読書人紙面掲載 書評
ふたつのオリンピック 東京1964/2020
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更新日:2018年12月8日
/ 新聞掲載日:2018年12月7日(第3268号)
自伝的ノンフィクション
興味深い人間がこれでもかと登場
ふたつのオリンピック 東京1964/2020著 者:ロバート ホワイティング
翻訳者:玉木 正之
出版社:KADOKAWA
ノンフィクションの書き手である、ぼくにとって、ロバート・ホワイティングは評価の難しい作家である。
本書ではメジャーリーグ代理人の団野村についてこう書かれている。
〈団は高校生のときに喧嘩をして学校を追い出され、プロ野球選手にはなったものの、成功することはなく、アメリカで不動産業の世界に入り地位を築いた(週末にラスベガスで儲けた四万ドルを元手に、その仕事を始めたという)〉
ぼくは『球童 伊良部秀輝伝』『ドラガイ』執筆の際、団には何度も話を聞いている。団は現役引退後、アメリカに渡り、旅行代理店、家庭教師、ビル清掃を掛け持ちし、車の中で生活しながら金を貯めた。その金で自分の旅行代理店を立ち上げている。不動産業を始めたのは、バブル景気で金の余っていた日本の顧客から頼まれたことがきっかけだった。
そして団がラスベガスのカジノに通ったのは、不動産業で懐が温かくなってからだ。団の人物描写としてギャンブル的な部分を匂わせたくなる気持ちは分かるが、事実とは違う。
また、バブル時代の体験として、こんな一節もある。
〈横浜市がドーム型の野球場をつくるべきか否かについて、私の意見を聞きたいと若い横浜市長から五つ星のレストランでの昼食に招待された。
席に座ってすぐに「私はドーム球場が嫌いです」と口を開いた。「閉鎖的なドーム内は大抵空気が汚れ過ぎて、まるでジャンボ・ジェットのなかで野球をやっているみたいです
それに横浜のような美しい港町は、住民の誰もが楽しめるような野外球場をつくるべきです」
「どうもありがとう、ホワイティングさん」と市長は言った。「じゃあ、飲みましょう」
私のアドヴァイスに対して、ビジネスのことは忘れましょうと市長は言い、飲んだり食ったりしはじめた。彼は高価なワインを何本も注文し、高級ステーキとロブスターの食事とともにすすめられた〉
そして帰り間際に十万円の入った封筒を渡されたという。
若い横浜市長として想起されるのは、中田宏だろう。しかし、中田が市長になったのは二〇〇二年である。バブル期ではない。
前任の高秀秀信、前々任の細郷道一の市長就任年齢はそれぞれ五九歳、六二歳。若くはない。念のため、中田にホワイティングと会ったことがあるかと訊ねてみたところ「一度もない。そもそも、自分はそんな金の使い方はしない」という返事だった。一体、これは誰の話なのか。細郷、もしくは高秀と会い、後からテレビで中田を観て記憶がすり替わってしまったのか――。
中田はこの手の風評被害により徹底的に痛めつけられた過去がある。彼を追った『維新漂流』という本を書いたぼくは、こうした表現に敏感になってしまう。
とはいえ、ホワイティングの作品が魅力的なことは否定しない。それどころか、ぼくのは彼の熱心の読者でありつづけてきた。
この『ふたつのオリンピック』でも、彼の長年の友人である、玉木正之の軽快な訳も相まって、序盤からいつものホワイティングワールドに引き込まれる。
オリンピックの名前を冠しているが、内容はホワイティングの自伝的ノンフィクションだ。カリフォルニア州ユーレカという港町で育った彼は家族との折り合いが悪く、〈ユーレカからできるだけ遠くに派遣される〉ことを望んで合衆国空軍に入隊。府中航空基地内の諜報部に配属される。ソ連、中国、北朝鮮の共産主義に対する諜報員である――。読者は、ホワイティングの肝の据わった取材の原点はここにあるのだと膝を打つことだろう。
除隊後、英語教師として日本に残った彼は様々な日本人と接することになる。ナベツネこと読売新聞の渡邊恒雄には英語を教えている。作家となった後には、石原慎太郎には東声会の町井久之について訊ねて絶句させる話には思わず笑ってしまう。その他、沖縄出身のヤクザ、高級クラブの女性など、興味深い人間がこれでもかと登場する。
この本を読んでいて、ぼくは水道橋博士の『藝人春秋2』を思い出した。これは博士が芸能界に潜り込んだ〝諜報員〟が渦中の人物に接触していくという〝体〟の作品だ。ホワイティングもまた日本の深部に潜入し、〝美しくない〟この国の現実をえぐり出している(こちらは本物の元諜報員なのだ!)。博士が休養中でなければ、この本で一晩語り尽くすことになったはずだ。
