宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談 民主主義は崩壊の過程にあるのか コモンセンスが「虚構」となった時代に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月21日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談
民主主義は崩壊の過程にあるのか
コモンセンスが「虚構」となった時代に

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第7回
米政治の「日本化」

苅部 
 偶然性を引きうけるかどうかの問題は、美容整形だってそうですよね。かつては生まれたままの姿という偶然性を背負って生きるしかなかったのに、今は容易に修正できるようになった。さらに生まれる前にさかのぼれば出生前診断、もっと前にいけばゲノム編集の問題にまで連続していきます。美容整形については、すでに現代人のほとんどは容認しているわけですが、ここから先は倫理上許されないという境界線をどこに引くのか。このことは、もっとパブリックに議論していい問題ですね。
宮台 
 そう思います。その違いをロジカルに語れない。「違和感がある」「人間として間違っているんじゃないか」。そんな言い方しか思いつかない。つまりコモンセンス問題です。でも、僕らみたいに違和感に頷きあえる世代の生存中に問題をパブリックにしないと、二世代後、三世代後になったら違和感の意味さえ分からなくなります。SF作家バラードが一九六〇年代に「それでいい、どのみちそうなるんだから」と言い放ったけど、今日の倫理学では解けない問題です。むろん大澤真幸氏の「未来の他者」でも無理。「未来の他者」の準拠範囲が未規定だからです。
苅部 
 美容整形にしたって、もともと儒学では「身体髪膚之れを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」(『孝経』)ですからタブーだったはず。しかし儒学文化の強い韓国や中国でもそうした共通感覚は数世代でなくなり、倫理の境界線が移動して、いまや美容整形大国ですからね。
渡辺 
 宮台さんの話を聞きながら思ったんですけれど、今の時代、徹底的に偶然性やノイズを排除していこうという欲求が強くなってきていますよね。だからこそ逆に、そうしたものを担保しておかないといけないんじゃないか。それに気づきを与えてくれたのが、いわばトランプという存在だった。
宮台 
 だから僕はトランプ大統領候補を支持して良かったと改めて思っています。以前も話した通り、トランプの御蔭で「見ないふり」をしてきた問題が噴出することを望んでいました。皆が共通前提やコモンセンスだと思っていたこと、思っているふりをして来たことが、「あり得ねえんだよ」と突きつけられた。痛みはあれど、病膏肓に入る前に病を知るのが大切です。
渡辺 
 長期的に見ると、ポリティカル・コレクトネスの前で隠されていたエゴが、より剥き出しになった。一瞬不快に感じるかもしれませんが、それについて議論できるようにもなったわけです。結果的に、従来の政治イメージが混乱し、民主主義が崩壊しているイメージも、多くの人に共有されるようになりました。でも一方で、繰り返しになりますが、これまでの政治体制が、本当に立派なものだったのか。そのことを考える機会もできた。また、ロシアのアメリカ大統領選挙への介入を含めて、そこまでデジタルテクノロジーが介入し得ること、デジタル化時代の可能性と弊害についても、人々の意識が鋭敏になった。そういう意味では、一般的には災いだったけれど、これを善きものとして考える契機としていくことが必要だと思いますね。
宮台 
 ジョージ・ウォーカー・ブッシュもトランプも隣にいたたら楽しいおじさんです。生真面目なアル・ゴアやオバマと一緒にいるよりも絶対に楽しい。「政治家としてはクズだが個人的には愛すべき存在」。安倍晋三も昔からそう言われてきたでしょ。とすれば敵味方図式で考えるのは良くない。「トランプは敵だ」「安倍さえいなけりゃ」と考えるんじゃない。ああいう人たちがまさに自分なんだと認めつつ、でも政治家にならなかった方が良かったけどと思うのが正しい(笑)。昔はそんな感覚を共有できた。だから自民党長期政権もあり得た。その意味でなら、苅部さんは怒るかもしれないが、間違いなく昭和は良かった(笑)。多様なダークサイドがあるのは百も承知で、コモンセンスを信頼できたからです。
苅部 
 「昭和的感覚」やコモンセンスを共有できた時代であれば、トランプは共和党の大統領候補になれなかったでしょうね。ところが先の大統領選挙では、共和党のほかの候補が自分の選挙基盤を固めることばかりに集中し、結束してトランプに対抗するという戦略をとれなかったから、トランプが勝つ結果になった。これもコンセンサスの崩壊の現われでしょう。ただ他面で、いまの点を慎重に判断して、トランプ包囲網を作る努力をするだけで、結果が大きく変わった可能性もある。その教訓が活かされれば、また新たな方向にアメリカの政治が動くかもしれませんね。「トランプ現象」を長期の視点で眺める必要があるでしょう。

去年もこの鼎談でとりあげた、ヤン=ヴェルナー・ミュラー『ポピュリズムとは何か』(岩波書店)の最後の方に出てくるのは、ポピュリストとも対話しようという呼びかけですね。たとえばラストベルトの労働者のように、これまでの政治過程で忘れ去られていた人の要求に応えることで、ポピュリストが権力を握るのだから、そうした忘れられた声に、ポピュリズムを批判する側も敏感にならなくてはいけないということ。アメリカの場合、そうした貧困層の声はかつてなら民主党がすくいとっていたはずなのに、マイノリティばかりを重視する路線に走ってしまった。

