前世は兎 書評|(集英社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年12月8日 / 新聞掲載日:2018年12月7日(第3268号)

様々な信仰のあり方
母性への依存にも似た甘えも見え隠れする

前世は兎
出版社:集英社
このエントリーをはてなブックマークに追加
前世は兎()集英社
前世は兎

集英社
  • オンライン書店で買う
人は何かしら信じていないと生きられないものらしい。家族の愛だったり、自分の仕事の意義だったり。宗教など流行らない日本だが、だからこそ自らを「普通」だと考える人々の考える「現実」や「常識」の中に、様々な信仰が入り込む。経済が停滞し、社会が揺れ動き、家族も会社も信じられなくなった今は国への愛が亢進しているようだ。たかだか百五十年の歴史に過ぎない日本国家への愛や政府への忠誠を示そうとして、シリアで拘束されたジャーナリストを叩いたり、ヘイトスピーチをしたり。それも彼らなりの信仰であり、正義なのである。

本書では性の欲望や恐怖など人間の皮一枚の下にある情動が露わにされて渦巻く短編群に、様々な信仰のあり方が写し出されている。救いを求める人々の信仰は、時には国家によって操作の対象となり、また人を見下し、攻撃するきっかけともなる。

作品世界では、人々はいつでも起きるかわからないテロに怯えて獏の置物にすがり(「夢をクウバク」)、化学兵器で荒廃した国土で、樽に一本だけ差された桜の枝の前で花見の写真を撮ってSNSにアップしてはお互いに「いいね」をしている(「梅核」)。最後の作品「ランナー」では国土は何らかの巨大事故によってすっかり汚染され、人々は飢えと汚染から来る症状に苦しんでいる。そんな状態であっても、いやだからこそ、人々は愛国心を鼓舞し、国による救いにすがりながら生きている。

でっちあげられ操作される信仰が蔓延する本書の作品世界で光を放つのは、個人的な信の世界を生み出し、それがいかに異様なものであろうと、自らの存在をかけて守り抜いている者たちである。文字通り「宗教」と名付けられた作品は通販カタログを聖典として細密に書き写す作業を続ける女性の話である。表題作「前世は兎」に登場するのは兎だった前世を記憶し、瞬間の快楽を超えた価値を否定して生きる女性。彼女はついには人間の世界を捨ててしまう。また「沼」では汚染された沼の水に身体を浸すことで超越に至ろうとする者たちが描かれる。

こうした者たちの多くが女性であるのは、個々の作品を超えて執拗に繰り返される大きな尻の女性への言及も相まって、女性が内に持つ(と男性が信じる)自然への強い思い入れを感じさせる。しかしそこには、母性への依存にも似た、いささか虫がいい甘えも見え隠れする。

そうした問題が噴出しているのは、「ランナー」の「私」(男性)と姉の関係だろう。「ランナー」では冒頭に家長である父の権威が失われる瞬間があり、それと入れ替わるように、姉の存在の大きさが描かれていく。姉はかつて震災を思わせるカタストロフィの際に「私」の命を守り、その代償に右半身が痣だらけとなっている。慈愛と強さと底知れぬ知恵を兼ね備えた姉は「南京子みなみきょうこ」という、かつて日本軍の暴虐の犠牲となった都市を思わせる名を持っている。

極めて危険である代わりに参加者の家族には年金が支給される「国体護持女子マラソン」への姉の参加が決まり、家族は期待に胸を膨らませる。姉は逃亡を図るが、「私」は姉をとらえ、殴り殺してしまう。

弟の一人称で語られるこの小説の結末で、姉は、マラソンに出ないという、自分の意思を守り通したのだろうか。それとも弟の近親相姦的な妄想に飲み込まれていったのだろうか。どちらとも取れるのだが、弟視点で描かれた物語には、姉を都合よく聖化して荷を負わせつつ同時に貶め、結局は彼女を食いつぶして生きるというダイナミズムが露わである。「ランナー」という作品にはそれへの批判があるのは確かだが、同時に女性の聖化の描写そのものに魅力があって(それは「前世は兎」「宗教」にも共通する)作品の核になっているのである。

実質的な平等を求める女性の要求は、今の日本で起きている最も本質的な動きであるが、同時に男性側の依存心理をも強める面を持っている。それほど女性が強く、賢いのであれば、女性の優位を表面的に認めてでもそれに寄生して楽に生きたいと思う男性はこれから増えていくのではないか。

それは文学的な面でも言えるから、女性を聖化したり一見讃えるかのような男性作家の筆法には注意が必要である。
この記事の中でご紹介した本
前世は兎/集英社
前世は兎
出版社:集英社
以下のオンライン書店でご購入できます
「前世は兎」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
友田 健太郎 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学関連記事
日本文学の関連記事をもっと見る >