2018年回顧 ノンフィクション ノンフィクションとは何か。 白黒つけきれない事象に、真偽を超えて肉薄する――|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月22日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

2018年回顧 ノンフィクション
ノンフィクションとは何か。
白黒つけきれない事象に、真偽を超えて肉薄する――

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今年の「ノンフィクションの収穫」を選びながらノンフィクションとは何かを改めて考えていた。

たとえば『小保方晴子日記』(中央公論新社)。「何もしていないのに疲れていて眠る体力もない。噛まずに溶けてくれるものしか飲み込めない。何日も茫然自失で過ごしていたけれど今日はそうはいかない。記者さんも大晦日の夜は手薄になるはず。この部屋から抜け出すなら大晦日の夜しかない、つまり今日の夜」。大晦日から書き始められる日記も珍しいが、取材陣からの逃避行を描き出すストレートな筆致はリアリティに溢れる。前衛小説のような文体「変身ベルト」「原宿ロール」等と次々に登場する独特の語感の匿名化も相まって、科学的真相の如何を超えて著者の人となりを伝えてくる。

報道は真実を報じるか誤報するか、ふたつにひとつだ。対してノンフィクションであれば白黒つけきれない事象をまるごと描ける。STAP細胞報道は当初は「世紀の大発見」に沸き立ち、盛んに「割烹着」「壁がピンクに塗られた研究室」「ムーミン好き」等々をステレオタイプで盛んに報道していたが、STAP細胞実験が「世紀の捏造」に変わってゆくと、自分たちが誤報をしたわけではないと証し立てるかのように、いかに不正がなされたかの告発報道に躍起となった。そんな中で本人の日記だけが、ことの白黒を超えて若き女性研究者の等身大の姿を伝えている。

野村進『どこにでも神様』(新潮社)は、日本の多神教的風土を実感させる出雲訪問記。古代日本を経由して現代日本社会の汎神論的傾向が見えてくる。庄野真嗣『消された信仰』(小学館)は、禁教の時代に潜伏していた「かくれキリシタン」と潜伏中に変形した信仰を禁教なき時代になってなお信じ続ける「カクレキリシタン」を分け隔てるべきかを巡って、潜伏キリシタン世界遺産化の裏で繰り広げられていた論争を紹介、宗教とは何かを改めて考えさせる。小学館ノンフィクション賞の受賞作だが、同賞はかつて森健『小倉昌男 祈りと経営』も選んでいた。選考傾向に信仰を巡る価値観を相手取るノンフィクションの可能性を評価するユニークさを感じる。

開高健がイスラエルやベトナムを書いた時のように国際的な紛争の最前線に作家が出てゆく伝統が久しく途絶えていた中で、いとうせいこう『「国境なき医師団」を見に行く』(講談社)は大地震後のハイチ、ギリシャの難民キャンプ、フィリピンのスラム、ウガンダの国境地帯に著者自ら出掛けて書かれた。それぞれの滞在は時間的にさほど長くはないが、問題多発地域で活動する医師団の実情を立体的に描き出す視力、筆力はさすがだ。在日イスラーム教徒を取材した森まゆみ『お隣のイスラーム』(紀伊國屋書店)も自民党が入管法を改正するご時世にぜひ読んでおきたい内容。両作とも作家の感性と表現力あってこそ書かれた内容で、よくある報告記事や番組と一線を画している。

國友公司『ルポ西成』(彩図社)も放送できない、新聞では書けないディープな報告だ。「あくまでも体感として」と断りつつも78日間あいりん地区で働き、暮らして会った人の「6割が覚せい剤を経験し、4割が元ヤクザ」だという。働いていたホテルに泊まる長期宿泊者のうち2/5は生活保護受給者であり、西成でヒットマンといえば「そのへんでくすぶっているオヤジ」に「もう疲れたやろ、生活保護受けよか?」と声をかけて保護を受けさせ、宿泊施設に長期滞在させてマージンを懐に入れる人のことだという。合法か否かの彼岸にある街の気配を確かに伝えるノンフィクションの力を感じた。

歴史を相手取る力作が多く書かれたのも2018年の特徴か。とかく政治論争の標的となりがちな「君が代」には、今のかたちになる前の「初代」があった。小田豊二『初代「君が代」』(白水社)は、幕末から維新の混乱の中で即席に作られた最初の国歌の歴史を示すことで、国歌を聖別せずに議論する土壌を用意してくれる。

石井光太『原爆』(集英社)は建築家・丹下健三、広島市長・浜井信三、平和記念資料館初代館長・長岡省吾、そして反核運動家で七代目の記念資料館館長になる高橋昭博の4人の生きざまから被爆から復興してゆく広島の姿を立体的に描き出した。こうした被爆の戦後史は原子力平和利用の戦後史と重なっている。原子力関係の政策決定過程描き出した上川龍之進『電力と政治』(勁草書房)は上下巻のボリュームからして圧巻だ。公開された文献資料を用いた研究者の手による分析だが、これを更に関係者取材へと進めていれば日本版『ベスト&ブライテスト』になっていただろう。

渡辺延志『軍事機密費』(岩波書店)は旧日本軍の機密費の実態を明らかにすべく、極東軍事裁判に際して来日にした連合国側調査員たちの格闘を描く。資料を公文書として蓄積するアメリカの習慣があってこそできた仕事だが、地道で精密な調査を行えば個人仕事のノンフィクションでもここまで真相に迫れる。古賀純一郎『アイダ・ターベル』(旬報社)は石油市場を独占して我が世の春を謳歌していたロックフェラー財閥にたったひとりで挑んだ女性ジャーナリストの評伝。こうした仕事を見てゆくとマスコミがチーム体制で当たりつつも政権に本格的なダメージをあたえるまでの真相を掘り起こせなかった昨今の森友加計事件報道とつい比べてしまう。

佐藤幹夫『評伝 島成郎』(筑摩書房)は全共闘運動のリーダーが60年安保を戦って敗れた後に、精神障がい者を病院に閉じ込めず地域で受け入れる運動に献身的に携わった姿を描く。障がい者を巡る問題は解決を見ないまま、島が生きた時間を超えて「やまゆり園」の大量殺傷事件につながってゆく。

冒頭に掲げた『小保方晴子日記』については「自伝信じるべからず」の言葉ももちろん肝に命じたいが、真偽を超えて出来事に肉薄する表現ジャンルである「ノンフィクション」としては、これも射程に含むべきではないかと思うのだ。では、やまゆり園の事件をモチーフとした辺見庸の小説『月』(KADOKAWA)はどうか。明らかになる事実の範囲で描いても事件の全体像が描けないとき、やむにやまれず小説という形式を選んだ作品はノンフィクションではないのか。ノンフィクションの領域をどこからどこまでとするか、2018年の宿題として今後も考え続けたい。
この記事の中でご紹介した本
小保方晴子日記/ 中央公論新社
小保方晴子日記
著 者:小保方 晴子
出版社: 中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「小保方晴子日記」出版社のホームページはこちら
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