姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』 ブックトーク レポート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年1月11日 / 新聞掲載日:2019年1月11日(第3172号)

姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』 ブックトーク レポート

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二〇一八年十二月十二日、東京大学駒場キャンパスで、〈姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク〉が開催された。
講演者は、本書の著者である姫野カオルコ氏、パネリストは大澤祥子(ちゃぶ台返し女子アクション代表理事)、島田真(文藝春秋編集者)、瀬地山角(東京大学教授)、林香里(東京大学教授)、司会は小島慶子(エッセイスト、東京大学客員研究員)の各氏。

本イベントが開催されたのは、姫野氏の小説『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋)が、二〇一六年に起きた東大生による強制わいせつ事件に着想を得ていることによる。〈性の尊厳、セクシュアル・コンセントとは?(性暴力事件の再発防止のために何が必要か)〉〈「学歴社会」と性差別について〉〈「東大」というブランドとの付き合い方、向き合い方〉などを考察する場として設けられ、姫野氏から執筆動機や制作秘話を伺い、登壇者とのパネルディスカッション、会場からの質疑応答へと進んだ。このレポートではイベントを通して考察された、会場からの質疑応答を中心に紹介したい。

イベントの前半でジェンダー論を専門とする瀬地山氏から、姫野氏の小説に対して、加害者として描かれた東大生に挫折感がないことや、東大(三鷹寮など)の描写の事実との差異に、リアリティを持って読めなかった等の感想があがった。それに対し、会場から東大の大学院生は「私が見聞きしている限りでは、劣等生に限らず、業績を残している優秀な人が、深刻な加害を行ってしまっている事例があります。学内でどのようなハラスメントが起きているのかという調査が、東大ではほとんど行われていない。いろいろな事例がありうるのだから、小説に書かれた世界を否定することは難しいのではないか」と語った。

また駒場の教員から、「どうしても当事者感覚で読んでしまうところがあり、確かにここは違うかなと思うようなところはありました。でも小説の中に、大きな真実は書かれていたたと思っています。それは五人の東大生が、集団レイプに介したこと、有罪になったこと。どうしてこういうことが起きたのか、学歴社会なのか、東大の男女比なんだろうか、歪んだサークル構造なのか、考えるヒントをくれる小説だと思っています。東京大学から、このような学生が、三万人中五人だからと開き直ることはできない。絶対にもう一人も生み出さないということを、学生と教職員にも、真剣に考えさせてくれる小説として読みました。当事者として、我々は何をしなければいけないのか、真剣な話合いを、もっと大学の中ですべきだと思っています」と意見した。

学外からも、「小説を読んでいるとき、自分のこととして、落ち込む瞬間が多々あった。それは加害者および被害者バッシングをした人たちの発言や心の動きと、相似の感情が自分の中にもあったから。〈東大〉という記号だけでなく、例えば部活のプレイヤーとしてちやほやされる側に立つとか、小さな集団の中で発言力がある側に立ったときに感じる、快楽のようなものとの距離の取り方が、一番のテーマとして重くのしかかった」と述べられた。

また「小説の最後に、東大卒の弁護士が出てきますが、学生のうちに事件を起こさなくても、弁護士や医者などの職業についてから、患者やクライアントに強権をふるうような価値観を持っているとしたら問題だと感じます。大学の教育でセクシュアル・コンセントを教えることはもちろんですが、もっと包括的に倫理的なことを教えられないか」という意見もあった。

それに答え林氏は、「構造や制度としての男女比の歪みが、こういう問題の起こった一要因ですが、それに対して私たちはソフト面で何ができるのか。東大で他部局のことをどうこういうのはタブーであることを承知でいうと、東大の学生は全員が教養学部を通って専門に分かれるのですから、一・二年の〈教養〉の過程で、ジェンダー教育を必須にするべきだと思います。東大の学生が、セクシャリティの問題や、それをどう表現するか、社会とどのようなインタラクションを持っていくのか……この話は簡単ではないんです。〈男女〉というものを当たり前に考えているけれど、最も当たり前のことを疑い、定義を知的に再建していく、難しい研究です。その一部を教養として学んでいくべきで、学生と教員、あるいは事務の人みなで、そうした姿勢を作っていくということが重要ではないかと思います」と話した。

林氏は、「東大の学生が「私たちを誤解するような小説を読む意味はない」と言うならば、そういう記号とは違う自分たちをもっと発信していくべき。誰がその記号を押し付けているか、誰がその記号で得しているかというと、マスキュリンな、より男性的な〈東大〉だと思います。〈東大生の挫折〉と〈東大生以外の人の挫折〉を分断して、その差異を議論することにはあまり意味はなく、それは日本社会全体と繫がっている問題です。そこをこの小説を通してもっと議論してもいいのではないか、と思った」

「私たちがよくしていこう、闘っていこうとする相手は、小説ではない。小説はきっかけであり、私たちにテーマを与えてくれた。それを課題に私たちが議論をして、問題をみつけるということがあっていいのではないか」とも語っている。

司会の小島氏は「小説は事実かどうかというよりも、人間の得体の知れなさ、割り切れなさみたいなものを味わう場として豊かだと思います」「今日は話題になりませんでしたが、〈学歴〉という記号や、〈女と見た目〉、女が女に吐く呪い、女性が消費されていくそのシンドさなどについても、新たな文脈でシンポジウムができるぐらい、いろいろな読み方ができる小説だと思っています」と語り、会はお開きとなった。
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