椹木野衣・樋口真嗣対談(司会=仲世古佳伸) 特撮のDNAと現代美術 特撮のDNA ―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―」展開催を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月7日 / 新聞掲載日:2015年12月7日(第3268号)

椹木野衣・樋口真嗣対談(司会=仲世古佳伸)
特撮のDNAと現代美術
特撮のDNA ―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―」展開催を機に

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ゴジラ 第4形態2号雛型(着彩検討用) TM& © TOHO CO., LTD
一二月一九日から、東京・西蒲田の日本工学院専門学校「ギャラリー鴻」で、「特撮のDNA―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―」展が開催される(詳細は8面参照)。独自に発展してきた日本の特撮とその継承者たち、造形の技に着目した展覧会となる。これを機に、美術批評家の椹木野衣氏、『シン・ゴジラ』を監督した樋口真嗣氏に対談をしてもらった。司会はアートディレクターの仲世古佳伸氏にお願いした。

★東京初開催決定!! 特撮のDNA ―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―

      (編集部)
第1回
幼少の頃の記憶

仲世古 佳伸氏
仲世古 
 大田区にある専門学校のギャラリーで、一二月一九日から、「特撮のDNA―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―」という展覧会が開かれます。僕は二年前からこの特撮展のプロジェクトに関わっていて、特撮に心ときめいた少年時代のことを思いだしながら、展覧会の準備をしてきました。ちょうど準備をはじめた頃に、樋口さんが監督された『シン・ゴジラ』の上映があって、今までにないゴジラ映画の出現に、大変なショックを受けたことを覚えています。そこでひとつ気になったのが「シン」という言葉の響きだったんですね。それがずっと頭に残りながら、昨年九月でしたか、椹木さんが『震美術論』という本を出された。「シン」繋がりといってしまえば何なんですが、椹木さんの言葉を使えば「悪い場所」としての「日本列島」から、特撮と現代美術の関係を見渡した時に、何かおふたりから面白い話が聞けるのではないか。そんな直感もあり、お声をかけた次第です。最初に、ご自身の特撮・怪獣体験について振り返っていただき、ひと言ずつお話しいただきたいと思います。
樋口 
 最初の出会いは、物心つく前のことで、既に世の中が怪獣ブームになっていたと思います。今ほど価値観が多様化されていないし、空前の子どもの数だったこともあり、我々の世代は、結構雑に育てられているんですよね。そんな時代だったから、親たちも、これを見せておけばいい、おもちゃにしても、これを買い与えておけばいい、特撮映画・怪獣物というのは、そうした消費財のひとつだったと思います。給食にしても、とても料理とは呼べる代物じゃなかったし、それと同じで、大量に生まれた子どもたちには、このぐらいのものを与えておけばいいだろうと、大人は考えた。僕らは、そういうものを大量に浴びて、毎日見ながら育ってきていますから、当然のことながら、中毒になるわけです。けれども、ある程度の年齢になると、「そんな子どもだましのものは、見るもんじゃありません」「おもちゃで遊んでる暇があったら、勉強しなさい」と、いきなり手のひら返しをされた。でも、そうじゃないんですよ。自分の中では、勉強よりも尊いものだった。そのうち、日本国内であれば『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』があり、アメリカからは『スターウォーズ』がやってくる。子ども向けに作られたものでありながら、そこには作り手のエゴがあった。しかも前向きのエゴです。それをきちんと汲み取って、僕らを導いてくれた先輩たちがいたわけですね。大人たちからは「ゴミ」扱いされたものに対して、文化的価値を付けてくれた。その人たちの言葉に乗っかって、俺たちは間違っていないんだと、理論武装しはじめる。特撮博物館にしても、今回の「特撮のDNA」展にしても、そういう要素があるんじゃないか。特撮や怪獣映画が持つ価値を明確化し、それを広く伝えていく。結果として、これまで言葉にできなかった人たちが、自分の人生は間違っていなかったんだと気づく。自分たち作り手も、そういうことをもっとやっていかなければならないと、僕は思っています。これは椹木さんのなさっている評論とも、おそらく重なってくることだと思いますね。
