でご紹介した本
共産党宣言初版ブルクハルト版(1848年)/作品社
共産党宣言初版ブルクハルト版(1848年)
著 者:的場 昭弘
出版社:作品社
以下のオンライン書店でご購入できます
カール・マルクス入門/作品社
カール・マルクス入門
著 者:的場 昭弘
出版社:作品社
以下のオンライン書店でご購入できます
国体論 菊と星条旗/集英社
国体論 菊と星条旗
著 者:白井 聡
出版社:集英社
以下のオンライン書店でご購入できます
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