宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談 民主主義は崩壊の過程にあるのか コモンセンスが「虚構」となった時代に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月21日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談
民主主義は崩壊の過程にあるのか
コモンセンスが「虚構」となった時代に

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第5回
他者を過剰に信頼

苅部 直氏
苅部 
 今の話に関係して重要なのは、フェイクニュース、オルタナティヴ・ファクトの問題だと思います。ハリー・フランクファート『真実について』(亜紀書房)が、原書は十二年前に出たものですが、むしろいまの現実状況にぴったりあっている。この真実(truth)は真理と言ってもいいでしょうが、どうして本当のことを言わなくてはいけないのか、真偽不明の言説を垂れ流してはいけないのはなぜかという問題を、哲学の課題として扱っています。その答を乱暴にまとめれば、真実を語るという前提が崩れてしまえば、他者との信頼関係を築けないし、自分のアイデンティティも保てないんですね。そういう考えに立脚するならば、アルゴリズムから最適解を求め、出てきた解に則っていけばうまくいくといっても、そもそもアルゴリズムを導き出すのに使われた情報が正しいかどうか。その真実性を保証するものは何かを問わざるを得ない。
宮台 
 真理とは何かを問うと議論が更に複雑になります。ハラリは『サピエンス前史』(河出書房新社)で神や貨幣の例を出して「虚構」が文明を可能にしたと言います。誰もが思い浮かべるのがデュルケームの「社会的事実」の概念。神や貨幣のような高度なものだけでなく、ほぼ全ての真実や事実は虚構です。安倍晋三が存在する。トランプ大統領が存在する。でも大半の人は直接経験していない。月が地球を回る衛星だ。水はH2Oだ。でも直接経験していない。直接経験していないことを人間は事実だと思える。ルーマンは次のように説明します。人は他者を過剰利用する。他者の体験を自分の体験と機能的に等価なものとして利用する。他者の体験を自分の体験と等価なものとして利用させる「意味処理の装置」がコミュニケーション・メディアとしての真理概念。苅部さんがおっしゃった「真理とは他者を信頼して利用すること」と同じ命題です。

これは言語の働きに関係します。ボノボやチンパンジーなどの類人猿も、青い色を見たら青の記号を選ぶように訓練できますが、青の記号を見たら青い色を選ぶようにさせるには改めて訓練が必要。ワンウェイなので単なる条件付けだということです。人は全く違う。青い色を見たら青の記号を選ぶように訓練できたら自動的に逆向きもできるようになります。

このことは、「アオ/アカ/ミドリ…」というシニフィアン集合と「青/赤/緑…」というシニフィエ集合の、重ね合わせの習得を意味します。条件反射ではなく、「アオと青」を主題化する場合に「アカと赤/ミドリと緑…」といった配列を意識せずに前提とするのです。地平と言います。しかもかかる体系は集団内で共有される。正確には「皆にもある」と想定されるわけです。

大澤真幸氏も『本』の連載「社会性の起源」で述べる通り、類人猿の中でヒト属だけが他者を過剰に信頼します。今述べた通り「他者たち」に帰属される言語を使い、先に述べた通り「他者たち」の体験を自分の体験と機能的等価に利用する。全ては他者を過剰に信頼するところから生じます。

他方、ラカンに従えば、言語の社会性はヒトにとって抑圧装置となる。社会的言語の内側でのコミュニケーションを強いられる。だから言語の外から脅かされて様々な不安が生じ、異常な動機づけを生む。要は、ヒトの「社会性」は、社会の基盤であり、同時に異常さの根拠でもあるわけです。

「他者たち」からアンプラグドされた状態で自立して振る舞えれば、頭が変になったり過剰になったりはしません。でも、ウェーバーが言う意味で社会を救う過剰な政治家が存在し得るのも、言語の両義性に由来します。そう考えると、「ほど良さ」にどう合意するのかが問題だと分かるはずです。
苅部 
 コモンセンスが、そうした合意の形成をくりかえしてゆく中で生まれる。
宮台 
 ただ合意は滑らかではなくギザギザです。滑らかであるかの如く装うのがコモンセンス。滑らかであるかの如く装えるための必要条件が共同体感覚つまり仲間意識ということです。それを期待できなくなった社会ではギザギザが顕在化する。そこでの合意は、もはや合意ではない。アメリカの「統治コスト低減戦略」も中国の「信用スコア化戦略」もそうした現実に対応します。要は損得だけで釣るしかなくなった、仕方ないじゃねえかと。

でも「損得がいけないんじゃない、損得が個人ベースに頽落し、共同体ベースの損得に反応できないのが問題」とする進化生物学者もいます。すると共同体=仲間集団の規模が問題になる。進化心理学者ダンバーはゲノムの機能ゆえに例外的条件がない限り仲間集団の大きさが一五〇人までに留まるとする。それ以下なら仲間だと思えて利他的になれ、共同体ベースの損得に反応できる。それより大きくなるとトーテミズムのような疑似血縁の虚構が必要となり、もっと大きくなると帝国や国民国家の虚構が必要になり、段々条件依存性が高まる。つまりエントロピーが低い「ありそうもない社会」になる。その分、相互扶助とそれを支える仲間意識は「抽象的他者」に依存した抑圧的なものにならざるを得なくなる。すると神経症的な「言葉の自動機械」や「法の奴隷」が増える。実際そうなっています。

こうした理路はゲノム的条件を出発点にします。ならばゲノム的条件を上書きしてしまえばいいという議論が「認知的エンハンスメント論」。「頭の良さ」がゲノム的基盤に依存するならばゲノムを書き換えて「頭が良く」すればいい。さらに過激化したのが「道徳的エンハンスメント論」。仲間だと意識できる範囲が数億人になるようにゲノムを道徳的に書き換えればいい。仲間意識を欠く損得野郎が溢れるから信用スコアを使い、仲間を信じられない不安野郎が溢れるからカナビス(大麻)統治を使う。信用スコア社会やカナビス統治社会がイヤなら、クリスパー技術(CRISPR-Cas9)を使って低コストでゲノムを書き換える。

一瞬そんないい手があったかと思ったけど(笑)、「社会的なものに合意できないから、合意をキャンセルしてゲノム編集へ」となれば、人と人でないものの境界が液状化します。人間化した電脳。電脳化した人間。遺伝子改良された人間的犬。遺伝子改良された怪物的人間。すると単なる文化的多様性じゃなく、活動停止(死)までの期間が全く異なる知的・感情的存在が営む社会を構想しなきゃいけなくなる。知的営みの歴史にそうした問題を考えた人はいない。ハーバーマスが『人間の将来とバイオエシックス』で指摘した問題です。
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