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更新日:2018年11月30日
/ 新聞掲載日:2018年11月30日(第3267号)
私たちが「制作」されること
『制作へ』は日本語のテキストなのに、読み始めたばかりのときは、なかなか文字が図像を結べず、緊張関係が続いた。でもだんだん(理解が及ばないところがあっても)、引用と制作論が様々に反復されながら転換していく中で、テキストと親しくなっていった。
そうして二時間半に迫る鼎談。ののちに、五時間を超える勉強会にも参加させてもらった。
それは奥野さんを司会に、石倉敏明氏と山本貴光氏のレヴュー、作者からの返答、三者によるラウンドテーブル、会場からのリアクションペーパーを元にしたディスカッションという濃密さ。そうこう時を過ごすうちに、赤色の立体だった『制作へ』は、一頁一頁に存在感が生まれ、しなやかに手に馴染み始めた。
私は付箋を付けつつ読んだが、確か奥野さんや上妻さんの本には蛍光の線が引かれていたと思う。
古谷さんは付箋だったか?勉強会に集った人びとの卓上にもそれぞれの赤い一冊。
それぞれに「制作」されていく一冊。そして本を読み、考え、論じたり、アートを鑑賞したり、日常を送る中で、この本を通じて私たちが「制作」されること。
少しだけその体験を得ることができた気がする。まだ、むろん未完である。 (S)
そうして二時間半に迫る鼎談。ののちに、五時間を超える勉強会にも参加させてもらった。
それは奥野さんを司会に、石倉敏明氏と山本貴光氏のレヴュー、作者からの返答、三者によるラウンドテーブル、会場からのリアクションペーパーを元にしたディスカッションという濃密さ。そうこう時を過ごすうちに、赤色の立体だった『制作へ』は、一頁一頁に存在感が生まれ、しなやかに手に馴染み始めた。
私は付箋を付けつつ読んだが、確か奥野さんや上妻さんの本には蛍光の線が引かれていたと思う。
古谷さんは付箋だったか?勉強会に集った人びとの卓上にもそれぞれの赤い一冊。
それぞれに「制作」されていく一冊。そして本を読み、考え、論じたり、アートを鑑賞したり、日常を送る中で、この本を通じて私たちが「制作」されること。
少しだけその体験を得ることができた気がする。まだ、むろん未完である。 (S)
この記事の中でご紹介した本
「制作へ 上妻世海初期論考集」出版社のホームページはこちら

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