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更新日:2018年11月17日 / 新聞掲載日:2018年11月16日(第3265号)

片岡義男の分厚い思考の軌跡
四十年以上にわたるあとがきをすべて収録

あとがき
出版社:晶文社
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あとがき()晶文社
あとがき

晶文社
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「ぼくは〈あとがき〉を書くのが大好き」。カバー裏にそうある。「〈あとがき〉を考えると次回作への期待とアイディアでいっぱいになる」、とも。

本書『あとがき』には、作家・片岡義男が四十年以上にわたり書いてきたあとがきが(翻訳書と共著を除き)すべて収録されている。年代順、十年ごとの章分けで、その数は百五十一点。小説のあとがきと、それ以外の本のあとがきがほぼ半々で、『あとがき』のあとがきもある。

目次で初期の作品タイトルを見て、懐かしさを感じる人もいるだろう。『ロンサム・カウボーイ』、『スローなブギにしてくれ』、『彼のオートバイ、彼女の島』、『波乗りの島』など、いわゆる「片岡義男ワールド」を代表する作品たちだ。しかし、これは昔を懐かしむための本ではない。デビューからずっと、言葉について、小説について、あるいは写真について、常に現在進行形で真剣に考え続けてきた作家・片岡義男の、分厚い思考の軌跡なのだ。

今、初期のあとがきを読むと、この作家特有の、翻訳調と呼ばれることもあるニュートラルな文体が、すでに完成しつつあったことがわかる。時代や年齢を感じさせない文体だ。それが推進力となって、一九七四年の『ぼくはプレスリーが大好き』から二〇一八年の『珈琲が呼ぶ』まで、まるで書き下ろしの評論のように、読み進めることができる。

七〇年代、彼はアメリカやハワイ、そしてオートバイの小説をさかんに書いていたが、それは、書き手として「さらに自分らしさを発揮することの可能な領域への」脱出経路であり、「言葉によるコミックス」の試みだった。そして八〇年代には「都会の男女の洒落た関係の小説、とほとんど常に言われるような小説」を書き続け、「現実のしがらみから脱却した、どこにもない、抽象的な日本語」を作っていった。

やがて九〇年代になると片岡は東京の写真を撮りはじめる。一方では「一九九六年(の東京)を背景にして小説を書くことなど、とても馬鹿馬鹿しくて出来ない」と嘆き、他方では「写真で切り取ることによって現実を虚構へと転換させ」、「より深く見る」という現実との接し方を手に入れる。「小説とは記憶の語り直しだ」。二〇一〇年発行の『ここは東京』のあとがきに、片岡はそう書いている。「過去を材料にして現在のなかで作ったものを、おそらく未来の方向に向けて、送り出す。写真はこれとまったく同じではないか」。こうした限りのない思考と実践の結晶として、独自の遠近法で書かれた最近の短編小説がある。

片岡義男はじつは深い、とても深い。ボーっと読んでいては、彼に叱られてしまう。

ところで、本書の帯の裏にはQRコードが印刷されていて、そこから電子版を無料で読むことができる。「片岡義男.com」というサイトによる『片岡義男 全著作電子化計画』の一環だ。短編集を電子書籍化する際、短編一作ごとに販売するため、〈あとがき〉は行き場を失う。それをなんとかしようと紙と電子の媒体が手を組んだ結果、本書は出来た。気になるあとがきがあれば、リンクする短編やエッセイを読んでみるのもいい。「青空文庫」でも無料でいくつかの作品を読むことができる。

さて、あとがきといえば、最新の短編集『くわえ煙草とカレーライス』にはあとがきがなかった。作家生活の集大成のようなこの『あとがき』を上梓した片岡義男がこれからどこへ向かうのか、少し気になるところではある。
『あとがき』のあとがきで取り上げられている短編『あとがきを書いてください』にこんな会話がある。「あとがきから書いていく短編集は、面白いわね」「素敵です」

新しいストーリーは、きっと、もうはじまっているのだ。
この記事の中でご紹介した本
あとがき/晶文社
あとがき
出版社:晶文社
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