椹木野衣・樋口真嗣対談(司会=仲世古佳伸) 特撮のDNAと現代美術 特撮のDNA ―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―」展開催を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月7日 / 新聞掲載日:2015年12月7日(第3268号)

椹木野衣・樋口真嗣対談(司会=仲世古佳伸)
特撮のDNAと現代美術
特撮のDNA ―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―」展開催を機に

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第6回
怪獣デザインの飛躍

椹木 野衣氏
椹木 
 コンビならではのあり方という点でいえば、怪獣映画における成田亨・高山良策の組み合わせの果たした役割がとても大きいと思うんですね。成田さんの御宅にお邪魔した時、「いつも枕元において、火事があったらすぐ持ち出せるようにしてるんだ」というブリキの缶を見せてもらいました。その中に保管されているデザイン画を見ると、元々は彫刻家だから、平板ではないんです。三次元の怪獣になることを想定した形になっている。それを画家である高山さんが、実際に造形していく。彫刻家の成田さんが二次元のデザインをし、画家の高山良策が着ぐるみにするという不思議な掛け合わせがあるわけです。もちろん『ゴジラ』に端を発したことなんですが、日本の近代美術における正統な後継者からなるコンビが、怪獣映画の造形の歴史を担っていたんじゃないかと思いますね。
樋口 
 成田さんが円谷プロに入って、明らかに怪獣のデザインが変わりましたよね。そこに大きな飛躍がある。それ以前、たとえばキングギドラにしても、羽根のはえた八岐大蛇ですからね。神話をモチーフにしていたり、明確な出自がある。それが成田さんからは、デザイン優先の怪獣になっていく。怪獣にデザインという概念を初めて持ち込んだのが、成田さんだった。
椹木 
 成田亨の「新制作展」時代の作品は、現状で一点しか残っていなかったと思いますが、抽象と具象を統合したような彫刻で、そうした造形のセンスが、怪獣のデザイン画にも生かされています。なおかつ、それを高山良策が、人間が入るための配慮をして、独特の膨らみを作り、それで怪獣の持っている何ともいえない造形感が出てくる。中に人が入ることによってしか出てこない、あの形が生まれたわけです。顕著なのは、四つ足歩行の怪獣です。そもそも関節の付き方が違うのに、うまく成り立たせるため、随所で頭もひねり工夫して作っている。たとえCGの時代になって、人が入らなくなったとしても、そうした本来の着想が生かされていると、怪獣だなっていう感じがしますね。ロボット怪獣のような場合でも、たんなる抽象じゃなくて、生命現象を予感させるようなアイテムを付け加えている。たとえば光るとか回るとか、そういうキネティック・アート的なディテールが施されたものが、怪獣だと思いますね。
樋口 
 光らせるというのは、かなり大きい要素ですね。地球上の実存する生きものにはない光る部品が、なぜだか付いている。この飛躍はすごいと思いますよ。
椹木 
 成田さんの彫刻時代の作品を見ていると、半分機械で半分生物みたいな形状が多いんですよ。ギャンゴやウインダムといった怪獣を見ていても、生物なのかロボットなのかよくわからない。美術とデザインとテクノロジー的な要素が分ち難く合体している。それはアメリカの怪獣映画にもないし、東西の美術史の中にも出て来ない。怪獣としかいいようがないものです。
樋口 
 椹木さんの話で思い出しました。飯塚定雄さんという現役最長老のCGデザイナーがいるんです。今年八七歳になりますが、未だに『仮面ライダー』の稲妻を描いたりしている。飯塚さんは、最初の『ゴジラ』の時には美術スタッフで入ったんですが、元々絵描きだったこともあって、『地球防衛軍』で、円谷英二さんに、光線を描く部門に配置換えさせられた。円盤から「ファンファンファン」って出る輪っかがありますよね。ああいう絵を描いたり、それこそウルトラマンのスペシウム光線も、飯塚さんの仕事です。一〇代の頃は東郷青児さんの内弟子だったらしくて、東郷さんから西洋画の技法を学んだ。それが後々生かされることになったんだと思います。
