スクエア 星野智幸コレクションⅠ 書評|星野 智幸(人文書院)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年11月11日 / 新聞掲載日:2016年11月11日(第3164号)

自分の内面に新しい言葉を刻み込む言語世界がそこに

スクエア 星野智幸コレクションⅠ
出版社:人文書院
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私が星野智幸氏の小説に出会ったのは、大学院の博士課程に進んだばかりの頃だった。私は、小学生の頃から本が好きで、中学時代にはヘッセやゲーテ、ドストエフスキーを読み、学部では英文学を専攻していたが、卒業後は日々の生活に追われすっかり文学から遠ざかっていた。三十歳で大学院に入った後も、自分の所属する学問分野である文化人類学や、自身の研究と関係のあるセクシュリティ関連の論文を読むのにせいいっぱいで、授業で文学理論を扱うことがあっても、文学作品そのものを読む機会はしばらくなかった。しかし、今も親しい関係の続いている友人の紹介をきっかけに彼の『嫐嬲』を読み、それ以降、彼の作品を読み続けてきた。時代性を意識しながら、人間の多面性や多層性を描く彼の作品は、私にとって、自分がどこにいてどう生きていくのかということを問う鏡のような存在であり続けている。

最初彼の作品に出会ったとき、しばらく文学作品から離れていたこともあって、正直その文章に「難しさ」を感じた。しかしそれが、言葉の持つ政治性を鋭く丁寧に意識しながら、物語の定型を安易に再生産することを避けるがゆえであることを、作品を読み続ける中で実感するようになった。当初、その文章が、まるで長らく自分の身体の表面に蜘蛛の巣のようにまとわりつくようであり、同時に、内側に食い込み刻み込まれていくような感覚を残すことに驚いた。深刻な社会の切断面を見せつけられることも多いが、不思議とただ気が沈み重くなったりするというものでもなかった。
あるとき、そんな彼の作品を読むことが私にとってどういう意味を持つものか、体感するできごとがあった。それは、沖縄に住んでいた2年前の夏、観測史上最強とも言われる台風が接近し特別警報が出されたときのことであった。そのときは、台風に慣れている沖縄育ちの私も恐怖に近い不安感でいっぱいだった。というのも、台風の強さに加え、その頃越したばかりの部屋が、ビルの屋上に作られたバラックのような部屋だったからだ。本格的な接近の前からガタガタと揺れ始め、これは飛ばされるかもしれないと怯えていた。そんな中、気を紛らわすために手に取ったのが彼の『夜は終わらない』だった。入れ子細工のようにつながりゆく内容にすぐに引き込まれ、風雨が激しさを増し、揺れをともなう轟音の中、夢中で読み続けた。彼自身この作品を千夜一夜物語になぞらえているが、まさに嵐の中、千夜一夜物語を読んでいる気分であった。そして、読み終わり本を閉じたとき、そこには読み始める前の自分と違う自分がいた。確かにそういう感触があった。興味深いことに、これから強くなる台風に対する闇雲な恐怖心もなくなっていた。人は物語が書き込まれ続け形成されていく存在であると、大学の講義で語ってはきたが、それを痛感した。経験したことのないような物語が自分に深く書き込まれたとき、人はどこかしら変容するのだろう。
『夜は終わらない』は、今回出版されるコレクションには収められていないが、彼の多くの文学作品が収められたこの四巻は、まさに新しい千夜一夜物語だ。武盾一郎氏の装画と、表紙の手触りもそんな感触を強くしてくれる。そのページを開き、彼の世界の身を投入するならば、そこをくぐり抜けたとき、また違う自分がそこに待っているだろう。

嵐の中、彼の作品を読んだ体験を振り返るとき、今の時代の中での彼の作品を読むことの意味と重なることに気づく。憎悪が写し鏡の中の像のようにどこまでも続き、増幅し、社会をおおう中、ふと気がつくと不安と恐怖が体の中を満たしつつあるかのような感覚を覚えることも珍しくない。その時代にふと立ち止まるために、自分の内面に新しい言葉を刻み込む言語世界がそこにある。それは、単純に励まされるという類のものではもちろんない。むしろ、傷を受けることに似ている。それは膿んだ部分を切開するときの傷のようだ。

きっと私は、この社会に吹き荒れる嵐に恐怖するとき、このコレクションを開くだろう。自他への憎悪に飲み込まれず、生き延びるために。
この記事の中でご紹介した本
スクエア 星野智幸コレクションⅠ/人文書院
スクエア 星野智幸コレクションⅠ
著 者:星野 智幸
出版社:人文書院
以下のオンライン書店でご購入できます
サークル  星野智幸コレクションⅡ /人文書院
サークル 星野智幸コレクションⅡ
著 者:星野 智幸
出版社:人文書院
以下のオンライン書店でご購入できます
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