母の前で 書評|ピエール パシェ(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年12月8日 / 新聞掲載日:2018年12月7日(第3268号)

空に投げ出された言葉について
それもまた「言葉の本質」なのではないか

母の前で
著 者:ピエール パシェ
翻訳者:根本 美作子
出版社:岩波書店
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私たちは何かを口に出そうとするとき、相手がそれに対してどんな言葉を返してくるかをすでにある程度予想している。挨拶はその最たるものだ。相手の返答をある程度予想しているからこそ、私たちは挨拶の言葉を口にすることができる。私たちにとって、相手はいくつかの考えられる選択肢のなかからどれかを選んでくるのであり、そのどれでもなかった場合には、私たちは新鮮な驚きを覚える。しかし、相手の答えがあまりに突拍子もないものだった場合には、驚きというよりは懐疑の念が頭をもたげてくる。まずは相手が冗談を言ったのか(というのも、端から見ればコントのような場面だから)、あるいは自分の言葉を聞き間違えたのかを確かめるだろう。そして、そのどちらでもないことがわかると、相手が言語コミュニケーションに関する何らかの欠陥を抱えているのだと判断するだろう。私たちの言語は言語の外にすでに存在している現実を記述するだけではなく、形式的にそう見えたとしても(「いい天気ですね」)、むしろ言うことそのものによってコミュニケーションの役を果たしているのだ、というのは二〇世紀の言語学が説いたことである。そこに言語の本質を見る立場からすれば、会話にならないような言葉を返すというのは、言語に関する本質的な機能を損失してしまった状態ということになるだろう。

突拍子もない返答というのは、相手の言葉や自分たちの置かれた状況といっさい関係のない、いわば回路を外れた言葉ということである。本書でピエール・パシェが現在進行形で描き出すのは、百歳を迎えようとする年老いた彼の母が、視力や身体能力が衰え、記憶が混沌とし、正常な時間の感覚がなくなり、自分の前にいるのが誰かもわからなくなった状態で、そのような、周囲と分断された言葉を口にする様子であり、その言葉である。本書の表現で言えば、その場の状況に対応する「可動性」を失い、「離脱」した状態で発される言葉である。

著者は、一人で暮らす母の家を訪れ電話をし、認知の混乱が進んで母が病院に移ってからは週に二、三度病室を訪れながら、帰宅してはメモ(本書)を書く。認知の混乱の徴候が現れ始めた頃から、彼女の内でいったいどんなことが生じ、それはどのように進行しているのか、「母の前」にいるときに自分が聞いている言葉は何なのか、なぜ自分は自分を息子と認識しない、かつて母を母たらしめていたものの多くが失われた人物のもとを訪れ続けるのか、といったことについて、著者は、医者とも言語学者とも違う仕方で考察を続ける。その語調が、前半の「内なるラジオ」や「独りでしゃべる」では言葉を語ることの「歓び」を語って肯定的であるのに対し、続く「言葉の括約筋」では徐々に「悲哀」や「絶望」が感じられるようになるのは、前述の通り、この「メモ」が進行形で書かれていて、母の能力がすべてにおいて衰退していくからである。

では、この「メモ」は何のために書かれているのか。著者ははっきりこう述べている。「いまでは彼女のものとなった(そして同じ病院に滞在している他の人たちのものでもあるのだが)このしゃべり方について報告しているのだ」。本書は「このしゃべり方」、つまり、会話の回路を外れて「空中に投げ出されるフレーズ」についての詳細で興味深い報告である。翻訳が読みやすいこともあり、私たちは著者の思考に寄り添って考察を辿ることができる。それによれば、私たちの精神生活は内的対話により成り立っているが、母の言葉は内的言語に備わるはずの対話性を失っており、外側から彼女に取り憑いたようになっている。それによって彼女の口からは、現実と接点をもたない語のかけらが飛び出してくる。彼女は覚醒によって中断されることのない、「収まりきらなくなった夢」を生きている。

気になったのは、この「しゃべり方」についての知に関して、著者がやや悲しい形容をしていることである。「母と接しながら、そして彼女の遂げる変化のもたらす作用を感じながらわたしがわかったことは、ある種の負の知だ」と。私たちが日常的に意識もせずにできていることがどんなことであるのかが、それができなくなった母の様子を通してわかるようになったのだと。しかし、本書を読み終わったいま、私が著者に言いたいのは、本書に描かれた「しゃべり方」が与えてくれたのは、「負の知」だけではないということである。著者は「独りでしゃべる」のなかで、子供は「飛空する言葉の本質と戯れているのだ」と述べたうえで、彼の老いた母の言葉を子供の言葉から区別している。しかし、内的言語を黙らせるという「大人」の能力をもたず、外側から取り憑いた言葉が口をついて出ること、終わりのない夢のような「お話」を頭のなかで生きること、それはやはり、空に言葉を投げ出すこと、「飛空する言葉の本質と戯れ」ることではないだろうか、それもまた、「言葉の本質」なのではないだろか。コミュニケーション重視の言語学に抗して、そのような直観を、私は本書から得た。
この記事の中でご紹介した本
母の前で/岩波書店
母の前で
著 者:ピエール パシェ
翻訳者:根本 美作子
出版社:岩波書店
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