2018年回顧 外国文学 アメリカ 声から文字へ、文字から声へ 翻訳のあり方が根底から変化、翻訳独自の文体の創出|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月22日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

2018年回顧 外国文学 アメリカ
声から文字へ、文字から声へ
翻訳のあり方が根底から変化、翻訳独自の文体の創出

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本年は特に翻訳について考えることが多かった。主なきっかけは柴田元幸訳のマーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)とレアード・ハント『ネバーホーム』(朝日新聞出版)である。これらの二冊は、思えば日本語への翻訳のあり方が根底から変化してきていることを示す例として考えられるのではないか。その変化とは、一昔前ならば想像もできなかった「冒けん」という表記の選択(とそれが可能である事実)に端的に示されている。もし「漢字文化圏」に育っていたとしたら「ハックにこの漢字が書けるか」と問いながら、柴田はハックの「文章」ではなく「声」を訳していった。昔ならその問いは異様に聞こえただろう。「この小説に限らず、翻訳しているときは、こいつはどう喋っているのかと耳を澄まして、聴こえてくるものを書き取っている」(二月九日付本紙インタビュー)。そうした柴田の姿勢は『インディアナ・インディアナ』(朝日新聞出版、二〇〇六年)に遡るレアード・ハント作品の翻訳とおそらく強く結びついている。そして『優しい鬼』(同、二〇一五年)の後書きですでに明言されている「声」の重視は『ネバーホーム』に至って驚くべき日本語の文体へと結実している。女であることを隠して兵士となり夫を残して南北戦争を戦う語り手の生々しい息遣いと、言葉のなかに自分を囲い保っていく恐怖と自由とを、ひらがな、カタカナ、漢字という日本語ならではの柔軟さを(規範よりはその特定の声に従って)縦横無尽に駆使して表現していく。これは日本文学の系譜にもアメリカ文学の系譜にも連ならない翻訳独自の文体の創出ではないのか、といって言い過ぎならば、俳優がそれぞれの役の台詞をまさにその本人の声になって出すときのリズムと勢いに最も近い、と喩えておこう。これは単に翻訳の問題ではなく、「書かれていないもの」を交換する特異なコミュニケーションとしての文学/芸術の存在理由をより意識的に考えていくことにも繋がる。

文(テクスト)に耳を澄まして個々の異なる声の複雑さを聞き取るというのは、しかし、アメリカ文学研究では特殊なことではない。研究者の越智博美は「他者に橋を架けること」と見出しを付されたコラム(一〇月五日付本紙)でトランプ時代の米国の分断と対話の不在とを踏まえつつ「文学は言葉の多様な振る舞いの場」でありながら「言葉がテクストとなる」と「暴力性」と「暴力に抗う力」という相反する力を同時に帯びてしまうことを指摘して、その両極間の連続性を明らかにし「遠くの他者、あるいは分断された目の前の他者とのあいだに橋を架ける」研究の重要性を主張した。その意味では、山口和彦・中谷崇編『揺れ動く〈保守〉 現代アメリカ文学と社会』(春風社)は「保守」と「リベラル」の「分裂」にいわば文学研究の「橋を架ける」試みであるともいえる。また、中西佳世子・林以知郎編『海洋国家アメリカの文学的想像力 海軍言説とアンテベラムの作家たち』(開文社出版)は、海が米国建国以来様々に制度化されテクスト化されてきた一方で「言語表象を拒む」存在であり続けたことに着目し、自らを船に喩えて「海の記憶を手繰り寄せ、陸地中心発想からの抜錨を試みる」として、両極のあいだの不可視の領域を探求する。

個人の研究では、男性作家の視線と欲望を分析して表紙も美しい高野泰志『下半身から読むアメリカ小説』(松籟社)、紙幣と貨幣制度が書き込まれたテクストとして文学を読み直して刺激的な秋元孝文『ドルと紙幣のアメリカ文学 貨幣制度と物語の共振』(彩流社)、奴隷体験記から現代に至るアフリカ系アメリカ文学を声(口承文化)と文字(テクスト)との相互浸透という視座から論じた峯真依子『奴隷の文学誌 声と文字の超克をたどる』(青弓社)らを挙げておきたい。翻訳もアキール・シャルマ『ファミリー・ライフ』(小野正嗣訳、新潮社)、ジョージ・ソーンダーズ『リンカーンとさまよえる霊魂たち』(上岡伸雄訳、河出書房新社)、エドウィージ・ダンティカ『デュー・ブレーカー』(山本伸訳、五月書房新社)、それからひっそりと新訳が出ていたシャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ・オハイオ』(上岡伸雄訳、新潮文庫)など、ひとつひとつ取り上げたいものは数多い。当時の移民を知るノンフィクションの古典ジェイコブ・リース『向こう半分の人々の暮らし 一九世紀末ニューヨークの移民下層社会』(千葉喜久枝訳、創元社)も挙げておく。

評論家の小谷真理による追悼記事(三月二日付本紙)で故アーシュラ・K・ル=グウィンが自分の発表する言葉について「最初は考察が足りなくとも、後で正せばいいし、いくらでも書き直せばいい、でも、過去は改竄せず、改変のプロセスは思考をたどる意味でも見えたほうがいい」と言っていたことを紹介している。声から文字へ、文字から声へ、と繰り返し耳を澄まし続けるなかで、いつか我々は、死なない声に巡り合える。
この記事の中でご紹介した本
ハックルベリー・フィンの冒けん/研究社
ハックルベリー・フィンの冒けん
著 者:マーク・トウェイン
翻訳者:柴田 元幸
出版社:研究社
以下のオンライン書店でご購入できます
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