「蓋然性」の探求 書評|ジェームズ・フランクリン(みすず書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年11月24日 / 新聞掲載日:2018年11月23日(第3266号)

包括的な確率論史を構築
パスカル以前の豊かな前史を丹念に発掘

「蓋然性」の探求
著 者:ジェームズ・フランクリン
翻訳者:南條 郁子
出版社:みすず書房
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確率論史である。だが、副題の「古代の推論術から確率論の誕生まで」(原題では「パスカル以前の証拠と確率」)なる文字列に首をかしげる読者もいるかもしれない。蓋然性(probability)についての学問、すなわち確率論(probability theory)は、そもそもがパスカル(とフェルマー)によって開始されたいうのが通説であるからだ。この観点からすると、パスカル以前の時代を扱うと称する本書の試みは、ずいぶんとパラドクシカルなものに見えるにちがいない。

しかし、そうではない。蓋然性という概念をもう少し広く、必ずしも数学化されたものとはかぎらない「確からしさ」ととらえてみよう。そうすると、パスカル以前にもすでにたくさんのアイデアが生まれ、用いられてきたことがわかるはずだ。著者フランクリンは、古代から初期近代にいたるまでの法、商業、科学、哲学、論理学等々の文献を調べ上げ、次々とその証拠を挙げていく。確率論そのものは一六五四年にパスカルとフェルマーによって誕生したが、それ以前もそれ以後も、人びとは数学者や統計学者の導きなしに不確実性と取り組んできたし、その方法について考えを深めてきたのである。

なかでも印象的なのは、本書における法律家や裁判官たちの活躍である。法廷とは、不確実な事柄について推論することが迫られる典型的な場所のひとつである。そう考えれば、多くのアイデアが法の世界で発達したことも不思議ではないだろう。高名なローマ法はいうまでもなく、中世における悪名高いスコラ哲学や異端審問、魔女裁判においても、不確実な事柄についての推論、いかにして確からしさを合理的に判定するかについての理論と実践を彫琢する営みが着実に行われていた。科学の進歩の敵とみなされることもあるスコラ学者や法律家たちだが、彼らは蓋然性の扱いに優れていたばかりか、近代的学問の誕生と発展に重大な貢献をしたのである。

以上のとおり、本書はパスカル以前の豊かな前史を丹念に発掘し再構成することで、確率論の誕生以前を暗黒時代とする通説に異を唱え、より包括的な確率論史を構築せんとする意欲作である。著者も明言しているとおり、通説の成立にも大きく寄与したイアン・ハッキングの『確率の出現』(慶應義塾大学出版会)の盲点──確率の「出現」以前──を埋める貴重な仕事であり、今後このトピックを探求するすべての者にとって必読の文献となるだろう。

だが、それだけではない。本書は歴史叙述の方法論についても重大な問題を提起している。著者は本書を「ホイッグ史観のもとに語られた心性史である。理性の軍隊がどのように無知の前線を撃破してきたかを記した知の進軍物語である」(五一〇頁)と称する。いくぶん露悪的にも響く「ホイッグ的」という形容だが、これはむしろ近代歴史学のスタンダードな姿勢だということができるだろう。なぜこんなもってまわった言い方が必要になったかといえば、それはもちろん、『確率の出現』の成功があったからである。つまり本書は、『確率の出現』が体現するニーチェ=フーコー流の系譜学的歴史学に対する、保守本流の解釈学的歴史学からの反駁なのである。

ハッキングが採用したニーチェ=フーコー流の系譜学的歴史学と、フランクリンが採用する保守本流の解釈学的歴史学、どちらが優れているのかを一概にいうことはできない。どちらも必要だというのが穏当な回答であろう。だが、両者を相補的な関係として済ませてよいものかどうかも、それほど明らかではない。少なくとも本書のような反駁が成り立つ程度には、両者は共通の土俵に立っているのである。類似の構図は、系譜学的歴史学が優勢となったパラダイム論以降の科学史と、あからさまなホイッグ史観によってそれに挑戦して話題となったスティーヴン・ワインバーグ『科学の発見』(文藝春秋)の間にも見られる。ここでこの問題に決着を与える用意など評者は持ち合わせていないが、読者はぜひ『確率の出現』と本書を並べたうえで、歴史叙述の方法論についても考えてみてほしい。(南條郁子訳)
この記事の中でご紹介した本
「蓋然性」の探求/みすず書房
「蓋然性」の探求
著 者:ジェームズ・フランクリン
翻訳者:南條 郁子
出版社:みすず書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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