2018年回顧 外国文学 フランス 同じ風景に通じる対極的な二つの大作 二十世紀後半の文学を新たな眼で|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月22日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

2018年回顧 外国文学 フランス
同じ風景に通じる対極的な二つの大作
二十世紀後半の文学を新たな眼で

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な眼で見ることができる二つの大作が完結した。ミシェル・レリス『ゲームの規則』(全四巻、平凡社)とモーリス・ブランショ『終わりなき対話』(全三巻、筑摩書房)の翻訳である。一方は自伝、もう一方は人間性が解体される非人称の世界をめぐる評論で、一見対極的な世界を描いているように見えるが、二つの作品を並べると、一人称も非人称も、ぎりぎりの境界にまで押し進めると、同じ風景に通じているように思えてくる。
『ゲームの規則』は、1948年に第1巻『抹消』(岡谷公二訳)が刊行され、1976年、第4巻『囁音』(谷昌親訳)刊行で完結する畢生の大作でありながら、詩も想像力も枯れ果て、ひたすら自分の人生の逸話を語ることに賭けた、スクラップブックのような印象を与える本である。だが、これは生涯の出来事を羅列しただけの本ではない。逸話をばらばらな事実の集積に終わらせまいとする作者の意志が文章にうねりを生じさせ、個別の事象のもつ、ほとんど神話的な側面を掘り起こしてゆく。とりわけ死の想念、そして復活への希望が痛切なモチーフとして浮上してくる。レリス流「死のフーガ」は、第1巻『抹消』の「日曜日」、第2巻『軍装』(岡谷公二訳)の「死」等で正面から扱われ、第3巻『縫糸』(千葉文夫訳)で自殺未遂の顚末が語られてひとつのクライマックスを迎える。だが次に「北京のほう」と「クマシのほう」(クマシはガーナ第二の都市)という魔術的な地理が語られ、個人の死を超える生への期待こそが自伝の主調音であったことが判明する。「北京のほう」とは真理への意志によって世界を再構築しようとする現代的な欲望であり、「クマシのほう」は時代錯誤の風習のうちに希望を求めようとする欲望である。革命と伝統、前衛と後衛、知性と神話の対立が、不安と恐怖が支配する死の領域を逃れようとする身振りのなかでひとつになる。レリスは自伝を、彼以前には誰もなしえなかった次元にまで高めたと言えるだろう。

これとは対照的に、ブランショの『終わりなき対話』(湯浅博雄・上田和彦・郷原佳以・岩野卓司・大森晋輔・西山達也・西山雄二・安原伸一朗訳)は、自己同一性も統一性も成り立たない、「一人称の主体として引き受けることができない」世界を探求している。〈私〉が能動的に働きかけることができず、ただその誘引力を感じるしかないものをブランショは中性的なものと呼び、パスカル、ニーチェ、バタイユ、レヴィナス、ボヌフォワ等々の書物のうちにこの〈外〉がどのように働いているのかを追跡してゆく。意識の外にあるものは、まさしくそこに到達できないがゆえに〈外〉なのだが、ブランショによれば、それは見えない重力波となって意識そのものを形成する力となっている。苦痛、忘却、内的対話等、日常的な現象を通して明らかにされる中性的なものは、レリスが睡眠薬の多量摂取で意識を失い、気管支を切開された自らの姿を認めるまでにたどる奇妙な旅のうちにも現れていると考えるのは、無謀な読みだろうか。一人称であれ非人称であれ、重要なのは〈私〉には制御できず、それでいて〈私〉を突き動かす見えない力にどこまで肉薄できるかという問題ではないだろうか。

ピエール・パシェ『母の前で』(根本美作子訳、岩波書店)は、認知症の母親のもとへ通う息子の眼を通して、言葉を話すこと、歩くこと、誰であるかが分かることなど、日常的な動作がどれほど危うい均衡の上に成り立っているのかを明らかにしている。息子が誰であるのか見分けられず、歯を失い、眼も見えず、外観が変わり果てても、パシェは母のもとに通いつづける。「つまりわたしの母だからわたしは行くのだ。」 母親の崩壊を目の当たりにしながら、人間精神を成立させる条件をパシェは粘り強く考察している。

ロブ=グリエの『もどってきた鏡』(芳川泰久訳、水声社)は、あからさまなフィクションを交えた自伝である。物語や登場人物を否定する『嫉妬』、『消しゴム』、一個の迷宮のような映画『去年マリエンバードで』の作者が、「私はこれまで自分以外について語ったことなど一度もない」と断言してはばからない。幼年時代、家族の話、ロラン・バルトとの交流等、自伝と感じられる話と、海上に出現した楕円形の鏡と格闘する騎士の話が同じ水準で語られ、その振れ幅のなかでロブ=グリエがどのようにして自らの小説世界、映画の世界を作ってきたかを解き明かす怪作だ。

パスカル・キニャールの『落馬する人々』(小川美登里訳、水声社)は、古代から現代に至る落馬した人々が、奇妙なことに書く力を得るさまを、馬への礼讃を交えながら断章形式で綴っている。同じ作家の『涙』(博多かおる訳、水声社)は、フランス文学の最初の作品「ストラスブールの誓約」を記したニタールとその双子の兄アルトニッドを軸に、言葉の誕生する瞬間をつづれ織りのように描きだす。それは修道士の飼っていた黒猫がツグミとなってこの世に戻り、聖女ウーラリーの斬首された首から鳩が飛びたち、アルトニッドがフクロウの姿で作者の元を訪れる魔術的な世界でもある。日常と魔界、人類と異類との境界を自在に行き来する短編集『謎』(小川美登里訳、水声社)も刊行された。

これ以外にも、極彩色の筆致で愛を描くハイチの作家ルネ・ドゥペストル『ハイチ女へのハレルヤ』(立花英裕・後藤美和子・中野茂訳、水声社)、負の情念を見事に形象化するイレーヌ・ネミロフスキー『孤独のワイン』(芝盛行訳、未知谷)、才気あふれる対話の記録、ロラン・バルト『声のきめ インタビュー集1962─1890』(松島征・大野多加志訳、みすず書房)等があった。研究面では、特に若手研究者の大作、鳥山定嗣『ヴァレリーの『旧詩帖』──初期詩篇の改編から詩的自伝へ』(水声社)と、石川学『ジョルジュ・バタイユ──行動の論理と文学』(東京大学出版会)を挙げたい。

最後に、文化の沸騰状態を活写するデレク・セイヤー『プラハ、二〇世紀の首都──あるシュルレアリスム的な歴史』(阿部賢一・河上春香・宮崎淳史訳、白水社)に触れておきたい。「十九世紀の首都」パリの活力が、いかにこの東欧の都会に流れこみ、全体主義、ホロコースト、「プラハの春」、「ビロード革命」という二〇世紀の歴史に翻弄される街で変奏されていったのか、驚きの歴史が語られている。
この記事の中でご紹介した本
ゲームの規則Ⅰ 抹消/平凡社
ゲームの規則Ⅰ 抹消
著 者:ミシェル・レリス
出版社:平凡社
以下のオンライン書店でご購入できます
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