批判的人類学のために 身体・歴史・人類学III 書評|渡辺 公三(言叢社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年11月17日 / 新聞掲載日:2018年11月16日(第3265号)

浩瀚にして精緻な論述
本書は著者の方法論と問題意識を反映

批判的人類学のために 身体・歴史・人類学III
著 者:渡辺 公三
出版社:言叢社
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昨2017年、日本の文化人類学は優れた研究者をふたりまでも喪った。ジョルジュ・コンドミナスの愛弟子で、大著『米の脱穀-類型・地理的分布・精白具の歴史』(2007年)などを著して、フランスの農業民族学にその人ありと知られた安倍与志雄氏(享年74)と、本書の著者で、わが国におけるクロード・レヴィ=ストロースのおそらく最高の理解者でもあった渡辺公三氏(同68)である。幽明境を異にするとは人の世の常であるとはいえ、この碩学たちの早すぎる逝去は惜しんでも余りある。今は痛恨の念とともに、ひたすらご冥福を祈るのみである。

さて、《身体・歴史・人類学》叢書の第3巻となる本遺作集は、1990年から2016年までの論考と訳書あとがき、さらに事典項目や書評など20数点を再録したものである。著者の人類学はフィールドワークの地であるアフリカと留学の地フランス、そして日本を結ぶ地理的・文化的・歴史的・社会的トライアングルから対象に迫る。その浩瀚にして精緻な論述とそれを支える貪欲なまでの探求心。渡辺公三という傑出した研究者の真骨頂はまさにここにある。本書はそうした著者の方法論と問題意識を如実に反映している。以下、それを本書の配列に沿ってみていこう。

まず「指紋の社会思想史」(1994年)と「犯罪者の顔写真と指紋」(1955年)は、身体に深くこだわっていた著者ならではの論考で、『司法的同一性の誕生』(言叢社、2003年)の基底となるものである。そこで著者はベルティヨン方式の顔写真、ついでゴルドンらの指紋による個体識別システムが、犯罪者の記録化や植民地統治の手段としていかに機能してきたかを歴史人類学的・社会史的にあとづける(この研究の一端は、じつは今から30年以上前、評者たちが毎月開いていた発表時間無制限の「みちの会」で披歴されている)。むろんその視野の向こうには、個ないし個人のアイデンティティをいかに管理するかという近代国家の支配原理が克明にみえていたはずだ。

「バントゥ・アフリカ」(2009年)は本書序文にある部族論とも通底するが、バントゥという名称の背景には、ヨーロッパの植民者たちによって先住の民族集団に押しつけられた現実と、統合的アイデンティティ追求の意思表示としての現実があり、そこには「政治的意味合いの両極端」がみられると指摘する。そのことを確認するため、著者はバントゥ集団の歴史的文脈を概観し、その神話や技術、さらに王国・王権の変遷にも目を向けながら、著者自身の訳になるバランティエ著『国家に抗する社会』の視座で形成期のアフリカ社会を照射する。そうすることで、彼らの多様化の過程がより明確になるのではと提起する。評者にとってより身近な論考は「マルセル・モース」および「モース人類学あるいは幸福への意志」(いずれも2011年)である。ここでは岡本太郎の証言や著者がかなり前に訳了しているにもかかわらず、なおも刊行の機会に恵まれていないモースの『民族誌学の手引き』(1947年。かつて評者はこの書のもとになるモース自らがタイプアップした「質問票」のコピーを著者に提供したことがある)、さらに《社会史年報》に寄稿したモースの論考(評者の推定では、書評を含めれば300本以上になる)などを援用しながら、これまでわが国ではその名声ほどに知られていないモースのライフヒストリーと学問的関心が開陳されている。「孫弟子」にあたる評者にとっても、それは新しいモース像を発見させてくれる貴重な研究であり、「個別社会の特殊性をくぐることで到達されるべき一般性への通路をいかに拓くか、それがモースの人類学の問いだった」とする指摘は鋭い。

こうした著者の確実な眼差しは、モースとその高弟であるレヴィ=ストロースをいわば合わせ鏡として自然と都市、さらに協同組合を論じた「レヴィ=ストロースからマルセル・モースへ」(2011年)などでも確実にみてとれるが、本書の醍醐味はやはり後半部のレヴィ=ストロース論にある。たとえば著者は女性の3交換体系とその数学的な変換を解明した『親族の基本構造』を起点として『野生の思考』を見れば、オーストラリア社会の基本構造としてのトーテミズム体系が、自然種の多様性を活用していかに豊かな思考の体系を作り上げていたかが明らかとなり、『神話論理』はその豊かな思考が作動する神話によって人間を世界に織り込む過程を、神話体系の変換と音韻論および五感から論じたものだとする(「もうひとつの豊かさの思考」2008年)。ここには著者ならではの看破力とまことに研ぎ澄まされた感性が過不足なくみてとれる。

こうして頁をめくるほどに、著者がこの「知の巨匠」の学的地平を真摯に踏査していたことに今更ながら感慨を覚える。それはさながらレヴィ=ストロースの魂が乗り移ったかのようでもある。この『闘うレヴィ=ストロース』(2009年)の著者は、ありていにいえばレヴィ=ストロース人類学と果敢に闘う人でもあった。その闘いがはたしてさらにどこへ向かうはずだったのか。そのことを告げずに足早に去ってしまった。だが、著者はレヴィ=ストロースという迷宮に分け入る者に、間違いなくアリアドネの糸を残してくれた。かけがえのない学問的遺産として、である。
この記事の中でご紹介した本
批判的人類学のために 身体・歴史・人類学III /言叢社
批判的人類学のために 身体・歴史・人類学III
著 者:渡辺 公三
出版社:言叢社
以下のオンライン書店でご購入できます
「批判的人類学のために 身体・歴史・人類学III 」出版社のホームページはこちら
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