日中映画交流史 書評|劉 文兵(東京大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年11月11日 / 新聞掲載日:2016年11月11日(第3164号)

日中映画交流史 書評
日中映画の相互接触を概説 紆余曲折の日中両国に跨る通史を整理

日中映画交流史
出版社:東京大学出版会
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2004年の博論を基に書いた『映画のなかの上海』を出版して以来、著者は1949年以後の中国における日本映画の受容や、文革後、著しく成長、発展し始める中国映画と日本映画との交流をテーマに論述する新書を立て続けに上梓した。この一連の新書は、日中映画人への取材をはじめとして、著者自身が時間をかけて作ったと思われる詳細な映画上映リストを付しており、大変便利である。一般の読者はもちろん、教科書として使用したり、好んでそのデーターを参考、引用する研究者も少なくないようだ。大衆文化である映画をいかに大衆の目線で解読し、読者に届けるのかという著者ならではの工夫が目立つものばかりである。

他方、研究者としての著者は、映画史研究の成果も次々と刊行。大作『中国映画の熱狂的黄金期 改革開放時代における大衆文化のうねり』を出してまだ四年も立たないうちに、『日中映画交流史』と題する本書を中国と日本で同時に刊行する偉業を成し遂げた。「本邦初の日中映画交流史」(著者語)の本書は、自転車操業的に研究をぼつぼつやっている評者が脱帽せずにいられない成果であり、同業者として目を見張るような早業だと感心する。

日中両映画が互いに上海で接触し始める時から書き起こした本書は、戦時の上海、満洲での日中映画の相互接触を概説し、そして著者が得意とする文革中と文革後の日中映画交流史について、事例を挙げつつ時系列的に取り上げている。しかし本書の射程はそれだけに留まっていない。現在の中国で若者を中心に人気のある、いわゆるクールジャパン―トレンディードラマとアニメの日中映像交流にまで論述が及んでいる。近代以来、戦争や日中関係の悪化に左右されながらも、日本と中国映画との関わりは、時には切れそうになる線だったり、また時には幅の広い河の形状を呈したりしていた。このような紆余曲折の日中両国に跨る通史を整理し、これまで当分野の研究で言及されていない日中映画関係史のディテールを多く明かしたことを評価すべきだろう。本書を一読して評者が一番感心したのは、分量的に最も多く、著者が長年心血を注ぎ研究の対象とした文革期に関する第四章、第五章と第六章である。特に文革後の中国で大人気を博した高倉健と山口百恵をケースに、多くの映画テクストと交流の事例を交差させつつ、文革がもたらした十年間の文化的空白を補うために、中国映画界がいかに外国映画、特に日本映画を手本に思考を立て直し、映画を作ってきたのかについて、氏は網羅的に論じているところが、本書の白眉であろう。

およそ本書の三分の一ほどの分量を占める戦時の論述、殊に満洲映画に関する一章では、満洲における日本映画の上映実態を概説した後に、満映製作の三本の「啓民映画」に対して映像分析を行った上で、「啓民映画」の表象と当時の満洲の現実との乖離を鋭く指摘する点は大いに頷ける。こうした指摘をふまえて、戦後から現在に至るまで、満洲を描く大多数の日本映画が意識的にあるいは無意識的に作り出したセンチメンタルな表象、もしくは1949年以後の中国製の抗日映画から捨象された表象を、いずれも満洲当時の日常生活を忘却し、「現実」に対する抑圧の現象形態だとするその指摘が、大変示唆的である。

だが、そうした示唆に富むアプローチは、残念ながら第一章の上海編では、比較的少ないような気がする。1920年代と1930年代の上海における日中映画の概説を経て、著者の論述がなぜか主に太平洋戦争以降の日本映画の上海進出に絞られており、孤島期(1937―1941)における中国映画の製作、配給、上映、もしくは日本国内の大陸映画製作の実態、さらにこの両者の相互受容に関する論述は皆無に近い。通史として読む最初の一章だけに、この歴史的時間の跳躍がどうしても気になる。例えば、孤島期の代表作『木蘭従軍』をめぐる史資料と作品への分析がここで完全に省略されたにもかかわらず、先行研究に疑問を呈する結論が先走りしたような書き方をしており、読者にとって全体像を把握しにくい懸念があるように思われる。戦時中とはいえ、日露戦争終了の直後から日本の文化進出がすでに始まった満洲エリアの政治的、文化的状況は上海と異なり、中国映画製作の基盤が全くない満洲と中国のハリウッドだった上海をそれぞれどのように捉えるべきかに関しては、かなり多くの先行研究が刊行されたとはいえ、いまはなお模索中の問題であり、早急に結論を下すよりは、まず史実として通史に記しておくべきではないかと思うからである。

最後に私見だが、「記述の客観性とデーター資料の正確さ」という本書を貫く方法論には、正直なところ評者はやや戸惑っている。歴史の叙述に際し、純粋な「客観性」が果たしてあり得るのかをともかくとして、著者が強調する「資料の正確さ」あるいは「歴史に対して「品位」ある態度」からは、排他的な響きさえ感じる。まして「品性」云々にはほど遠い、非対称的な関係下におかれていた戦時の日中映画交渉(交流と言えないと思うが)に向き合う時に、時代と響きあうような作品、その作品をめぐる厖大な言説に対する重層的な分析作業を「品位」といった「道徳的」な語彙で語ることに、評者は違和感を覚える。というのは、歴史の記述で行う資料の取捨選択そのものが、書き手自身の方法論を示す、ある種の「主観性」を帯びるものになっており、本書で行われた様々な考察も、史資料を自ら組み立てた著者にしか属さないものだからである。客観性、正確さ、品性を強調すればするほど、逆に研究分野における他者の視座を排斥してしまう恐れがあると思って、本書の価値を認めるとともに、敢えてここに苦言を呈する。
この記事の中でご紹介した本
日中映画交流史/東京大学出版会
日中映画交流史
著 者:劉 文兵
出版社:東京大学出版会
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