私は自由なのかもしれない 〈責任という自由〉の形而上学 書評|斎藤 慶典(慶應義塾大学出版会 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年11月17日 / 新聞掲載日:2018年11月16日(第3265号)

切迫した課題に向けて
現代科学の議論を批判的に参照しつつ、独自の思考を紡ぎ出す

私は自由なのかもしれない 〈責任という自由〉の形而上学
著 者:斎藤 慶典
出版社:慶應義塾大学出版会
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 なぜ「かもしれない」なんだろう。「責任という自由」というのもへんだ。責任はちっとも自由じゃない。タイトルを見てこう思った人は、すでに著者の仕掛けた罠にかかっている。著者は、本書が「一般読者にも届く」ように、さまざまな工夫をこらしている。本書の目的は、自由が責任というかたちでしか成立しないこと、そこから倫理と政治が必然的に導き出されることを、できるだけ特別な用語や外国語を使わずに明らかにすることである(ただ、語はやさしいが、論理は手強いので、読者は心して取りかかることをお勧めする)。

そのために、第一部ではまず、自由がどのようにして成立するかが論じられる。たしかに生命体としての私は自由ではない。しかし私は、想像力によって、自然のなかに存在しない純粋な可能性の次元を開くことができる。その次元に生きようとすることは、誰に命じられたのでもない、自由である。ただ、それは純粋な可能性でしかない。牢獄にいる囚人であっても、脱獄することを想像し、それを試みることができるという意味での自由である(サルトル)。それゆえ「私は自由なのかもしれない」としか言えないのである。しかし、それは否定的なことではなく、そうした状況を引き受けることによってのみ、私は主体となることができる。

第二部では、この自由と責任の関係が問い直される。いま述べたように、私を取り巻く世界という「一方的に到来するもの」を受け止め、「何かを私の名の下に担う」こと、つまり責任を負うことによって、初めて私は自由になる。だからこそ、「責任という自由」なのだ。そして、この私が「責任という自由」を引き受け、それに応答することが倫理である。しかし、ここでもやはり、この倫理はそうでありうるという仕方でしか成り立たない。それを偽ることがつねに可能だからである。それは脆く、純粋な可能性でしかない。その倫理の空洞化を避けるために、公正さを原理とする共同体の構築つまり政治が必要になってくる。つまり倫理の可能性を持ちこたえるために、私は「正しさ」に基づく共同体の構築に向かうのである。

第三部で、責任が問い直される。世界が現にあることは必然的なことである。しかし、その必然性を自己が認めたとき、私は世界が現にあることを、自らの名のもとに担うことになる。それによって私は、自由なものとなる。自由なものとなった私は、可能性として開かれたままの未来に向かって自らをなげかけていく。その際、私が担う共同体と歴史は、責任から国家へ、倫理から政治へと変化しなければならない必然性を担っている。

こうして著者は、私たちの世界のなかに責任という仕方で生まれた自由をめぐって、ヨナス、アレント、ハイデガー、レヴィナスだけでなく現代科学の議論を批判的に参照しつつ、独自の思索を紡ぎ出す。責任としての自由こそが存在の可能性の条件であり、その自由を確保するためには倫理が、そして最終的には政治が不可欠だとされるのである。この議論の鍵となる倫理の成立のためには、責任としての自由の可能性が必要であり、そしてこの可能性を検討するためには、世界の成り立ち方を解明する存在論から始めなければならなかったのだ。

この問いに応えることは著者にとって切迫した課題だったという。著者は、この危機の世紀に生きる人間のあり方について次のように述べている。「今私が述べるべきは、次のことである。〔ハイデガーがヘルダーリンを引いて言うように〕「危険があるところに、救うものもまた生い育つ」のではない。危機の切迫するところにのみ、それに応ずる者の下で、永遠ということが可能なのだ。そしてその永遠を担って他者に向かうことができるのは、私だけなのである」。今、この危機的状況を引き受けることによってのみ、私は自由であることができ、唯一固有なものでありながら抹消不可能な永遠性をもちうるのだ。
この記事の中でご紹介した本
私は自由なのかもしれない 〈責任という自由〉の形而上学/慶應義塾大学出版会
私は自由なのかもしれない 〈責任という自由〉の形而上学
著 者:斎藤 慶典
出版社:慶應義塾大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「私は自由なのかもしれない 〈責任という自由〉の形而上学」出版社のホームページはこちら
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