布施英利×港千尋 対談 ヒト(人間)はなぜ絵を描くのか 『洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年』( 論創社) 刊行記念 公開対談載録 (於・青山ブックセンター本店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年11月23日 / 新聞掲載日:2018年11月23日(第3266号)

布施英利×港千尋 対談
ヒト(人間)はなぜ絵を描くのか
『洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年』( 論創社) 刊行記念 公開対談載録 (於・青山ブックセンター本店)

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第4回
□絵を描かなかった ネアンデルタール人

港 千尋氏
布施 
 もう一つ重要なことは、洞窟壁画が圧倒的に美しいということです。実用的に必要であれば、ライオンならライオンという形がわかればいいはずなのですが、今見ても美しいと思える。今まで見てきた美術作品の中でも圧倒的に美しいのは先史時代の洞窟壁画ではないかとさえ思いますが、そういう魅力があります。港さんは何度も洞窟壁画に通われていますが、港さんにとって洞窟壁画の魅力はどういうところにあるのでしょうか。
港 
 ひと言でいうと洞窟にあるから、というのが大きな理由かなと思います。というのは先史時代の絵というのは、例えばオーストラリアだと岩陰や外に描かれている場合が多くて大体雨風でやられている。洞窟の奥に描かれているのは圧倒的に欧州が多くて、氷河期に人が住んでいられた地域ということから地中海沿岸に多いのですが、外に描かれた絵と洞窟の中に描かれている絵とでやはり違うと思うのです。というのも、当時のランプというのは獣の脂を岩の窪みに溶かしてそこに植物で作った芯を入れて灯しますから、とても暗くてほとんど何も見えない。暗闇に目が慣れても全体は見えません。入口から三〇〇〜四〇〇メートル入った真っ暗闇の何も見えないところで描かれたというのが最大の魅力だと思います。洞窟によっては人ひとり四つん這いで入っていかないといけない場所もたくさんあって、しかも上からも下からも鍾乳石が出ていて全身血だらけになる。そんなところになぜ描いたのか、なぜそこまでしないと描けなかったのかと考えると何度も行きたくなるんです。

実は昨日パリで展覧会を見て先ほど帰ってきたばかりなのですが、その展覧会というのは「ネアンデルタール人展」というタイトルでパリ人類博物館で開かれていたものです。なぜそれを見たかったかというと、その中に一つだけなかなか見られないものがあったのです。それは「現代思想 特集:考古学の思想」(青土社、二〇一八年九月)に寄稿した論考「模倣するサピエンス」でも紹介したのですが、僕自身今まで本物を見たことがなかったのでどうしても本物を見たかったのです。どういうものかというと、フランス南西部のラ・ロッシュ=コタール遺跡で発見された、「マスク」と呼ばれている直径八センチぐらいの「顔石」です。石自体に加工の跡はないそうですが、人間の顔のような形の石で目に当たる部分に窪みがあり、その窪みに石状の破片が挟まれていて、それが「目」に見えるというものです。発見されたのはしばらく前ですがかなり論争があって、これは偶然に出来たものであるという意見とこれは人間が作為的に作ったものだという意見がありました。なかなか年代が確定しなかったのですが、今の時点では六万年〜七万年前という結果が発表されていて、その当時クロマニヨン人はいませんのでネアンデルタール人による制作の可能性はかなり強い。

僕が『洞窟へ』を書いて以降ここ十年くらいの間、特に旧石器時代の研究で大きな技術的な変化がありました。その一つが年代測定の方法で、それまでの炭素年代測定法から、ウラン―トリウム法という放射性年代測定に移りつつあるところで、一〇〇年前、五〇年前に発見された洞窟の年代を今再調査している段階なのです。その再調査の結果がいくつか出始めて、出てくるたびに話題になるのですが、クロマニヨン人が登場するかしないかのギリギリの年代が出てきて、それがスペインの洞窟壁画ともう一つがインドネシアのスラウェシ島にある洞窟壁画で、実はそのインドネシアの洞窟に入ったのが僕にとって初めての洞窟壁画体験だったんです。『洞窟へ』を書いた当時は五〇〇〇年〜六〇〇〇年前の縄文時代だとされていたのが、一昨年のウラン―トリウム法を使った年代測定では四万年前と発表されて、ヨーロッパとほぼ同時期か、ヨーロッパより古い可能性もある洞窟壁画がインドネシアで発見された。今言われているのは、おそらくヨーロッパよりも古い洞窟壁画が、今後アジアでどんどん発見されるようになるだろうということで、今期待が高まっているそうです。

