2018年回顧 詩 「ばらばら」の中に、「詩とは何か」への果敢なる原点への遡及の精神が|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月22日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

2018年回顧 詩
「ばらばら」の中に、「詩とは何か」への果敢なる原点への遡及の精神が

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火ノ刺繡(吉増 剛造)響文社
火ノ刺繡
吉増 剛造
響文社
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年の暮れに入沢康夫氏の訃報があった。代表作の詩集『わが出雲 わが鎮魂』『漂ふ舟』などを夢中で読み返した記憶がめぐった。悲しみと寂しさを感じた。次から次にSNSなどに哀悼の言葉があげられた。六〇年代詩人の旗手の印象があるがその詩業が現在のネット世代の書き手たちにも大きなメッセージを伝えてきたと感じた。ご冥福を祈りたい。

今年の「現代詩手帖」誌の年鑑鼎談にて野村喜和夫はまず「個々の詩作の現場が無限に数多く存在する」という現在の状況の印象を述べた。平田俊子も続けて「それぞれがばらばらで共通項が見つけにくい」。そして「逆に、詩はこうあるべきだという決めつけから自由になっているのかも」「個々に、自分の詩を追及している」と話した。このことに私も同感を覚えつつ、六〇年代を席巻した『帷子耀習作集成』(思潮社)や吉増剛造の大冊『火ノ刺繍』(響文社)などの本年の話題作を読み通して、彼らの世代が果敢に生涯をかけて追いかけてきた実験精神なるものが大樹の影としてもう一方にどこかにある気がした。

遠い空と雲に誘われるかのように世界を漂泊した旅の想いを書いた管啓次郎『数と夕方』(左右社)、気ぜわしい人生の歳月に言葉にならない愁いを形にした池井昌樹『未知』、求道者的な姿勢で時間、信仰、命と向き合った鎌田東二『常世の時軸』、頁と向き合うようにして詩ばかりではなく書物の意匠を凝らした大木潤子『私の知らない歌』(三冊ともに思潮社)、「詩は貨幣の対局にあるものなのです」と語るさとう三千魚『貨幣について』(書肆山田)などの五冊にまず惹かれた。

詩誌「妃」の発刊など旺盛な活動を続けている田中庸介『モン・サン・ミッシェルに行きたいな』に、新鮮な手法の作品の中に込められた人生や歳月への思いを感じた。時里二郎『名井島』、倉石信乃『使い』(三冊とも思潮社)、若松英輔『幸福論』(亜紀書房)、及川俊哉『えみしのくにがたり』(土曜美術社出版販売)などの詩集に言葉の芯を感じた。ヨーロッパなどで詩のパフォーマンスに挑む永方佑樹『不在都市』(思潮社)に斬新さと若々しい眼の力を感じた。

海外の詩をめぐる良書が多かった一年だった。アメリカの詩人マイケル・パーマーの詩業などに焦点をあてた山内功一郎のエッセイ集『沈黙と沈黙のあいだ』、カナダの詩人クレア・ロバーツの翻訳詩集『ここが私たちの上陸地』(髙岸冬詩訳)、高橋綾子の渾身の評論集『ゲーリー・スナイダーを読む 場所・神話・生態』、フランスの詩人ジャン=ミッシェル・モルポワ翻訳詩集『イギリス風の朝』(有働薫訳、いずれも思潮社)に、異郷の詩人たちの越境する一貫の仕事を伝えようとする翻訳者・研究者の原点回帰の眼差しが見えて充実した内容であった。

冒頭に引いた「ばらばら」の中にも詩とは何かへの果敢なる原点への遡及の精神を読みたい。あらためて投げかけられる真のラジカリズムに、新年への思いをめぐらせたい。
この記事の中でご紹介した本
火ノ刺繡/響文社
火ノ刺繡
著 者:吉増 剛造
出版社:響文社
以下のオンライン書店でご購入できます
「火ノ刺繡」出版社のホームページはこちら
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