平成のモラル・バックボーン ある「家族」の「背骨」に背負わせる重荷|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月23日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

平成のモラル・バックボーン
ある「家族」の「背骨」に背負わせる重荷

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戦後、皇太子(現天皇)の教育を担う東宮参与を務め、正田美智子との結婚にも尽力した小泉信三を扱った新書が刊行された(小川原正道『小泉信三――天皇の師として、自由主義者として』中公新書、11月)。小泉は戦中、慶応義塾塾長として多くの学生を戦地に送り出し、戦意高揚の文章を書き散らしたが、戦後「反省」と題した文章を書いている。そこで注目されるのが「道徳的背骨」 という言葉だ。小川原は次のように述べる。「破滅的な戦争に抵抗することで、祖国を救うという「愛」を、実践すべきではなかったか。そのための「道徳的背骨」を果たして自分は有していたか、否か。だからこそ、小泉は「反省」せざるを得なかった」のであり、「その「反省」は、昭和天皇への進講、皇太子教育にも少なからぬ影響を与えたであろう」と。

小泉は学生時代に森鷗外の小説『かのように』に親しみ、また皇太子とともに福澤諭吉『帝室論』、サー・ハロルド・ニコルソン『ジョオジ五世伝』を読んだという。「立憲君主は、道徳的奨励者及び警告者たる役目を果たすことが出来る」と小泉は記したが、小泉の教育が平成の象徴天皇制に大きな影響を与えたことは疑いない。被災地を訪れ、床に膝をついて被災者に声をかける姿は、災害現場を視察する政治家たちの粗暴な振る舞いとしばしば比較された。激戦地を訪れ、自国民だけではなく、戦争のすべての犠牲者に哀悼の意をささげる姿は、第二次大戦の「反省」として受け止められた。たしかに平成の象徴天皇制は「道徳的背骨」だったといえる。本年2月に亡くなった石牟礼道子は晩年にチッソの水銀汚染によって死に絶えた生命を追悼する活動をおこなっていたが、かたや皇后美智子を公然と賛美し、天皇皇后と胎児性水俣病患者の面会に尽力したことも、その「道徳」に打たれたからだろう。

小泉信三による「天皇制」の「民主化」にたいして、「週刊誌的天皇制」という批判をなげかけたのは三島由紀夫だった。たしかに皇族はいまや週刊誌の格好のネタにされている。今年、皇族の女性ふたりの結婚が対照的な結果となったのはある意味で象徴的だった。日本郵船という一流企業に勤める男性との結婚は祝福されたが、法律事務所につとめながら大学院に通っていた男性との結婚は、ふたりそろっての会見まで開かれたものの、延期された。週刊誌では男性の母親の金銭トラブルも報じられたが、同世代の人間を見渡してみても、実家に問題を抱え、経済的に安定しているとはいえない職につき、夫婦が共働きしなければならないほうが、現実の「結婚」の実態に近いだろう。一連の過熱報道は、皇室が理想的な「結婚」をいまなお体現すべき存在とみなしているかのようだ。

自民党の杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」という発言が大きな批判を呼び、その論考を掲載した『新潮45』は休刊することになった。論潮最終回でも触れたが、千葉雅也は「杉田論文は、国家の存続のための生殖=再生産に寄与しない者としてのLGBTを差別している」と指摘する(「平成最後のクィア・セオリー」『新潮』12月)。直接的な言及はないが、千葉の指摘は「万世一系」の天皇制もその射程にふくむものである。象徴天皇制とは「家族」を第一義とし、「国家の存続」に関わる「結婚」や「出産」に国民的な注目を向けさせる制度だからだ。しかし、LGBTという性的マイノリティの権利は「グローバル資本主義」によっていずれ認められていくだろう。象徴天皇制はいつまで「道徳的背骨」の役割を果たせるだろうか。


論潮第七回(記事へ)で取り上げたアメリカの政治学者のヤシャ・モンクが「リベラリズム」と「デモクラシー」の「二つの原則が分離してきている」と述べている(「世界に広がる「自由のない民主主義」『朝日新聞』2018/11/17)。「通りいっぺんの自由は保障されているものの、『自分たちが決める』という原則が損なわれて」おり、「非民主的なリベラリズム」というべき政治体制が世界に広がっていると指摘する。この連載でも「資本主義」と「民主主義」の「結婚」の破綻が起きつつあることは指摘した(ヴォルフガング・シュトレーク『資本主義はどう終わるのか』)。日本の「戦後民主主義」とはこの「リベラリズム」と「デモクラシー」、「資本主義」と「民主主義」の強制結婚だった。しかし、その「結婚」は破綻しつつある。モンクは次のように述べる。

「民主主義が人々を魅了したのは、政治参加に道を開いたからだけではありません。戦後、ドイツや日本など多くの西側諸国で経済復興と民主化が歩調を合わせて進展し、生活の豊かさと民主主義が一体のものと実感されてきました。ところが冷戦が終わると、経済成長が止まり、民主国家で暮らすことに価値を見いだせなくなった人が増えてきました」
国体論 菊と星条旗(白井 聡)集英社
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平成は「失われた20年」もしくは「30年」と呼ばれる長い経済低迷の時代でもあった。平成において象徴天皇制が「道徳的背骨」として存在感を増したのは、冷戦崩壊後の世界情勢の急激な変化において、「戦後民主主義」をかたちづくった憲法9条といった日本の安全保障政策が再び問い直されただけでなく、中国などの権威主義国家の台頭を尻目に「戦後民主主義」が必ずしも「経済成長」に最適な政治体制ではないことがあきらかになったからだ。「非民主的なリベラリズム」というべき安倍政権にたいして、対米従属論というナショナリズムを主張する論者たちが、一様に「天皇制」支持に傾きつつある(内田樹『街場の天皇論』、白井聡『国体論』ほか)。彼らは「立憲君主」ならぬ「護憲君主」として天皇制の「道徳的背骨」のうえに「戦後民主主義」を維持しようとしているわけだ。だが、ある「家族」の「背骨」に資本主義と民主主義の「結婚」の重荷を背負わせるのは、もうやめにしないか、と平成最後の論壇時評を書いた者として思うのだった。(わたの・けいた=批評家)
この記事の中でご紹介した本
小泉信三―天皇の師として、自由主義者として /中央公論新社
小泉信三―天皇の師として、自由主義者として
著 者:小川原 正道
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
国体論 菊と星条旗/集英社
国体論 菊と星条旗
著 者:白井 聡
出版社:集英社
以下のオンライン書店でご購入できます
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