布施英利×港千尋 対談 ヒト(人間)はなぜ絵を描くのか 『洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年』( 論創社) 刊行記念 公開対談載録 (於・青山ブックセンター本店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年11月23日 / 新聞掲載日:2018年11月23日(第3266号)

布施英利×港千尋 対談
ヒト(人間)はなぜ絵を描くのか
『洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年』( 論創社) 刊行記念 公開対談載録 (於・青山ブックセンター本店)

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第6回
□モダニズムという切断面

洞窟壁画や現地の風景など映像を見ながら対談が進められた

布施 
洞窟壁画が発見され、注目されたのは二〇世紀に入ってからで、スペインのアルタミラ洞窟はそれ以前に発見され一時期注目されたにもかかわらず、ほぼ忘れ去られてしまっていた。つまりこれは洞窟壁画に限らないと思うのですが、素晴らしい芸術作品があっても興味や見る目がないと誰も振り向かないということがある。だから二〇世紀になってなぜ洞窟壁画が注目されてきたのかというと、二〇世紀の芸術との親和性というのがあると思うのですが、ではそれまで誰も見なかったかといえば、この本の冒頭で明日香村のキトラ古墳について書いていますが、キトラ古墳というのは江戸時代からキトラ古墳と呼ばれていて、漢字で書くと亀と虎(亀虎古墳)なんです。実際にキトラ古墳の中には玄武と白虎が描かれていて、つまり地元の人たちは昔から見ていたわけです。これはゴッホが生前評価されなかったことやいろんなことと繋がるのかもしれません。
港 
 先ほど申し上げたフランスのレゼジー村にはたくさん洞窟がありますが、中には十九世紀以前からずっと村人が出入りしていた洞窟もあるんです。だからたくさん落書きがあって、ということはみんな見ていたんだけれども、それを芸術としては評価できなかった。わからなかった。これはおそらく洞窟壁画だけの問題ではなくて、モダニズムですよね。モダンになって初めて対象化できた。つまり他者の発見ではないでしょうか。イメージも一つの他者の発見として、二〇世紀のダダイズム前後、フランスでいえばジョルジュ・バタイユが出てくる前後、あの辺りになって初めて他者を一つの評価軸に意識的に出来たというか、そういう意味で二〇世紀を待たなければならなかった。そういうことではないでしょうか。

フランスの洞窟壁画の第一人者でミシェル・ロールブランシェ氏という研究者がいて、テレビ番組のために対談をしたのですが、これらの洞窟がもし日本にあったら、つまりフランスではなく日本で発見されていたらどうなったと思うかという話をしたんです。フランスにあったから思想家や批評家がかかわって今あるようになった。日本だったらまさにキトラ古墳で、たぶん入口に鳥居が建ったかもしれないと(笑)。これは面白い比較だと僕は思いますし、ロールブランシェ氏もそう言いました。なぜかというと、それがインドの洞窟壁画に通じるからです。インドにも洞窟壁画があるのですがインドの人たちにとってはそれは先史時代のものではなく今のものであって、しかもそこにガネーシャや新しいヒンドゥー教の神々がいてもおかしくない連続性を持っている。ヨーロッパだからこそモダニズムという切断面が出来て今あるような評価がされて世界遺産になった。そういうヨーロッパならではの条件もあると思います。

――トークイベントの最後に、今回の旅でめぐった洞窟壁画以外の絵画の話として、布施氏からレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を美術解剖学から読み解く解説が行なわれた。スライドの画像と手の動きの実演を交えて〈名画に秘められた謎〉が明かされると会場から感嘆の声が上がった。    

       (おわり)
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この記事の中でご紹介した本
洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年/論創社
洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年
著 者:布施 英利
出版社:論創社
以下のオンライン書店でご購入できます
「洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年」出版社のホームページはこちら
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