2018年回顧 哲学 ベテランの大作、若手の新境地 哲学史研究や具体的事象分析など多彩な成果に恵まれる|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年12月22日 / 新聞掲載日:2018年12月21日(第3270号)

2018年回顧 哲学
ベテランの大作、若手の新境地
哲学史研究や具体的事象分析など多彩な成果に恵まれる

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 ベテランの大作や若手の新境地、哲学史研究や具体的事象分析など多彩な成果に恵まれた。

荒谷大輔『ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析』(講談社選書メチエ)はラカンを哲学者として捉え直す。ヘーゲル「主と奴隷の弁証法」は精神分析理論の下敷きになり、逆に、物自体としての実践的自我という、カントにおいて不問に付された前提は鏡像段階説によって根拠づけられる。ラカン「哲学」の射程はクリプキ批判にまで及ぶ。

熊野純彦の進撃が止まらない。800頁を超す『本居宣長』(作品社)。宣長受容を扱う「外編」では、西欧近代文献学に比肩しうるその方法論と、古代盲信や対外排斥といった過激思想との両立可能性などをめぐる「宣長問題」が、明治初年に指摘されて以来、小林秀雄や子安宣邦など現代にいたるまでどう受け継がれたか、著者自身の解読による「内編」では、宣長が、いかに神話の「ことば」を生き直していたかが描かれる。『マルクス 資本論の哲学』(岩波新書)は、『資本論』基本概念を解説しながら、形而上学や時間空間など哲学基礎問題との関連を明らかにし、ついには贈与という新次元へとむかう。

「日本の哲学」というと京都学派ばかりが論じられるが、藤田正勝『日本哲学史』(昭和堂)は、明治初年の西周や井上哲次郎などから坂部恵や廣松渉など、最近の人々にいたるまで、その所説を簡明に紹介しながら、根底に秘められた古来の自然・歴史・人間理解との関連を描く。外国語翻訳が望まれる著作。

富田恭彦『カント批判:『純粋理性批判』の論理を問う』(勁草書房)は、デカルト以降の「西洋近代観念説」が、古代原子論復活とその変形過程であるという見通しのもと、カントが「時代の子」であったことを示していく。ヒュームによって「独断のまどろみ」から覚醒したという発言も、両者の基本前提の相違を考えると、にわかには信じがたいという。

伊勢田哲治『科学哲学の源流をたどる:研究伝統の百年史』(ミネルヴァ書房)は、フランシス・ベーコンにまで遡って、「研究伝統としての科学哲学」の断絶に満ちた移行を描く。「科学者(サイエンティスト)」という言葉が、1830年代、当初は皮肉交じりに生まれた、など、意外な発見も多い。

石原孝二『精神障害を哲学する: 分類から対話へ』(東京大学出版会)は、病者の監禁・管理・分類から、その主体性を重んじた対話へと向かいつつある、現状を描く。「治療」ではなく「リカバリー」、すなわち「障害がもたらす限界の中で……新たな意味と目的を回復する」という新たな目標は、「健康」「生きる意味」の問い直しを迫る。

先日、ルーヴル美術館は、マンガを第九の芸術と認定したが、松永伸司『ビデオゲームの美学』(慶応義塾大学出版会)は、芸術としてのビデオゲーム「ならでは」の特色を、ネルソン・グッドマンの意味論などを用いて分析し、行為・遊びの美学という新たな地平を切り開く。
この記事の中でご紹介した本
ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析/講談社
ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析
著 者:荒谷 大輔
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析」出版社のホームページはこちら
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