風景論 変貌する地球と日本の記憶 書評|港 千尋(中央公論新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年11月24日 / 新聞掲載日:2018年11月23日(第3266号)

「風景」の本質を愛する
「人間」と「自然」の二項対立では語りつくせない豊かさ

風景論 変貌する地球と日本の記憶
著 者:港 千尋
出版社:中央公論新社
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絵のなかのものが、動いていたのです。といっても、映画のようではありません。映画にしては、その色が、あまりなまなましくて、あざやかで、そとのけしきそっくりすぎました。(C・S・ルイス『ナルニア国ものがたり』3「朝びらき丸 東の海へ」より)



異世界冒険ファンタジーの白眉『ナルニア国ものがたり』。その第三巻は、海原に浮かぶ帆船の描かれた絵画の中へ、主人公たちが実際に入ってしまうところから始まる。この物語を読んだ幼い日以来、私は、美しい絵画や写真を見るたびに、平面にうつし出された「風景」のなかへ…、その内奥に広がり展開している未知の世界へ、どうにかして飛び込んではいけないものだろうかという夢想を繰り返してきた。

あれから数十年、本書は思いがけない形で、その幼い頃からの私の夢を実現させてくれることとなった。

本書には、写真家である著者によって撮影された美しいカラー写真がふんだんに収録されている(全六十八点)。たとえば、震災後、全村避難となった飯館村(福島)では、真っ赤なポピーが切ないほどの無垢をたたえて咲き誇っている。岩手県重茂半島の港に、漁船のクレーンで高々と引き上げられた昆布は、まるで海から生え出た大きなご神木のよう。モンゴルの広大な南ゴビには、果てしない地平線、その乾いた土と空のあいだに、人間の卑小さが立ち上がる…。
これまで日本を含めた世界中を旅し続けてきた著者によって切り取られた風景写真の数々は、それだけでも大変見ごたえがあり、私たちの五感を大いに刺激する。だが本書はもちろんそれだけでは終わらない。
「風景は動いていないようで、実は常に変化するものである」「経験としての風景を考えてみたい。常に変化し、動いている世界の様子を、風景を通して感じてみたい」「人間がいまどこに向かって歩んでいるかを、テキストとイメージをとおして眺めてみたい」(はじめに―経験としての風景へ―より)。
風景そのものが内側に抱えている、折り重なった層のような記憶と物語を、君も時空を超えて一緒に旅しようじゃないか—。著者は私たち読者を、静止した瞬間の内部へとダイブさせ、その向こうに展開する場へと誘い込んでゆく。
そうして共に旅を重ねて見えてくるものは、自然の風景の中に、いじらしい「諸行」を繰り返し生きて来た人間たちの姿であった。
海を干拓して陸地を広げ、漁を行うために海図を作り、陸地を治めるために高台に拠点を定め、水害から生活を守るために堤防を築く。「風景」とは、人が自然に手を加え、あるいは自然と交流しながら(時にその荒々しさの前に屈しながら)重ねて来た努力や工夫そのものなのであった。そこには自分たちの生を前向きに育んでいこうという世代を超えた人々の思いが満ちており、「人間」対「自然」などという、単純な二項対立だけでは語り尽くせない豊かさがある。たとえば新潟県の瓢湖は、江戸時代に作られた人工の用水地であるが、百種類以上の野鳥が生息、シベリアからオオハクチョウなどの渡り鳥も飛来する。近辺の水田と共に、瓢湖はいまや野生の鳥たちにとって理想的な環境となっており、江戸期から鳥獣の保護区でもあった。

著者の目は、自然と人間の生命がともにある「風景」の、生きた呼吸を愛しんでいる。だが現代は、人間が「身の丈」を見失い、自然を破壊し、本来的な「風景」の息の根をみずからの手で止めてしまいかねない危機的状況であるのも事実だ。著者はその苦しみを握りしめつつ、「風景」の本質を愛することにこそ、未来への可能性があるのだよ、そんな風に私たちに語りかけているようだ。
この記事の中でご紹介した本
風景論 変貌する地球と日本の記憶 /中央公論新社
風景論 変貌する地球と日本の記憶
著 者:港 千尋
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「風景論 変貌する地球と日本の記憶 」出版社のホームページはこちら
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