僕が以前から半分妄想で恐れているのは、アメリカ政治の「日本化」です。民主党の穏健派がアイデンティティ・ポリティクスから距離を置こうとする。そして共和党の穏健派もまた、ティー・パーティー的な勢力に対抗するために、彼らと手を組むことで民主党の穏健派が共和党に大量になだれこむ。そうなると、かつての自民党支配のような一党優位のシステムができあがってしまいます。党内ではさまざまな政治信念を掲げる派閥が寄りあって曖昧に妥協しつつ、鈴木善幸みたいな大統領を支えていく。そういった方向に落ち着いてしまう危険性もあるのではないでしょうか。そのさいに、やはり異なる立場が争いあう体制が大事だと言って、政権交代ができるような強力な反対党の存在を維持させられるかどうか。
宮台 
 似たことを僕も考えました。渡辺さんと「マル激トーク・オン・ディマンド」でも統計ベースで議論しました。この十五年で、共和党支持者と民主党支持者の間で意見が重なりあうアジェンダがほぼ皆無になり、ほぼ全アジェンダについて意見が両極分解しました。ポラライゼーション(分極化)と言います。その結果起こっている事態が重大です。「話し合おう」じゃなく「話し合えば相手の術中にはまるぞ」と考えるようになっています。実際トランプ支持者の一部は口がうまいヒラリーと下手に話し合うと丸め込まれるぞと叫んでいた。「最初から話し合わない方がいい」というコモンセンスを民主政は想定してきていません。ならばということで、僕の考えでは、従来の二党体制を続けるより、共和党にすべて併呑した上で、昔の自民党みたいに共通感覚を模索して違いを擦り合わせる方がいいかもしれません。今のままの敵味方図式はまずいのです。昔の自民党は様々な派閥があっても敵味方にならなかった。アメリカでも「共通の歴史認識や感覚があるから共和党にいるんだろ?」という虚構の上に乗れるなら、民主党が消えてもいいんじゃないかな。
苅部 
 しかしアメリカ人が自民党的なものに耐えられるかどうか。
渡辺 
 先ほど宮台さんが、「損得勘定」という言葉を出されましたよね。アメリカ社会の歴史を見ていると、理念よりも損得勘定が優先されていた面もあると思うんですね。たとえば、今であったらLGBTの権利を守る運動が盛んですが、昔から差別是正の動きはありました。しかし、そこには損得勘定もあって、マイノリティが増えれば、市場としても大きくなる。そこから反撥を食えば、業績も落ち込む。人事採用の面でも、不利を被る可能性があります。だからトランプが差別的発言をする度に、グーグルなどの企業が一斉に反撥するのには、相応の意味がある。実は最後には、理念よりも実利が、政治や社会を動かすのかもしれません。もちろん党派対立の酷さは、おっしゃる通りだと思います。それについても、政治家は選挙で勝たなければならないし、自分の生活もかかっている。その時に、分極状況をつづけながら、内側から作り直していくことに勝機を見いだすのか、それとも鞍替えして、新たにやり直していくのか。あえて真ん中を狙うのか。意外と、素朴な損得勘定の中で、党派対立も解消される気がします。保護貿易的な政策にしても、一回どこかで痛い目にあって、自分にとってマイナスだとわかれば、方針を変換していくように思いますね。今のデッドロックを動かすものを、倫理的な価値に見いだすのは現実的ではなく、実際には粗野な損得勘定によって、ベターに解決されるんじゃないでしょうか。
苅部 
 アメリカの経済状況が悪化した時、国民がトランプ支持を続けるかどうかですよね。
渡辺 
 あるいは、世界的に大きな経済危機、政治危機があった時、大きく山が動くのかどうか。
宮台 
 そうすると、まさにコンドラチェフの波みたいな周期でうねりが生じてくるということかもしれない。ニーチェ的にいえば、悲劇を共有した時に初めて人は、短期的利得を我慢し、長期的利得つまり未来を考えるようになる。しかし悲劇の記憶は世代が更新されると継承できなくなる。「子々孫々? 意味わかんねえ、俺たち今困ってんだよ」という構えが優位になる。その結果として自滅し、新たに悲劇が共有されて…と歴史が繰り返される。
渡辺 
 一九三〇年代にケインズ主義と保護主義、あるいは自国第一主義の発想が幅を利かせた時代があり、その痛みは十分身に染みたはずだったんですが、八〇年も経つと、同じようなところに戻ってしまう。
苅部 
 細谷雄一さんが読売新聞のコラム「地球を読む」(十月七日)で、先進国のなかで、いま日本とドイツが比較的に安定したデモクラシーを維持していると指摘して、それはナチズム・軍国主義の経験をへたために「民主政の崩壊がもたらす深刻な問題を他の国々より熟知しているからかもしれない」と書いておられましたね。そういう過去の記憶の重要性。
宮台 
 八〇年といえばトランプの懐刀だったスティーブ・バノンが想定する周期です(笑)。でも冗談とは言えない。ダンバー数を遙かに越える何千万人の間で仲間意識を持てると幻想するようになったのはナポレオン戦争とりわけイエナの戦い以降。見ず知らずの人間を仲間だと妄想するようになったのは大規模な戦争の御蔭です。大戦争が可能にする敵味方図式の中で初めて数千万人が仲間だという虚構を共有できた。戦争に負ければ「悲劇の共有」によってますますコモンセンスが共有しやすくなる。実際アメリカも被害者意識の共有が大規模な仲間意識を支え、それを戦争が可能にしてきました。だからアメリカは被害妄想の国です。国民国家という枠組を用いた大規模定住社会の平和は「悲劇の共有」をもたらす戦争によって辛うじて可能になる。「平和だけほしい」といういいところ取りができないらしいと分かってきた。これを何とかするには大規模定住の枠組を変えるしかないかもしれない。新しい枠組とは何か。そこに至るための現実的な経路は何か。それが問題ですが、長すぎる道のりですね。でも何が問題なのかが早めに分かっただけでも吉とするべきでしょう。
(おわり)
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