奥泉文学の精華『雪の階』  新たなメタフィクション、エクリチュール・フェミニンの現在形|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月25日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

奥泉文学の精華『雪の階』
新たなメタフィクション、エクリチュール・フェミニンの現在形

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本年の文学を振り返ると、若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社)と、古川日出男の『ミライミライ』(新潮社)が衝撃的だった。まず前者の筆者である若竹は、文藝賞を最年長で受賞したのち、本作で芥川賞をとったのだが、驚かされたのは殊の外実験的な作品であったことだ。主人公は夫を亡くした老女で、東北弁を駆使した「おら」の独白の形で、フラッシュバックを交えながら物語は進行する。しかもその独白には複数の声が混在するのだが、それは彼女の心がレイヤー構造をなし、内側の柔毛突起が声を発するのである。そして中盤以降、故郷の山や夫の死が大きな意味を有してくる構成も秀逸である。テーマは「老い」の生成変化であるが、作品自体は老いを感じさせず、むしろ若きを感じさせる奇跡の一冊だった。他方、後者の筆者である古川は、デビュー二〇周年を迎え、本書以外に、佐々木敦との共著『「小説家」の二〇年「小説」の一〇〇〇年』(Pヴァイン)と、過去作を再編集した『とても短い長い歳月』(河出書房新社)が相次いで刊行された。この二冊も古川文学を論じる上で必読書であろう。それはともかく本作は、戦後日本の可能世界という設定で、ソ連の統治下に入った北海道、インドと連邦を組んだ本土、アメリカの統治下にある沖縄と三つの地域に分断されている。そして北海道ではヒップホップの変異体=ニップノップが産声をあげ、そのMCが誘拐されるといった展開である。古川文学のスピード感ある文体と、物語をミックスしていく手法は、この作品ではブレイクビーツ、すなわちサンプラーでドラムのフレーズを分解し、シーケンサーで組み立て直す音楽技法に喩えられる。そのビーツの上に、MCである古川の声が被さるのである。しかも後半以降、登場人物がみる映画も物語の展開に流れ込む。この企てに思わず唸らされた。
さて新人作家では、古谷田奈月の『無限の玄/風下の朱』(筑摩書房)、日上秀之の『はんぷくするもの』(河出書房新社)、山野辺太郎の『いつか深い穴に落ちるまで』(河出書房新社)、サクラ・ヒロの『タンゴ・イン・ザ・ダーク』(筑摩書房)、鴻池留衣の『ナイス・エイジ』(新潮社)が印象に残ったが、一冊を選べといわれたら、古谷田作品を推したい。収録作「無限の玄」は、亡父が何度も蘇るという設定で、居場所、スティグマ、第三の視点などが散種され、それぞれ深い意味を有するだけでなく、男同士のホモソーシャルな空間の両義性がうまく作品化された。他方、中堅作家では、高山羽根子の『オブジェクタム』(朝日新聞出版)、村田沙耶香の『地球星人』(新潮社)、坂口恭平の『家の中で迷子』(新潮社)、小山田浩子の『庭』(新潮社)、山内マリコの『選んだ孤独はよい孤独』(河出書房新社)、温又柔の『空港時光』(河出書房新社)が質の高い作品だった。このうち温作品は、一〇篇の短篇集で、台湾と日本とを結ぶ空港を結節点とし、日本育ちの台湾人、日本の統治時代を知る親日派など、さまざまな出自の人物が登場する。台湾の歴史で忘れがちなのが、中国大陸から来た外省人と、それ以前から居住していた本省人の間の溝であろう。このような複雑な歴史を認識する上でも、日本語を使い台湾と日本との「間」を描き続ける温文学は重要である。
文字渦(円城 塔)新潮社
文字渦
円城 塔
新潮社
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つづいて現代文学のトップランナーによる作品では、まず円城塔の『文字渦』(新潮社)と、いとうせいこうの『小説禁止令に賛同する』(集英社)が有益であった。両作品に共通するのは、新たなメタフィクションの試み、つまり批評を前もって作品のうちに組み入れて、巧妙にフィクション化する企てである。したがって短評では論じにくいのだが、あえていうなら円城作品は、フーコー的な意味で「文字」の考古学。対するいとう作品は、「文学」の未来学とでもいうべき作品であろう。他方、谷崎由依の『鏡のなかのアジア』(集英社)、川上未映子の『ウィステリアと三人の女たち』(新潮社)、綿矢りさの『意識のリボン』(集英社)は、作家の円熟の境地を味わえ、印象深かった。女性特有の心の揺れ、身体が精神に及ぼす作用や行動など、エクリチュール・フェミニンの現在形を知る上で、この三作品は読み応えがあった。
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さていよいよ本年度のトップ五。まず平野啓一郎の『ある男』(文藝春秋)は、弁護士が、ある女性から依頼された亡夫の謎を追う過程を描いたもので、その亡夫は戸籍を交換することで他人になりすましていた。いわば身許の洗浄であるが、根底にある「自分とは何か」という主題が弁護士自身にもつきまとう。平野がいう「分人」論の流れで興味深かった。また中村文則の『その先の道に消える』(朝日新聞出版)は、殺人事件の容疑者として名前が挙がった女性をめぐり、刑事二人を主人公に各々の視点で語った作品で、その容疑者は一人の刑事にとって亡母と重複する。しかも忌部氏、しめ縄、水蛭子など古代の物語が殺人事件に絡んでくる。性(生)と死の往還の手前に自罰をおくという企てにも戦慄した。他方、星野智幸の『焔』(新潮社)は、九つの短篇からなる作品である。この九篇を最後の生き残りが各々の物語として語るという着想が秀逸で、これにより語り手が相互に誰かの現身となる。星野文学の新たな側面が発見でき有意義だった。これら三作に対して、本谷有希子の『静かに、ねぇ、静かに』(講談社)は、現代文学の次を狙ったような作品である。今日、私たちはSNSを使いこなしているが、その過程で時間や場所が流動化し、固定的な自己同一性をもつことは困難になった。本作ではこのような流体化した主体が織りなす悲喜劇が描かれた。
雪の階(奥泉 光)中央公論新社
雪の階
奥泉 光
中央公論新社
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そして文句なしの最高傑作が、奥泉光の『雪の階』(中央公論新社)である。舞台は二.二六事件の前夜、ある女性が陸軍士官と心中する。この事件に隠された謎を追う華族の女性を主人公にし、当時の天皇機関説問題、相沢事件など史実を交えつつ、国際的なスパイや謀略をも匂わせる。奥泉文学の精華といえる作品であった。
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