仲世古 
 椹木さんは、樋口さんより三歳年上の、ほぼ同世代ですが、いかがでしょうか。
椹木 
 特撮という言葉を、いつから自分が使いはじめたのか、よく思い出せないんですよ。ただ、そんな時分から、ものすごくはまっていたことは確かです。怪獣図鑑を自分で作ったり、新しい怪獣をデザインしたり、とにかく怪獣が大好きで、毎日が怪獣だった。僕の場合は、中学生になる頃からバンドを組んで音楽の方向にいったこともあって、しばらくは距離がありました。もう一度自分にとって必要なものだと感じたのは、美術評論家として文章を書くようになってからのことです。僕は一九九一年に『シミュレーショニズム』を書いて世に出るんですが、これはニューヨークの最先端のアートについて書いた本です。ボードリヤールやフーコーといった思想家に影響を受けた、新しい世代の美術家たちが出てきて、その動きをいち早くキャッチし、日本に伝える。だけど、そういう仕事をしながらも、これはあくまでもニューヨークで起こっていることであって、自分の住む日本でも、それに対峙できる立ち位置が、美術評論家としてどうしても必要なんじゃないか。そんな思いは、漠然と持っていました。当時は、村上隆さんやヤノベケンジさん、会田誠さんといった美術家たちが、ちょうど世に出るタイミングとも重なっていました。同世代で、なおかつ僕と同じように、かつて特撮やマンガや怪獣が大好きで深く影響を受けた人たちです。それが一旦アカデミズムにどっぷり漬かって、やはり接点を失う。しかし美術家として出発する際に、もう一度先に進むために、幼い頃に出会った特撮・怪獣などとの接点を取り戻そうとしはじめた。そうした一連の作家たちがいたわけです。その人たちについて語れる言葉が必要だと思った。でも、なかなか見つからなかった。転機は、九五年の阪神・淡路大震災とオウム真理教事件です。こういうことが起こる場所であるのを前提にして、美術批評をやっていかなければならない。物を書く人間は、欧米と同じ土壌の上で書けるわけではなく、その違いを突き詰めて考えなきゃいけないと思った先に、日本ではなく日本列島が独自に生み出した「何か」を探していくことになった。その過程で、原体験としての怪獣に突き当たったんですね。
仲世古 
 九九年に椹木さんがキュレーションされた「日本ゼロ年」(水戸美術館)では、『ウルトラマン』の怪獣をデザインした成田亨さんを取り上げていたのは、そういう意図があったんですね。
椹木 
 最初は世代的なものから考えていったんです。東京オリンピックの頃に、テレビが一斉に普及し、全国津々浦々、夜の七時から同じ番組を見るという共有体験が出来上がった。次の日学校で、子どもたちは、前の日に見た怪獣番組の話を必ずする。そういう体験が、たとえば村上さんやヤノベさんと話していても、個を超えて残っている。でも、そこから世代を超えないといけないと思ったんですよ。そうすると、共通体験になっている怪獣や特撮映画の、さらに根っこに何があるのかを知らなければならない。同世代の中で記憶を確認しているだけではなく、歴史の中で、アートと特撮を繋げる橋を探そうとしたわけです。その時にまず、僕は『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の怪獣や基地、武器を、いったい誰がデザインしたんだろうという関心から、成田亨さんについて改めて調べはじめた。名前は知っていても、批評の対象としては考えたことはなかった。成田亨という彫刻家は、元々武蔵野美術学校で洋画を専攻していて、途中から彫刻に転科し、「新制作展」で新人賞までとる気鋭の彫刻家だった。それが『ゴジラ』をきっかけにして、特撮映画に関わるようになる。後に円谷プロダクションに入り、『ウルトラQ』の途中から、怪獣のデザインをはじめる。ご本人にとっては必ずしも納得のいく仕事ではなかったかもしれませんが、怪獣やヒーローのデザイン画の中に、近代彫刻や絵画の要素が入っているはずだと、僕は直感的に思ったんです。元になったデザイン画を見れば何かわかるんじゃないか。そう考えて、成田さんのお宅にお邪魔して、原画を見せてもらいました。想像していた通りで、そこにはアートや神話、生物学・植物学、いろんなテクノロジーの要素がぎゅうぎゅうに入っていた。アートと呼べるかどうかわからないけれど、少なくともただのデザイン画ではない。何かこれについて語る術はないかと思って、「日本ゼロ年」の重要な一角としてキュレーションしていったわけです。
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