ただ問題はクロマニヨン人が突然素晴らしい絵画や彫刻を作ったわけではないだろうということです。それはこういうことで、クロマニヨン人にはもしかしたら先生がいたのではないか、ただ先生の技術は大したことがなかったがアイデアだけは持っていたと。いろんな意見があるのですが、先ほど洞窟壁画には重ね描きが多いと話しました。その重ね描きのいくつかは四万年を遡るもっと前に描かれた絵の上に描かれている。そうするとクロマニヨン人の創造性を否定するわけではないのですが、模倣の能力が重要視されてくる。つまりその模倣の能力が起爆剤になって、洞窟の中のちょっとした亀裂を見て、その洞窟の亀裂自体がいわば先生になって絵の描き方を教えた。つまり人間が教えたのではなくて洞窟自体が絵の描き方を教えたのではないか、というような考え方に僕は傾いているのです。最初の「マスク」の話に戻ると、これがその一つの例ではないかと思ったのです。ネアンデルタール人に能力がなかったわけではないけれど、プリミティブな段階だったのではないか。
布施 
 クロマニヨン人とネアンデルタール人の関係というか違いというのは面白いところで、いろんな発見があるけれど、今の港さんのお話ですとクロマニヨン人は模倣の天才だったのではないかということですね。解剖学的に見ると、アウストラロピテクスから直立原人、そして現代人のわれわれに至る人類の歴史の中で、実は脳が一番大きいのはネアンデルタール人なのです。われわれより脳が大きいにもかかわらず、なぜ絵を描けなかったのか、言葉が作り出せなかったのかは分からないというか、それは脳の使い方の違いで、見る、聞くということについての情報処理は単独では優れていた。しかしクロマニヨン人は、脳は小さくなったけれど別々のものを結びつける力というものを脳の中に作り出した。それは「同じ」という言葉でもいいのかもしれませんが、ひび割れと熊の形が「同じ」とか、別のものを同じものに結びつけられる能力というのがクロマニヨン人にはあって、そこがネアンデルタール人との違いかなと思います。
港 
 僕もそう思います。写真の言葉を使うとすれば「変換」ではないでしょうか。あるものを別のものに置き換えるとか別のメディアに置き換える「変換」。その「変換」の能力が爆発的に開花したのが四万年以降でそれまでは直感で事足りていた。もしかすると脳が大きかったのは直感だけで全て処理しようとしていたからで、それくらい必要だったということかもしれないですね。情報処理を外部化しないで全て脳の中だけでやろうとするとそうだったのかもしれない。ただもう一つ考えなければいけないのは主人公が変わったことは変わりましたが生活が大きく変わったわけではなくて、基本的には狩猟民の能力の歴史というのがものすごく長いわけです。『洞窟壁画を旅して』の後半で、猪の狩猟の話が出てきますが、僕は『洞窟へ』を書いてから狩猟採集に興味を持って、ついひと月前も台湾の原住民の住んでいる地区で夜の山に入ってきました。彼らは罠をかけて獲物を捕えるのですが、ハンターと一緒に山に入ると全く視力が違うことがわかります。こちらは何も見えていないのですが、彼らは五種類くらいの動物を見分けるんです。そこで思ったのですが、洞窟は何のためにあったのか。どんなに小さな割れ目やひび割れでも何かに見える訓練、感覚を鍛える訓練をするために洞窟があったようにも思うんです。狩りの技術の一つ、狩猟的な知といってもいいかもしれませんが、それが絵画の起源とどう繋がるかということですね。
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この記事の中でご紹介した本
洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年/論創社
洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年
著 者:布施 英利
出版社:論創社
以下のオンライン書店でご購入できます
「洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年」出版社のホームページはこちら
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