流砂 書評|黒井 千次(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年12月15日 / 新聞掲載日:2018年12月14日(第3269号)

『群棲』家族の三〇年後の姿
描き続けられた都市の常民たち

流砂
著 者:黒井 千次
出版社:講談社
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流砂(黒井 千次)講談社
流砂
黒井 千次
講談社
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富士正晴―いま大阪茨木市に記念館があり、生地の徳島県三好市では彼の名を冠した同人雑誌賞を出している―は昭和六二年に七三歳で亡くなったが、その数年前、九〇歳を超えていた父親を見送っている。その経緯に触れたエッセイで、葬式を出さねばならぬ息子がこんなにヨタヨタなのだから全く迷惑な親父だよ、と憎まれ口を書いていた。普段から「健康けっこう長寿いや」と嘯いていた人だから、こんな諧謔もみな笑って聞いたのである。

これは、改めて数えてみれば既に一昔前の話になるが、その頃の七〇歳は充分に老人だったし、九〇歳は本当に珍しい長寿だった。しかしそれから三〇年余を経た今日、九〇代の父親に七〇代の息子という取り合わせは少しも珍しくない、ありふれた光景になってしまった。

前書きが長くなったが、右はこの『流砂』を読んで思い出したことの一つだ。ここで語り手でもある主人公は「今や七十歳を越えた自分」と言っているが、同じ敷地内の別屋に住む両親、その父親は「九十代にかかっている」とされている。ちなみに付け加えておくと、そう書いている作者は今年八六歳、この『流砂』は平成二四年二月から本年四月まで、足掛け六年にわたって「群像」に断続的に連載された。描かれた人物たちも描く作者も、まさに平均寿命が男女ともに八〇歳を越えた今という時代を代表し、象徴していると言ってよいであろう。

小説の舞台は東京近郊の住宅地。その奥まった一画に、前述のように二組の老夫婦が住んでいる。この二組の老夫婦の日常が、七〇代の、終始「息子」と自称する主人公の眼から描かれている。周辺には、息子夫婦が子育てに忙しかった頃からの付き合いである隣家の老夫婦がいつの間にか見かけなくなり、空き家がやがて解体され更地になってゆく過程などが、緩やかに動く大時計のように時を刻んで、彼ら家族の物語に影を付けている。その間に九〇代の父親の入院、退院、再入院という、驚きも慌てもしない〝事件〟、ありふれたもう一つの生活が進む。

この父親はもと検事で、昭和一〇年ごろ仕事の必要から思想犯の扱いについての大部な研究報告書を作っていた。時代は転向時代から太平洋戦争時代に移りつつあったわけだ。かねて友人からそのことを聞いていた息子は父親の元気なうちに確かめておこうと訊ねると、老父はあっさりと承知して、二人で報告書を探すことになる。そのうち父親は入院してしまうが、その留守中、偶然くだんの報告書は見つかり、息子は時間をかけてそれを読んでゆくことになる。そして、読むなかで、戦後の一時期、父親が公職追放にあうのではないかと、家族が不安に過ごした日々のあったことなどが回想される。

こんな舞台、こんな家族の話を読みながら、私はこの作者の代表作の一つである『群棲』(昭和五九年)のことも思い出した。あれは、やはり東京郊外の新興住宅地を舞台に、高度経済成長時代のなかで取りざたされた都市中流家族の生活を描いていた。このことは、見方を変えれば、あの『群棲』家族の三〇年後の姿がこの『流砂』の家族図だと言えよう。

作家黒井千次はこんなふうに、常に時代に寄り添って問題を考え、都市の常民たちの現在を描き続けている。
この記事の中でご紹介した本
流砂/講談社
流砂
著 者:黒井 千次
出版社:講談社
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