仲世古 
 キングギドラの炎を描いた人でしたよね。明らかにアニメーションだとわかって見ているんですが、小学生の頃に映画館であの炎がだんだんと変化して、キングギドラが登場するシーンには感動しました。特撮映画って、結局はああいう技術も含めて、ワクワクさせる魅力がありますね。
樋口 
 たんにミニチュアを撮影したというのではない。そこには、まったく違う技術だったり才能がかけ合わさっている。だから、今見てもすごいと思うんですよね。 
仲世古 
 ここで今一度、日本の現代美術を考えるために、椹木さんの『震美術論』の話に戻りたいんですが、椹木さんは二十年前に『日本・現代・美術』を書かれて、それが新しい本では「日本・列島・美術」と置き換えられて、そこから一体何が見えてくるのか。要するに、のたうつ日本列島の姿が、はっきりと見えてきたということですね。圧倒的に他の国と違った風土があり、海に囲まれた日本は、災害にしょっちゅう見舞われ、そうした悪い環境の中で、西洋とは違う日本独自の美術を生みだしてきた。そのような視点で、これまで日本の美術が語られたことはなかった。椹木さんの本を読み、読者はそういう背景に気づかされ、美術そのものの見方や認識の転換に戸惑うことになる。
椹木 
 日本列島独自の風土から生まれた美術は、やはりどこかで西洋の美術とは違う。ただし、実際にそこで創作をつづけていた人たちは、どういう思いを持ってやってきたのか。「日本ゼロ年」をキュレーションした時、岡本太郎や成田亨、横尾忠則さんらを一緒に並べて展示しました。みな、西洋モダニズムの教育を受けて美術やデザインをはじめたけれど、岡本太郎なら日本列島を探索して歩き、縄文土器と出会い、そちらの方にも引っ張られた。でも、美術家としての自分を保ち、常に西洋と日本とに引き裂かれながら創作をつづけた。精神的にタフでないとできなかったと思います。横尾忠則さんにしても、元々はグラフィックデザイナーとして出発している。それが画家宣言をした。ただ、画家宣言をしたからといって、画家になったかというと、そうではない。デザインからファインアートといった大きな振れ幅の中で、自分の身の置き所を決めてしまうことがないから、あそこまで多様なものが出てくるんじゃないか。これが日本列島の美術だと胸をはれるような、安定した立場ではない。それこそ地震のようにいつも揺れている。成田亨だって、そうだったと思います。むしろ、つねにアイデンティティが危機にさらされる。「自分がやっていることってなんなんだ」と考えつづけるのは、精神的には厳しいことだと思います。特撮や怪獣も、そういう裂け目から出てきたのだと思います。
仲世古 
皆さん拡散する自我意識が強く、ずっと未分化な状態を維持せざるを得なかった。自分自身でもはっきりできない何か、ひとつに集約できない大きなものを持っているのかもしれません。

今日は、特撮と日本の現代美術の領域を横断しながら、おふたりにお話をうかがってきました。個人的には、椹木さんが「日本ゼロ年」で成田亨さんを取り上げたことの意図が、ずっと気になっていました。今回、仕事で「特撮のDNA」展を準備しながら、特撮と現代美術の二つのジャンルをフラットにした状態で、今日本で起きている表現に関わる時代精神とは何なのか、を問いかける機会をつくりたかった。そんな思いが、原点にあります。そういう意味では、冒頭に申し上げたように、椹木さんの『震美術論』を読みながら、『シン・ゴジラ』の、あのSNS時代の日常的なオープニング・シーンを思い浮かべ、日本列島の現在の不安定な風景と姿を感じたということにも重なってきます。おふたりに話をうかがい、こうした議論が、美術や特撮、アニメといった枠を超えて、さらに広がりを持って展開していくことが大事なんじゃないかと思っています。

★東京初開催決定!! 特撮のDNA ―『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで―
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