アメリカにおける新たな西部劇、見出す デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン「マイ・サンシャイン」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月11日 / 新聞掲載日:2018年12月7日(第3268号)

アメリカにおける新たな西部劇、見出す デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン「マイ・サンシャイン」

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12/15(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほか全国ロードショー!©2017 CC CINEMA INTERNATIONAL–SCOPE PICTURES–FRANCE 2 CINEMA-AD VITAM-SUFFRAGETTES

隣人のオビーが何やら揉めて家具をベランダから外へ放る。それを尻目に、黒人の少年ジェシーは夜の街へ出て行く。少年が食料品店に入ると、同級生の少女で同じく黒人のニコールが万引きをして、アジア系の店主に咎められている。最近、この街でやはり黒人の少女が万引きをしてアジア系の店主に射殺されたことなど、ニコールは意に介さないようだ。店主はニコールを店の外まで追いかけ、二人の黒人の不良が彼女を助ける。だが、不良の一人が卑猥な調子で口説き出す。ニコールが怒って揉めるとジェシーが助けに入り、たまたまパトカーが来て不良たちは退散する。白人警官が不審な白人男性と揉める一方で、ニコールとジェシーは無人になったパトカーに乗り込む。警官は男に拳銃を突きつけるが、ニコールとジェシーにも気づいて、二人にも拳銃を向ける。逃げ出した二人はジェシーの家に着き、酔ったニコールは下着姿になって寝てしまう。デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンの『マイ・サンシャイン』のこのくだりが素晴らしい。説明的な描写もなく、手持ちカメラの生々しさに寄りかかることもなしに、次々と起こる思わぬ出来事を的確なカット割りで示す監督の手腕。二方向に注意を向ける警官を、車内及び外から捉えるカメラの位置の適切さが貴重なものに思える。少女と不良たちの会話では切り返しのリズムが冴え、少女の背が少し低いので、背景が不良たちのショットでは夜空の闇になり、少女のショットでは雨に濡れたアスファルトになるのも秀逸だ。

黒人に暴行を働いた四人の白人警官に無罪判決が言い渡され、街に不穏な気配が漂う。この暴動勃発の描写も圧倒的だ。黒人女性ミリーのアップの背後、画面の奥で、トラックの荷台に乗った白人男性がバットで道路標識を叩き落とすショットが忘れ難い。ショットの頭の唐突なアクションであるが、事前のトラックの動きも事後の逃走も、カメラはきちんと捉えており、出来事の異様さと距離を置いた描写が観客の感性を刺激する。マスクをつけた男たちがパトカーを襲うのが、ジェシーの視線の切り返しによりロングで示されるのもとてもいい。通りに響く銃声。空を旋回するヘリコプターの音。動と静のバランスや抑制の効いた文体が、暴動勃発の描写に並々ならぬ緊張感を作り出している。一九九二年に、西海岸にあるロサンゼルスのサウスセントラルという地区で実際に起こった暴動だ。

フロンティアの消滅が宣言されたのは一八九〇年のことだが、その百年後のこの地区にはどこか西部劇を思わせる瞬間がある。西部劇が語るのは、国家の法が十分に機能しない場所で人々が正義を追求する物語だ。そしてこの映画の舞台も警察や裁判所が全く機能しておらず、市民たちはおのれの正義のために暴動を起こす。また、ジョン・フォードの作品に限らず、西部劇ではしばしば子供が実の親以外の大人に育てられるが、この映画の黒人の子供たちも同様である。ジェシーなど、親のもとで暮らせぬ子供たちはミリーに育てられているのだ。登場人物たちは国家や家族が機能しないなかで、それぞれの正義を求め、人と人の絆を探す。『マイ・サンシャイン』という暴動映画に、民族の多様化がますます進むアメリカにおける新たな西部劇を見出すのは強引すぎるだろうか。

今月は他に、『ポルトの恋人たち 時の記憶』『体操しようよ』『バルバラ』などが面白かった。また未公開だが、ホン・サンスの『あなた自身とあなたのこと』も良かった。(いとうようじ=中央大学教授・フランス文学)
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