QQQ 書評|和合 亮一(思潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年1月12日 / 新聞掲載日:2019年1月11日(第3172号)

世界の理不尽さに向けて
これまでにない詩境、詩篇自体が問いと化していく

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著 者:和合 亮一
出版社:思潮社
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QQQ(和合 亮一)思潮社
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和合 亮一
思潮社
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 東日本大震災の直後に「行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいとおもいます」という宣言のもと、和合亮一が、ツイッターで発表した『詩の礫』は大きな反響を呼び、詩人を被災地の代弁者的な立場に押し上げたが、和合亮一がそれ以前から、もっとも先鋭な現代詩の書き手であったことを忘れてはならないだろう。

その詩は、言葉から意味を振り落とすかのような疾走感に満ちたシュルレアリスティックなものであり、それまでの日本語によるシュルレアリスムの詩が、難解な語彙を駆使して意味のねじれを作るのがもっぱらであったのに対して、一見したところ、日常的な意味を持つように見えるセンテンスを意味が跳躍してしまうような接続でもって超現実的なイメージを実現する、目覚ましいものであった。

さらに、非意味を志向するように見えながらも、詩の総体は、未来に向けて、あらかじめ祝福を送る予祝性に賭けるものであったことは、和合亮一の最大の特徴と言っていい。

たとえ、否定的なイメージや否定形が続いても「はじめの一行をどのように記すべきなのか/それから先は本当に/幸福な世界が渦巻いている」(「世界」『誕生』所収)といったように、読者は思いがけない未来に連れ出されることになる。

その鮮烈さは、比類ないものだったが、新詩集『QQQ』にも、まさにそうした和合亮一を改めて発見することができる。しかし、それだけではない。

開巻の一篇「蛾になる」は、「わたしは夜になると/寂しい場所にある大きな刑務所へと歩きます/道なりが続いていて車も人もいないのです/もっとも午前零時ですからいるわけはないのです」という静かで印象的な書き出しから始まる。舞台は刑務所へと続く道であり、時刻は午前零時であることが明示されているわけだが、それからの展開は、まるで異界を覗くかのようで、具体的かと思うと抽象的だったり、およそ、予測がつかないものになっている。
「風景はただただ/重たさを含み笑いしてゆく/木が青くなって/これらは膨大な生き地獄の木立」。そうなのだ、この詩集には、どこか、渡ってはならない川を渡ってしまったような後悔と自省が通奏低音になっているところがある。

詩的主体である「わたし」は「生存の意味」に「わたしの内側の黒い繭」を満たされ、「蛾」になっていく。つまり、「蛾になる」とは、タイトルが示すようにオウィディウス的な変身譚にほかならないのだが、そのメタモルフォーシスは、華麗なものではなく、限りなく陰鬱で未来が閉ざされていくかのような感覚に満ちている。

これは、和合亮一において、これまでは見当たらなかった詩境と言ってよい。おそらく、その変化は東日本大地震以降、地震のみならず豪雨や台風といった自然災害に見舞われ続けている日本の現実からもたらされたものなのだろう。
「やせた牛はのろのろ歩く?」という一行から始まる表題作「QQQ」は、すべての行が疑問符で終わる。世界のあらゆる存在と事象に疑問符を投げかけつつ、詩篇自体が問いと化していくかのような傑作であり、この詩集は、カタストロフと世界の理不尽さに向けて終わることのない問いを突きつけるものなのではないだろうか。(きど・しゅり=詩人)
この記事の中でご紹介した本
QQQ/思潮社
QQQ
著 者:和合 亮一
出版社:思潮社
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