美術の力 表現の原点を辿る / 1331(光文社)美術鑑賞は一種の巡礼行為 感性や知性に加え身体感覚をともなう体験|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年1月5日 / 新聞掲載日:2019年1月4日(第3271号)

美術鑑賞は一種の巡礼行為
感性や知性に加え身体感覚をともなう体験

美術の力 表現の原点を辿る
著 者:宮下 規久朗
出版社:光文社
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 大手マスコミの主催する展覧会は、電車の中吊り広告やテレビのCMでしきりに宣伝され、一種の社会現象のようになっている。しかし、実は美術館や展覧会というものに行く層はかなり限られており、社会全体に及んでいるわけではない。大半の人間は自分には美的センスや素養がないから美術など関係ないと思っており、日頃から美術館に行く人は意外なほど少ないのが日本の現状である。
もっとも、美術は知識でなく感性で見るものだから、誰でも楽しめるというのも誤りである。たしかに、美術は万人に開かれているが、美しいという感性だけで楽しめるほど気楽で容易なものではない。

ある程度の知識があれば、面白くなるのは確かだ。作者の名前を知っているだけで作品への興味がわき、その美しさや個性もわかってくる。美術の鑑賞というのは、ある程度の知識を前提としたものであり、知れば知るほどおもしろくなるものであって、感性といういい加減なものだけでなく、知性と理性を動員しなければならない営為なのだ。それに加え、実際に見に行くという行為が大事だ。

そもそも美術というものは、美術館に展示されているような大層なものだけでない。造形物やイメージというものすべてが美術である。葬式やお墓、仏壇の遺影の前ではみな手を合わせるし、神社に行けば賽銭を投げて柏手を打つ。形あるものや特定の地域に対する敬意や祈祷こそが、美術の原点である。

本書は、イスラエルに行ったときの感想から始まる。この世界有数の巡礼地には、長い戦乱やイスラム化によって見るべき遺跡や文化財が乏しいにもかかわらず、今日まで途切れずに続いてきた巡礼と信仰の歴史が蓄積しており、それによって圧倒的な場の力が支配している。歴史ある聖地や巡礼地には、必ずといってよいほどそれがあるものだ。

こうした場の力は建築用語で「ゲニウス・ロキ(地霊)」というが、美術作品もみな、あるべき場所で力を放つものなのである。仏像や祭壇画のように、もともと社寺や宮殿にあったものは、その本来の場所でこそ効果を発揮するが、たとえそれらがミュージアムに移されても、そこで新たな命を得る。そしてその作品をわざわざ見に行くという行為は一種の巡礼にほかならない。

画集やネットで見るだけではない、実際の運動やそれに要する時間、さらにその空間への理解が必要なのだ。美術を見るということは、感性や知性に加え、こうした身体感覚をともなう体験である。真剣に絵を見ると非常に疲れるし、空腹になるのはそのせいであろう。ちなみに、食と美術とは深い関係にあるのだが、それはかつて同じ光文社新書として出した『食べる西洋美術史』で論じたことである。

本書の大半は、脈絡なくそのときどきの美術展やトピックをもとに書いたエッセイによって構成されている。美術にまつわる様々な見方や知識を楽しみ、実際に作品を見に行ってその空間とともに体験していただく契機やヒントとなれば幸いである。
この記事の中でご紹介した本
美術の力 表現の原点を辿る /光文社
美術の力 表現の原点を辿る
著 者:宮下 規久朗
出版社:光文社
以下のオンライン書店でご購入できます
「美術の力 表現の原点を辿る 」出版社のホームページはこちら
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