椹木野衣・樋口真嗣対談(司会=仲世古佳伸) 特撮のDNAと現代美術 特撮のDNA ―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―」展開催を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月7日 / 新聞掲載日:2015年12月7日(第3268号)

椹木野衣・樋口真嗣対談(司会=仲世古佳伸)
特撮のDNAと現代美術
特撮のDNA ―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―」展開催を機に

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第5回
破壊のカタルシス

樋口 真嗣氏
仲世古 
 円谷英二さんの話になったので、その師匠である枝正義郎さんについても、ちょっとだけ触れておきます。特撮というと、円谷英二からだと思っている人がほとんどなんですが、『大仏廻国』という最初期の特撮映画を撮った監督です。一九三四年の作品です。一方で、『江戸に現れたキング・コング』という一九三八年の映画があります。この作品で、キング・コング役と同時に特技監督もやった大橋史典さんという人物がいます。後に第一作の『ゴジラ』にも関わるし、テレビの『マグマ大使』の特撮監督もしている。円谷さんと、枝正さん、大橋さんが三角関係にあって、親しい付き合いをしていた。
樋口 
 円谷さんが『ゴジラ』のあとに東宝でやった、『獣人雪男』という映画があります。「キング・コング」ものの最初の作品です。その造形を最初に担当したのが、大橋さんだった。写真だけが残っていて、実は現場でボツになっているんですが、大橋史典さんは、調べていくと相当面白い人ですね。
仲世古 
 美術史と同じように、特撮史の流れがあるとすると、円谷英二を筆頭にした特撮の歴史があります。ただ実は、今いったような、特撮黎明期の時代に、評価の定まらない特撮映画の歴史もあるということですよね。そういうものが入り交じって、日本の特撮は独特のテイストを作っている。
樋口 
 当時の資料を見ているとわかりますが、特撮映画というのは、所詮は見世物なんですよね。見世物としてのいかがわしさがある。ただ、円谷さんが最終的にたどり着いたのが、東宝というビジネスライクの映画会社だった。日本で最初にプロデューサーシステムを取り入れたのも、東宝だった。もし違う会社だったら、作品はもっといかがわしくなっていたはずです。そこを絶妙なバランスで撮っていたので、奇跡的にうまくいったんだと思いますね。
椹木 
 元々は見世物小屋の延長線上で、多くの人が同時に見られる娯楽として映画(活動写真)があった。円谷英二も、そうした映画史の中にいたと思います。ただ円谷は、戦中に国策映画を撮りましたよね。一九四二年の『ハワイ・マレー沖海戦』で、真珠湾とマレー沖の特撮を担当し、帝国日本がアメリカとイギリスをやっつけたという記念碑的な映画を完成する。当時はまだ「特撮」という言葉はなかったと思いますが。
樋口 
 トリック撮影ですね。
椹木 
 『ハワイ・マレー沖海戦』は、その迫真さに今見てもびっくりします。たんなる見世物ではなく、国民を煽動するためのプロパガンダとして作られている。この作品で、プールを使った海戦の技術も確立された。それが戦後の『ゴジラ』へと繋がるし、もちろん「ウルトラ・シリーズ」にも反映されていく。その意味でも、『ハワイ・マレー沖海戦』は大きかった。
樋口 
 あそこで培ったものが、『加藤隼戦闘隊』以後の戦争映画にも役立っていくわけですよね。結局、映画を盛り上げるために、何が一番効くか。破壊なんです。敵の基地を粉々に吹き飛ばすとか、軍艦を沈めるとか、とにかく破壊のカタルシスが、人々の感情を一番煽ることができる。椹木さんが今いわれたけれど、それが結局『ゴジラ』という映画にも繋がっていく。『ゴジラ』の作られ方を考える時、ポイントはふたつあります。まず三ヵ月という短い期間で作らなければいけなかった。円谷さんは、本当はレイ・ハリーハウゼンみたいに人形アニメでやりたかった。だけど三ヵ月ではとても無理です。じゃあ、その条件で、効率的にキャッチーなものを作るにはどうすればいいか。戦争映画の時に培った方法論を使う。しかも、一緒に作っていたスタッフが全員残っているわけですからね。同じスタッフで何ができるのか。破壊と炎上だった。そう答えを出しながらも、合成技術もありませんから、仕方がなく、でかい怪物を、セットの中に置くしかなかった。そうした条件から結果的に、選択肢として、着ぐるみという考え方しか残らなかったんだと思いますね。これが大うけして、日本の特撮映画のスタイルを固定しいくことになるわけです。
