私の1968年 書評|鈴木 道彦(閏月社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年12月29日 / 新聞掲載日:2019年1月4日(第3271号)

再論の〈季節〉、再論の〈意味〉
ひとりの知識人の生涯を万人の戦後精神史として読む

私の1968年
著 者:鈴木 道彦
出版社:閏月社
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私の1968年(鈴木 道彦)閏月社
私の1968年
鈴木 道彦
閏月社
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わたしはフランス文学を勉強していた頃から、鈴木道彦の著作は自分には難解すぎると思っていた。ところが鈴木道彦の集大成、自分の生涯についての再考であり、新しい読者のために書かれたこの本は、一気に読むことができた。うれしい。再論はなぜ、今という季節に書かれねばならず、再論が行われ、再論が読まれることの意味は何か。

鈴木道彦の初期評論集に『アンガージュマンの思想』(晶文社、一九六九年)がある。彼は最初の留学時、一九五四年にはじまったアルジェリア独立戦争に直面、サルトルの用語「アンガージュマン」がフランスの植民地であったアルジェリアの独立戦争にたいする、宗主国であったフランスの知識人が為した自己批判と植民地叛乱側への参加を内容とすることを日本の読者へ伝えた。鈴木道彦はサルトルを解説して終わったのでなく、サルトルと同様に戦前の日本帝国による植民地支配に由来する戦後日本社会における在日の問題を考え、一九六八年には金嬉老がおこした殺人事件および人質監禁籠城事件裁判の特別弁護団に参加、実践によってアンガージュマンというカタカナ語に内容を与え、定着させた。

長期にわたった闘争支援のあいだにおこなわれた二度目のフランス長期滞在で彼はパリの五月革命と出会う。当時、各国で同時多発的におこった大衆の動き、体制に語源どおりのラジカルな疑問をつきつけた運動の波動が、鈴木道彦の視野と思考をさらに広げ、深めた。回想記として書かれた『異郷の季節』(みすず書房、一九八六、二〇〇七年)と『越境の時 一九六〇年代と在日』(集英社新書、二〇〇七年)がくわしく語るとおりである。本書には、最初に著者がことわるように、旧著や既発表論文と重なる文章が含まれている。以下の構成が読者に、ひとりの知識人の生涯を万人の戦後精神史として読むようにと、うながす。

第Ⅰ章は一九六七年一〇・八日本の羽田闘争を、第Ⅱ章はフランス六八年五月を、第Ⅲ章はアルジェリア戦争のフランス軍隊、ベトナム戦争のアメリカ軍からの脱走兵からみる国家を、第Ⅳ章は鈴木道彦の翻訳によって日本で知られたフランツ・ファノンを論じている。最終第Ⅴ章は、鈴木道彦自身が抗議と支援を行った金嬉老事件をはじめとする在日と呼ばれる人々の叛乱を「日本のなかの第三世界」とうけとめた記録と分析である。各章において「抑圧者の暴力と被抑圧者の暴力」の問題がくりかえし考察される。まるで、五〇年後の二〇一八年、世界各地でおこる「暴動」の意味を問うかのようだ。

本書の半年前に出版された『余白の声 文学・サルトル・在日―鈴木道彦講演集』(閏月社、二〇一八年)は、ほぼ同じテーマを、聴衆にじかに語りかける。再論はそのたびに新しい読者にたいし、新しい書き方、語り方でなされる。年齢のちがう人間同士が並んで同じ風景をみているとしても、記憶をとおしてみるそれぞれの風景の意味は違う。鈴木道彦は、戦争を知る世代の数少ない生き残りの一人として、ふたたび国境を高くし、他者を排除し、内部統制を強化する現代社会にたいして自分が抱く危機感を次世代へ伝えようとしている。物の見方はまた、それぞれが生きてきた現場体験によっても違う。鈴木道彦にとっては、文学研究者としての長い経歴、観念と言葉の世界が重要な現場であった。彼が蓄積してきた言語体験と研がれた言語感覚は裁判闘争や支援活動において、独自の役割をはたした。

わたしはひとつだけ、鈴木道彦の「民族主義」には「否定の」という限定詞がついていることを知りつつも、鈴木道彦の用いる「民族責任」に違和感をいだく。植民地と向き合うことにより民族という主体をたちあげ、そこに自分の主体を重ねることが、わたしにはできない。女性はしばしば民族の象徴にまつりあげられるが、その主体にはされない。そう考えると「知識人」は基本的に男性名詞なのではないかと思われる。

鈴木道彦が論じる一九六八年は近代社会から大衆社会への転換期であった。第三世界と残る両世界内部の女子供の尊厳と言葉の獲得が始まったのはあの時からではないか。わたしは近代にはなかった自分の居場所をその後の大衆社会においてさがす人間のひとりである。しかし解放の結果はいいことばかりではない。五〇年のあいだに言葉には以前にもまして垢がつき、全体主義的ポピュリスムが、わずかにそれぞれの声をあげはじめた草の根運動を圧倒しようとしている。鈴木道彦をあえて誤読し、主語をいれかえるなら、鈴木道彦の再論を読む意味は、特別ではない個々の考える人が「マルチニックやアルジェリア以上に複雑隠微な日本の現実の中から、知識人を否定しつつ各自の実践を通じて知識人の可能性をたえ間なく問いつづけることを措いて他にあり得ないであろう」(本書二一八頁)。
この記事の中でご紹介した本
私の1968年/閏月社
私の1968年
著 者:鈴木 道彦
出版社:閏月社
以下のオンライン書店でご購入できます
「私の1968年」出版社のホームページはこちら
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