絓秀実氏・外山恒一氏・佐藤零郎氏鼎談 “八九世代”はいかに闘ってきたか 「全共闘以後」(イースト・プレス)をめぐって|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年11月16日 / 新聞掲載日:2018年11月16日(第3265号)

絓秀実氏・外山恒一氏・佐藤零郎氏鼎談
“八九世代”はいかに闘ってきたか
「全共闘以後」(イースト・プレス)をめぐって

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〈一九六八年の全共闘運動〉から五〇年――半世紀にもわたる社会運動の歴史を描き切った大冊『全共闘以後』が九月に上梓され、発売と同時に大きな反響を呼んでいる。
人名表記の誤りなどを訂正するため、現在「新版」刊行に向けて編集作業が進行中である(十二月刊行予定)。
著者である外山恒一氏は、本書を通して何を描きたかったのか。
文芸批評家の絓秀実氏、映画監督の佐藤零郎氏と鼎談をしてもらった。(編集部)
第1回
二つの批判

外山 恒一氏
外山 
 本が回収されたことについては、誤解も生じているので、最初に説明しておきます。元々誤植や事実誤認は少ないという自信があって、自分でもツイッターで「あれば見つけてみろ」と公言していました。けれども、いくつか見つかりはじめて、その度に訂正表を作り直し、ブログにアップしてたんですね。指摘された事実誤認の中には、確かにまずかったなと思うものも三つ四つありました。たとえば、アナキズム系の運動家には「黒田」とか「黒川」と名乗りたがる人が多くて、二人の「黒田」氏を同一人物と誤認して書いてしまった。もう一つは、法政大学で友常勉さんのグループが、中核派による学内の恐怖支配に対して反乱を起こした事件に関してです。三人グループのうち友常さんとは別のメンバーの行動を、友常さんがやったことだと誤解してそう書いてしまった。そうした重大な事実誤認も数ヵ所ありました。ただし全体を通してみれば論旨にはまったく影響はない。本来なら訂正表を挟めば済む話だと思うんですが、版元の判断で、再度細かくチェックし直した上で改訂版を出すことになりました。

この本に書かれているのは、ほとんどの人が知らない話でしょう。しかも知られていないわりに派手な話が多い。僕の同世代の人たちも含めて、同時代にこんなに面白いことが起きていたのかと驚いている読者が多いようです。たとえば保坂展人や辻元清美といった人たちの過去の活動について、僕らより下の世代になると、まったく知らなかったりします。今では、共に社民党出身のリベラル政治家のイメージしかない。彼らが若い頃、政治家に転身する以前の活動歴にも詳しく言及してますから、今まで彼らに反感を持っていた人たちが、「意外と凄い奴だったんだな」と見直すような感想もよく見ます。

批判的意見が出ることも予想していました。特に僕自身が、学生運動の左派系の主流派とは今も昔も対立していますから、そちらからの批判は出るだろうと。また、「英雄史観的になっている」「特異なキャラクターが担った派手な闘争を、クロニクル的に並べることで運動史が成立すると思うな」といった批判もあります。それもあらかじめ予想してましたが、まずは、この五十年間の運動史に興味を持ってもらわなきゃいけない。「水滸伝的だ」という感想も多くて、それは良くも悪くも、ということでしょうが、まさに水滸伝的な物語を提示することで、多くの人に興味を持ってもらおうと思ったんです。そこは確信犯的でした。
絓 
 外山さんとは、外山さんが出獄して以来の付き合いですから、約十三年になりますか。これまでいろいろ議論をしてきて、今回は推薦文も書かせてもらったけれども、名著であることは疑いようがない。「六八年」以降の問題を書いていらして、大いに啓発されるところがありました。ただ、今言ったことを踏まえて、一般的に出て来るであろう批判について、最初に指摘しておきます。一点目は、いみじくもおっしゃったように、「水滸伝的」であるということです。これは京大人文研の王寺賢太さんがツイッターで言っていたことだけれども、「奇人列伝」みたいになっている。

二点目は、政治党派に関わる問題について。一九七〇年~八〇年代は内ゲバの時代であり、これを抜きにして、運動は語れないと思うんです。内ゲバは基本的にネガティブなものとして捉えられがちですが、中核派あるいは解放派対革マル派とのあいだで、内ゲバがあったことを抜きにして、この時代を語ることはできない。内ゲバがあったから左翼運動が駄目になったという見方だけでは、見えて来ないものがあると思う。では、そのポテンシャリティとは何だったのか。この問題は未だに解明されていない。僕自身はまさに内ゲバの犠牲者であり、それを行使した党派を許してはおりませんが、時代的な必然であったという認識だけは持っていました。そこは、これから論じられるべき課題かなと思っています。

もうひとつ言っておきます。内ゲバとともに、七〇~八〇年代にかけて、各大学に戒厳令が敷かれる中で、ノンセクトの運動を立ち上げることができるのは、奇人変人でしかなかった。それが今や、奇人変人でさえ運動ができない時代になってきている。そういう状況において、本当に運動が可能なのかという問題も、やはり今考えなければならないと思っています。
外山 
 絓さんの言われた、二つのありうべき批判というのは、繋がってもいるんですよね。確かに、ご指摘のように、党派のその後に関しては、ちらっと触れる程度にしか書いていません。なぜか。もちろん、党派を含む新左翼運動の、六八年以降の推移も僕の関心の対象ではあります。しかしこの本の主眼は別のところにあった。新左翼運動が先細りしていく中で、それと入れ替わるように出てきた新世代の運動をメインに描こうとしたわけです。八〇年代後半に始まり三・一一の直後ぐらいまで持続した、新世代の運動の歴史を書くことが第一の目的だった。かつ、党派・無党派を問わず、それなりの規模で八〇年代半ばまで続いていた従来の新左翼運動が、しかし総じて陥っていた閉塞状況を突破できたのは、八〇年代後半に、運動シーンの各所に群れをなして登場してきた、奇人変人たちの個人芸の結集のような運動だけだった。それはある意味で、時代状況に強いられた形態の運動でもあったということです。八〇年代以降の運動史を書こうとすると、それは実際に奇人変人たちによって担われてきたことがよく分かります。この世のものとも思えないような奇っ怪なキャラが、次々と登場する(笑)。
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この記事の中でご紹介した本
全共闘以後/イースト・プレス
全共闘以後
著 者:外山 恒一
出版社:イースト・プレス
以下のオンライン書店でご購入できます
「全共闘以後」出版社のホームページはこちら
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