近代俳句の諸相 書評|青木 亮人(創風社出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年12月29日 / 新聞掲載日:2019年1月4日(第3271号)

写生をめぐる〈審美眼〉の問題
俳句史とともに近現代芸術史を振り返る

近代俳句の諸相
著 者:青木 亮人
出版社:創風社出版
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明治時代の始まる一年前、慶応三年(一八六七年)に生まれた正岡子規は、旧派の俳句を否定するとともに「写生」を提唱して、俳句の革新を唱えた。近代俳句の創始者としての子規が果たした、もっとも大きな仕事は、本書で著者が紹介しているように「子規は創作家であるよりも批評家である、さらに天才的な鑑賞家であり、一代の価値決定者であつた」(保田與重郎「正岡子規について」『英雄と詩人』)ことにちがいない。

『近代俳句の諸相』と題された本書では、子規を筆頭に、高浜虚子、高野素十、尾崎放哉、山口誓子、中村草田男、石田波郷、菖蒲あやといった俳人の論考が収録されている。一九世紀後半から二十一世紀に至るまでの俳句表現史の系譜が、本書の射程にはおさめられている。

さて「近代」「諸相」といった用語の指す内容は幅広いが、本書の問題意識は一貫している。それは、子規の提唱した「写生」の思想が、どのように深められ、刷新されたのかという写生をめぐる〈審美眼〉の問題である。

子規から虚子が引き継いだのも〈審美眼〉であった。虚子は大正期から昭和期にかけて「ホトトギス」の雑詠欄で、阿波野青畝、水原秋櫻子、高野素十、山口誓子の四人の若手俳人を見出す。虚子は、その中でも高野素十と山口誓子の「写生」の独自性に着目する。

方丈の大庇より春の蝶           素十

ひつぱれる糸まつすぐや 甲虫

著者も指摘するように、これらの句は意外な「些事」と、その「些事」にいかに出会ったかという驚異が、即物的に示されているだけだ。虚子は「自然は何等特別の装ひをしないで素十君の目の前に現はれる」「実際の景色に遭遇する場合、その景色の美を感受する力が非常に強い」として素十の「写生」の客観性と即物性を高く評価している。

こうした虚子の素十評について、著者は小林秀雄の「セザンヌ」(『近代絵画』一九五八年)との類縁性を見出す。フランスの画家のセザンヌ(一八三九~一九〇六)と素十(一八九三~一九七六)とは無縁のように思われるが、医師でもあった素十が一九三〇年代前半にドイツに留学していたことなどを考え合わせると、この発見は突飛なものではなく、大いなる説得力を伴って、首肯できるものだろう。

「自然を見るとは、自然に捉えられる事であり、雲も海も、眼から侵入して、画家の生存を、烈しい態度で、充たすのである。セザンヌは客観主義の画家と言われるが、大事なのは、そうした言葉の意味なのであって、当時の芸術に非常に大きく影響した科学的客観主義の意味を、彼ほどはっきり見抜いていた画家はない様に思われる。」

「大事なのは、自然を見るというより、寧ろ自然に見られる事だ。」
(小林秀雄「セザンヌ」より)。

「セザンヌ」は絵画論であるが、「画家」という言葉を「俳人」と置き換えても、俳句の実作者には深く納得できるのではないか。

本書ではこのほか、素十の写生の「近代絵画性」に対する、誓子のモダニズムと「映画性」なども論じられており、興味深い。俳句史とともに、近現代芸術史を振り返っているような知的な楽しみに満ちている。

著者は昨年NHKラジオ番組「俳句の変革者たち」で、近代の俳句から現代の高校生たちの俳句甲子園に至る俳句の近現代史を分かりやすく紹介して好評を博した。

専門家はもとより、詩歌や芸術を愛する一般読者にも、学究的な立場から、俳句の魅力を解き明かしてくれる格好の書物である。
この記事の中でご紹介した本
近代俳句の諸相/創風社出版
近代俳句の諸相
著 者:青木 亮人
出版社:創風社出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「近代俳句の諸相」出版社のホームページはこちら
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