宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談 民主主義は崩壊の過程にあるのか コモンセンスが「虚構」となった時代に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 特集
更新日:2018年12月21日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談
民主主義は崩壊の過程にあるのか
コモンセンスが「虚構」となった時代に

このエントリーをはてなブックマークに追加
第3回
輝ける正義の欺瞞

渡辺 靖氏
宮台 
 五〇年代は、ピケティ的な意味でソーシャルキャピタルを育む中間層が膨らんだ一方、ローティが言うように女と黒人は半人間でした。そんな五〇年代、ポール・ラザースフェルドは『ピープルズ・チョイス』でこう言う。アメリカ市民はそれぞれが小集団に属し、オピニオンリーダーを介してメディアを解釈するから、弾丸理論的な直撃がない。それが知識社会化を支え、民主政が可能になる。要は「スタイルを共有する人々の仲間意識を前提にした民主政しかあり得ない」ということ。ならば元々排除された人々が膨大に存在したことになる。実際にそうでした。渡辺さんがおっしゃるように、昔は本当によかったのか。厳しい質問です。巨大な排除があったので良さげに見えただけ。単に昔が良いと言うのは、見たいものだけを見る御都合主義です。
渡辺 
 この一、二年、国際政治で大きな問題となっているのは、移民・難民です。それまでは、第三国の移民・難民の窮状については、無視することができた。その中で、リベラル・デモクラシーを語っていればよかったわけです。ただ、今や情報も自由に行き交い、物理的な移動も比較的楽にできる。そうなった時、これまで先進国の持っていた輝ける正義というものの欺瞞も、明らかになってきたように思いますね。
苅部 
 一九六〇年代のアメリカについても、かつてはリベラルな社会というイメージがありましたね。それも幻想だった気がします。八〇年代に大学の政治学の授業で盛んに言われていたのは、英米の社会は、一人の人が教会とか労働組合とか複数の集団に所属している「重複的加入」によって支えられているので、多元的な競争が展開しながらも最終的には安定する。そこが日本と違うという話です。いまにして思うと、この話も本当だったのかどうか。トランプを支持するラストベルトの貧しい労働者は、そんな生活をしていない気がしますし、いまに始まった話でもないのでは。
宮台 
 ソーシャルキャピタル(人間関係資本)に恵まれた層があった頃、特に意識せずにその層の中でだけ政治を回せた。今は恵まれた層と恵まれない層がある事実を誰もが意識している。ここから問題をどう開くのかが問題です。議論沸騰中の「カンナビノイド問題」に引きつけます。

一〇月一七日、カナダが娯楽用大麻を解禁しました。アメリカでは三〇州と首都が医療用大麻を解禁している。トランプも大統領候補だった頃からこうした動きを追認する連邦法改正を唱っています。トランプ支持の新反動主義者たちも主張に同調します。理屈は僕らの議論に関係します。

曰く、国民はもはや仲間ではない。仲間ではない連中への再配分は無理。そもそもリベラルは仲間内での再配分を想定していた。一時は奇跡的に国民全体が仲間になった。今後は無理。だから再配分も無理。でも再配分せず放っておけば秩序が乱れる。再配分に代わる手段がテクノロジー。第一は拡張現実や仮想現実の如きゲーミフィケーション技術。第二は大麻を代表とする無害なドラッグ。両方とも共通して再配分抜きに人から痛みを除き幸せにする力がある。再配分より統治コストが下がって合理的です。解禁の論理は、解放論ではなくコストに注目する統治論。

これを肯定できるのか。法哲学周辺で賑やかな功利主義論争が参考になる。功利主義的には幸せとは快楽です。快楽はドーパミン濃度やノルアドレナリン濃度やセロトニン濃度やオキシトシン濃度で計測できる脳状態です。その脳状態を何を用いて実現しても快楽は快楽です。拡張現実だろうがドラックだろうが再配分された富との戯れだろうが機能的に等価。そう、これがベンサム的功利主義の立場です。

J・S・ミルがこれに対抗する。快楽にも「よい快楽」と「悪い快楽」があり、苦痛にも「よい苦痛」と「悪い苦痛」がある。「よい苦痛」の典型が通過儀礼や出産。痛みこそが再帰的コミットや愛しみを可能にする上位視座を与える。これに対し、確かにそうだが、「よい・悪い」を評価する価値基準は外から与えられるもの。基準にどう合意するか。それが解けないと議論は絵に描いた餠。誰もがミル的功利主義が本当だと思いながら、そんな外部的基準に同意できるなら功利主義の発想は元々要らない訳で、ベンサム的功利主義の方が学問的にはリアルです。

しかしどんな手段でも脳内で幸せ物質が増えればいいのならば民主政は台無しです。誰かに剥奪されているが故に不幸な状況がある時、その誰かを排除して再配分すべく民主政を使おうという思考が民主政を支えてきました。大麻をやればハッピーになれるのだから不公平の排除は不要というなら民主政も要らない。人々の幸いのために民主政が機能してきた歴史があっても、幸いが置換可能な快楽に過ぎないなら、テクノロジーが民主政を代替します。
苅部 
 その種の統治技術は、中国ではすでに現実化していますね。川島博之さんの『習近平のデジタル文化大革命』(講談社+α新書)にも詳しく書かれている。中国共産党は、国内に言論統制をしく一方で、「偉大なる中国」というイメージを世界中にばらまいている。経済援助を行っているアフリカの国で、貧しい住民にテレビを配り、中国系のチャンネルで自国の宣伝を流し続けるという話もありますね。その住民たちは幸福だと思っているんだから、何が悪いのかという開き直りの態度にも、つながっていくでしょう。
1 2 4 5 6 7
このエントリーをはてなブックマークに追加
宮台 真司 氏の関連記事
苅部 直 氏の関連記事
渡辺 靖 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
学問・人文 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >