声の文化と文字の文化 書評|ウォルター・J. オング(藤原書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2018年11月17日 / 新聞掲載日:2018年11月16日(第3265号)

W・J・オング著 『声の文化と文字の文化』
日本大学 佐藤 述人

声の文化と文字の文化
著 者:ウォルター・J. オング
出版社:藤原書店
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黙って一日中だれとも会わない日があるとする。そんな日でも、しかし言葉を使っていないわけではない。むしろそういう日こそ、頭のなかではさまざまの思考が動いている。いうまでもなく思考は言葉で出来あがっている。それらの思考法を僕たちは文字の文化のなかで行っている、とオングはいう。なるほど、たしかに頭のなかでものを考えるとき文字というもの、つまり書き言葉による図式化を意識せずにはいられないだろう。

文字が生まれるまえ、人類はだいたいが発声のみで言葉を扱っていた。そしていまでも文字を持たない人々は世界各地に存在している。彼らはまさに声の文化で暮らしている。声の文化において言葉は行為と切り離せない。というより、言葉は行為に伴って使われるものである。したがって言葉を言葉のみとして扱うことはできない。だから概念を扱うこと、ものを定義することもまたない。声はすでに生きられたものとしてしか扱われない。おもしろい例が紹介されている。声の文化を生きる男に車の定義を求めると〈てっとりばやく言うんだったら(略)車にのってドライブに出かけてみな、そうすりゃ車がどういうものだかわかるから〉と答えたという。彼にとって言葉は対象と密着したものであり、言葉自体を使って対象について思考することがないとわかる。その場合、言葉は専ら他者へ開かれたものである。声の文化において言葉は対話を前提としたものだった。

しかし文字が生まれると、人々は対象と距離をとって内省することが可能になる。たとえるなら、声の文化においては動き続けている世界に対して言葉や思考はともに動くことしかできなかったが、文字の文化においては世界を思考の上で一時停止し、分析することができるようになったといえるだろう。さらに印刷技術が発展すると人々は黙読を内面化し始め、言葉というものが対他者の側面より対自己の側面を多く占めるようになる。また印刷は書き換えられない言葉を生んだ。声の文化の対話のなかでは訂正を繰り返すことができるが、印刷された言葉は一方通行である。以上のことから、声の文化で言葉は共有されたものだったが、文字の文化では自閉的になり、印刷に伴って固定された言葉はさらに閉じたものになったとわかる。そしてそのぶん僕たちの分析力は格段に発達した。

ところでオングが『ORALITY AND LITERACY』を発表したのは一九八二年、『声の文化と文字の文化』という題で日本語に翻訳され藤原書店から刊行されたのが一九九一年のことである。なぜいまさらこの本を勧めるのか。それは、インターネット、とりわけSNSに言葉があふれる時代になったからである。SNSなんて知らずにオングは死んでいっただろうが、しかし彼の論を使って現状について考えることは有益だと思う。SNSの言葉はもちろん文字として固定されている。けれども同時に共有を目的とした言葉でもある。全世界に発信でき、返信を得られるわけだから、声の文化の言葉以上に対話可能だとさえいえる。文字の文化における対話としてSNSの言葉を考える必要があるのではないだろうか。ここでは紹介できなかったが、物語の語られ方や文学のあり方、記憶の仕方、言語の構造、メディアについてなど、オングは声と文字ということからさまざまの方面へ論を展開している。それはいまでも論じる必要のある事柄だろう。共有を目的とした文字という文化が台頭しつつある今日だからこそ無視できない一冊である。
この記事の中でご紹介した本
声の文化と文字の文化/藤原書店
声の文化と文字の文化
著 者:ウォルター・J. オング
出版社:藤原書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「声の文化と文字の文化」出版社のホームページはこちら
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