本書ではメジャーリーグ代理人の団野村についてこう書かれている。
〈団は高校生のときに喧嘩をして学校を追い出され、プロ野球選手にはなったものの、成功することはなく、アメリカで不動産業の世界に入り地位を築いた(週末にラスベガスで儲けた四万ドルを元手に、その仕事を始めたという)〉
ぼくは『球童 伊良部秀輝伝』『ドラガイ』執筆の際、団には何度も話を聞いている。団は現役引退後、アメリカに渡り、旅行代理店、家庭教師、ビル清掃を掛け持ちし、車の中で生活しながら金を貯めた。その金で自分の旅行代理店を立ち上げている。不動産業を始めたのは、バブル景気で金の余っていた日本の顧客から頼まれたことがきっかけだった。
そして団がラスベガスのカジノに通ったのは、不動産業で懐が温かくなってからだ。団の人物描写としてギャンブル的な部分を匂わせたくなる気持ちは分かるが、事実とは違う。
また、バブル時代の体験として、こんな一節もある。
〈横浜市がドーム型の野球場をつくるべきか否かについて、私の意見を聞きたいと若い横浜市長から五つ星のレストランでの昼食に招待された。
席に座ってすぐに「私はドーム球場が嫌いです」と口を開いた。「閉鎖的なドーム内は大抵空気が汚れ過ぎて、まるでジャンボ・ジェットのなかで野球をやっているみたいです
それに横浜のような美しい港町は、住民の誰もが楽しめるような野外球場をつくるべきです」
「どうもありがとう、ホワイティングさん」と市長は言った。「じゃあ、飲みましょう」
私のアドヴァイスに対して、ビジネスのことは忘れましょうと市長は言い、飲んだり食ったりしはじめた。彼は高価なワインを何本も注文し、高級ステーキとロブスターの食事とともにすすめられた〉
そして帰り間際に十万円の入った封筒を渡されたという。
若い横浜市長として想起されるのは、中田宏だろう。しかし、中田が市長になったのは二〇〇二年である。バブル期ではない。
前任の高秀秀信、前々任の細郷道一の市長就任年齢はそれぞれ五九歳、六二歳。若くはない。念のため、中田にホワイティングと会ったことがあるかと訊ねてみたところ「一度もない。そもそも、自分はそんな金の使い方はしない」という返事だった。一体、これは誰の話なのか。細郷、もしくは高秀と会い、後からテレビで中田を観て記憶がすり替わってしまったのか――。
中田はこの手の風評被害により徹底的に痛めつけられた過去がある。彼を追った『維新漂流』という本を書いたぼくは、こうした表現に敏感になってしまう。
とはいえ、ホワイティングの作品が魅力的なことは否定しない。それどころか、ぼくのは彼の熱心の読者でありつづけてきた。
この『ふたつのオリンピック』でも、彼の長年の友人である、玉木正之の軽快な訳も相まって、序盤からいつものホワイティングワールドに引き込まれる。
オリンピックの名前を冠しているが、内容はホワイティングの自伝的ノンフィクションだ。カリフォルニア州ユーレカという港町で育った彼は家族との折り合いが悪く、〈ユーレカからできるだけ遠くに派遣される〉ことを望んで合衆国空軍に入隊。府中航空基地内の諜報部に配属される。ソ連、中国、北朝鮮の共産主義に対する諜報員である――。読者は、ホワイティングの肝の据わった取材の原点はここにあるのだと膝を打つことだろう。
除隊後、英語教師として日本に残った彼は様々な日本人と接することになる。ナベツネこと読売新聞の渡邊恒雄には英語を教えている。作家となった後には、石原慎太郎には東声会の町井久之について訊ねて絶句させる話には思わず笑ってしまう。その他、沖縄出身のヤクザ、高級クラブの女性など、興味深い人間がこれでもかと登場する。
この本を読んでいて、ぼくは水道橋博士の『藝人春秋2』を思い出した。これは博士が芸能界に潜り込んだ〝諜報員〟が渦中の人物に接触していくという〝体〟の作品だ。ホワイティングもまた日本の深部に潜入し、〝美しくない〟この国の現実をえぐり出している(こちらは本物の元諜報員なのだ!)。博士が休養中でなければ、この本で一晩語り尽くすことになったはずだ。
この記事の中でご紹介した本
「ふたつのオリンピック 東京1964/2020」出版社のホームページはこちら

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