宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談 民主主義は崩壊の過程にあるのか コモンセンスが「虚構」となった時代に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月21日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談
民主主義は崩壊の過程にあるのか
コモンセンスが「虚構」となった時代に

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第4回
AI統治と信用スコア

宮台 真司氏
宮台 
 中国は、アメリカと違い、AI統治と信用スコアを全面化しつつある。前者から言えば、ネットを使っていると公安が訪れて「あなたはAIによってマークされた」と連行される。「政治ネタは書いてない」と反論しても「AIの判断。我々には分からない」で終了。AIで得られた情報が優先される。僕の言葉を使えばAIを用いた奪人称化によって統治コストを下げる戦略です。

信用スコアは、人々に損得計算をさせ、道徳心がなくても見掛け上は道徳的に振る舞わせます。やはり統治コストを下げる戦略で、刑務所も取り締り人員も要らなくなります。中国では既に地域によっては、遠隔地の親を世話するとスコアが上がり、不動産取引でトラブルを避ければスコアが上がり、ネット履歴を汚さなければスコアが上がり、交通違反を避ければスコアが上がります。

これは統治コストを超えた問題に繋がります。僕ら三人が家族だったとする。苅部さんも渡辺さんも僕に非常によくしてくれる。本来ならば感謝します。でも、信用スコア社会では「信用スコアを上げるためにやってるのかな」という疑心暗鬼を生みます。マイケル・サンデルがアリストテレスを援用して言うように、罰を受けて損するから人を殺さない社会よりも、殺したくないと思うから人を殺さない社会のほうが、よい社会だとされてきました。それはどうなるのか。むろん中国政府に言わせれば、そんな呑気なことを言っていたのでは統治できない、で終了です。
渡辺 
 デジタル化社会については、毎年議論しているテーマですよね。関連した本としては、ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』(河出書房新社)が今年出ました。人類がアルゴリズムをあらゆる面で駆使していった先では、人(ホモ)が神(デウス)にとって代わる。かなり大袈裟な理論ですが、人間関係、社会関係を含めて、アルゴリズムにすべて支配されていく、その方向性は、現実もあまり変らないような気がしますね。中国は極端な例としても、多かれ少なかれ、そちらに進んでいく。コモンセンスが通じなくなった今、これだけ分断された社会を、どうやって統合していけるのか。政治家でも政党でもない。宮台さんの言われたように、生物学的な快楽の次元まで含めて、一番の幸せをアルゴリズムが決められるのであれば、それによって最適解が示される時代の入り口少し手前ぐらいに、我々はいるんじゃないか。一方で、今の政治家の言動を見ていると、システムの根本的な行き詰まりに差し掛かっていることも確かである。そういう意味では、ますます「中国化する世界」に突き進んでいくより手がないのか。そこは悩ましくもありますね。
宮台 
 彼は「人vsAI」の発想を退け、人とAIのハイブリットが全体化すると予想します。その際、ハラリは二つの可能性を想定します。究極の新自由主義化が生じるのか。新たな超越の次元が生まれるのか。アメリカや中国の状況を見ているとコスト計算の最優先に過ぎず、究極の新自由主義化に向かっている。ただし正確に考えると議論はデリケートです。

僕らの脳も物質です。考えたり感じたりするのもアルゴリズムの複合的働きに決まっています。だから最近「自然主義vs非自然主義」の哲学論争が再燃しています。「体験質」が問題にされるのです。茂木健一郎さんの「クオリア」です。例えば夕日を見た時の「赤さ」。苅部さんと渡辺さんが同じ波長に反応し「赤いね」と頷き合う。その時に機能している脳内アルゴリズムも同じだと確かめられた。しかし、だからといって苅部さんの「赤さ」と渡辺さんのそれが同じとは言えない。体験質に即していえば苅部さんの「赤さ」と渡辺さんの「青さ」が対応する可能性もある。アルゴリズムが同じでも内部表現としての体験質が同等かどうかを論定できないということです。

逆に言えば、同じ体験質を共有している場合でも、同じアルゴリズムが働いているとは限らない。つまり自然主義だけで万事片付きはしないのです。すると反自然主義の議論──僕の言葉でいえば機能論ならぬ意味論──が優勢に見えてきます。でも「体験質って何?」と問われた途端に行き詰まります。「体験質があるという言語ゲームをしている」としか答えられないからです。自然科学者からすれば「何も言っていないのと同じじゃん」。この問題がハラリの議論に関係します。

ハラリはクオリア派ですが、アメリカの新反動主義者はクオリア派ではなく「結局は脳内物質の問題じゃん」と考えます。「黒猫でも白猫でもネズミを獲ればいい猫」と述べた鄧小平みたいなもの(笑)。最終的には機能だけが問題。体験質はどうでもいい。「赤いね」「うん」と頷き合えればいい。ハラリのアルゴリズム論は荒いけれど、知識のある読者には昔から論争されてきた原理的問題が提起されていることが分かります。そこが『ホモ・デウス』を読む時のポイントです。
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