仲世古 
 『シン・ゴジラ』も意識的に、いかにも中に人が入っているような感じで、CGが作られていますよね。
樋口 
 あの時は、野村萬斎さんにモーション・キャプチャーで演じてもらって、同時に、アメリカから、佐藤篤司さんというCGのアニメータも呼んでいるんです。当初は二種類撮って、いいとこどりをしようとしたんです。佐藤さんは『ロード・オブ・ザ・リング』や『キング・コング』『ホビット』に携わった人で、でかいモンスター系のアニメーションを数多く作っている。彼のCGは生きものとしてはリアルで、本当に素晴らしいアニメーションだった。でも、生きものらしくなればなるほど、そのリアリズムが、ゴジラにとってマストかというと、そうではなかった。リアリズムということでいうと、野村萬斎さんの話がとても参考になりました。野村さんとは『のぼうの城』でご一緒しているんですが、それ以来、僕も狂言を勉強するようになったんです。狂言って何がすごいのか。理屈を飛ばす瞬間があるんです。普通ならば、感情の変化とかを、丁寧に積み上げていかなければいけないんだけれど、心変わりをポンとやって、えっと驚く。その驚いた瞬間を見てもらう。そこに理由付けはいらない。そんなことを、野村さんはおっしゃっていました。フィクション映画も同じなんじゃないか。『ゴジラ』にしても、あまりに理詰めで、説得力だけを優先するのではない。なぜそうなるか、わからないようなものをポンと出す。それが面白いと思うんです。
仲世古 
 そこがアメリカの『ジュラシック・パーク』とは違うところですよね。
樋口 
 『ジュラシック・パーク』は、アカデミズムに裏打ちされていて、本当はこうだったということを突き詰めていかなければならない。それがいいところでもある。ところが同じことを怪獣映画でやった時、本当にそれでいいのか。アメリカで製作された二本の『ゴジラ』は、どちらも生きものとしてのリアリズムが追求されていた。最初のものは、でかいイグアナとして解釈されているし、二本目は、恐竜には見えないけれど、実際にでかい生きものをどう見せるかということに注力していた。振り返って考えると、最初僕が『ガメラ』の特技監督をやった時って、怪獣が着ぐるみに見られるのがすごく嫌だったんです。小さく見えること、着ぐるみにしか見えないことが嫌で、こういう生きものが本当にいるんだという大前提で作っていた。あれから四半世紀近く経って、『ゴジラ』をやろうと思った時、何を考えたのか。質感はCGを使って、いくらでも本物に見せる方法があります。ならば、そこに何を吹き込むのかが一番重要だった。
仲世古 
 『ゴジラ』に関しては、先程も触れましたが、日本列島で生まれたという要素が大きいと思うんですね。だから、ハリウッドが真似しようと思っても、決してうまくいかない。二〇一四年のアメリカ版『GODZILLA』は、日本の『ゴジラ』を意識して作ってはいますが、何かが違う。『シン・ゴジラ』は全部CGですが、あの動きが、やはり日本の風土で生まれた特撮のDNAを受け継いでいますね。その差は大きいと思います。繰り返しになりますけれども、椹木さんが、日本列島を「悪い場所」という観点から、非常にユニークな批評を書かれている。そういう日本列島の地形の内でしか生まれてこなかった美術や表現がある。ゴジラの動きも、極めて日本的身ぶりが明確に出たひとつの文化であり、やはりおふたりは同じ日本という場所でものを考え、片や映画を製作し、片や評論を書いている。そんな気がしてなりません。
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