悠紀齋田御用精米機製作中の光景|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読写 一枚の写真から
更新日:2018年12月18日 / 新聞掲載日:2018年12月14日(第3269号)

悠紀齋田御用精米機製作中の光景

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大嘗祭齋田稲実成熟の期既に近づき大正四年八月十五日抜穂式場地鎮祭を終りたる両齋田は御用精米機を製作したのである。写真は悠紀齋田御用として精米機製作の御用命を受けたる岡崎町鈴木忠太郎氏宅に於ける精米機製作中の光景である。(『写真通信』大正四年十月号・御即位記念号)


二〇一九年は「天皇の代替わり」の年になる。新天皇の即位をめぐる行事が行われるが、秋篠宮が誕生日を前にした記者会見で、大嘗祭の費用は天皇家の「私費」にあたる内廷費から支出すべきだと異例の発言をして、注目されている。

さて、この写真は一九一五(大正四)年に挙行された大正天皇即位の大嘗祭に関連する一枚だ。大嘗祭とは、新天皇が新穀を神々に供えて五穀豊穣を祈る儀式で、即位式とともに行う。新憲法下で初めて行われた平成の大嘗祭については、政教分離の原則から公金で行うことに批判もあった。

政府は、秋篠宮の提言はそのままに、前回と同様に「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮廷費を支出する方針を決めている。

この写真を取り上げたのは、その賛否を問うためではない。記録として遺しておきたいからである。「伝統」とはなにかを考察する参考となればと選んだ一枚である。
「つねに試行錯誤を繰り返しながら続けるのが伝統」だと、かつて取材した細川護貞氏(故人)は語った。旧熊本藩主家当主として、日本の伝統美術に深くかかわったこの人物は、遺された工芸品というモノではなく、先例や形式にこだわらずに、それぞれの時代を生きたスピリットの積み重ねが伝統なのだと言い切っている。

大正天皇の即位式と大嘗祭は、明治四十二(一九〇九)年に出された「登極令」によるもので、旧来の儀式をそのまま踏襲したものではなかった。即位式は十一月十日、大嘗祭は同月十四・十五日にかけて挙行された。

この写真は『写真通信』大正四年十月号に掲載されたもので、大嘗祭で神前に供える米の精米機を製作しているところだ。

大嘗祭に使用する新米は、その年二月ころに占いで決められる悠紀と主基の二カ所の斎田で育てられ、刈り取られる。これは愛知県の悠紀斎田で使う精米機、岡崎町(現岡崎市)の鈴木忠太郎氏宅で四台を作っている光景だが、少年と見える若い弟子もすべて、作業者はみな「潔斎修祓」というから、身体を浄めてお祓いをし、烏帽子をかぶって白装束を着用している。

この写真の次ページには、「御大典」に天皇が着用する「御衣」のために糸を紡いでいる工場内の写真が掲載されている。こちらも「繰女工」十五名がやはり「潔斎沐浴」して洗髪し白い作業着を着ている様子が写っている。写真でははっきりと見えないが、白衣はどうやら古典的な衣装らしく、みな袖をまくりあげて作業している。しかし、監督の男性たちは着物の上に白く長い上着を着ていて、古来の衣装ではなさそうだ。工場内は天井も作業台も白布で覆われている。午前六時半から午後四時までに三貫(十一・二五キログラム)の生糸を精製したとある。

天皇の即位式は明治に入るまで、時代によっては簡略化していたともされるが、明治政府は宮中行事を整え、復活させている。

皇室典範が出来て以来の、つまりは明治政府初の即位礼は、柳田國男も指摘するように「国威発揚」の大イベントだったのだ。

大正天皇の即位式・大嘗祭は総予算八百五十三万円余、個人消費支出が一人当たり年平均百三十二円三十六銭(『物価の世相100年』読売新聞社)の数字がある。第一次大戦下で日本は大好況のときだった。(いわお・みつよ=ジャーナリスト)
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