意味がない無意味 書評|千葉 雅也(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年1月12日 / 新聞掲載日:2019年1月11日(第3172号)

無意味とノスタルジー
ドゥルーズから思弁的実在論までを貫く、一人の哲学者の思考の軌跡

意味がない無意味
著 者:千葉 雅也
出版社:河出書房新社
このエントリーをはてなブックマークに追加
本書は、現代日本の思想シーンにおける最も重要な書き手の一人である哲学者・千葉雅也による、『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社、二〇一三年)に続く、哲学的かつ批評的な第二の主著である。哲学論文の他に、美術批評、ファッション批評、書評、その他分類しづらいエッセイなどが、適切な改稿を施されたうえで本書には収められている。したがって私たちは本書を通じて、千葉の「第一期の仕事」(と千葉自身が名づけるもの)をファイナライズされた状態で、パノラミックかつミクロスコピックに振り返ることができるようになったと言えるだろう。

この「第一期の仕事」の鍵概念は、『動きすぎてはいけない』での表現に従えば「非意味的切断」、そして「有限化」であった。本書はこれらの概念を、新たに「意味がない無意味」というトートロジー的表現によって名づけなおそうとする。本書序論「意味がない無意味――あるいは自明性の過剰」によれば、「意味がない無意味」とは、「意味がある無意味」に対立するものである。「意味がある無意味」は、フランス現代思想/ポスト構造主義の哲学がこだわってきた「穴」「不可能なもの」「現実界」の論理に対応している(『動きすぎてはいけない』の用語法では「構造主義的ホーリズム」がまさにそのようなものであった)。他方「意味がない無意味」は、潜在性の干上がった純粋現実態であり、端的に言うと「行為の本質」すなわち「身体=形態」のことであるとされる(これが『動きすぎてはいけない』の「非意味的切断」に対応している)。このように「第一期」の千葉には、ポスト構造主義の伝統、とりわけラカン派精神分析の枠組みの内部からの乗り越えという課題が、一貫してはっきりと存在していた。その事実の確認と、それを踏まえたうえでの思考の方角の再調整という新しい課題が、この「意味がない無意味」という二重分節的な表現には賭けられているのではないか、と評者は見ている。

ところで、「はじめに」で明言されるとおり、本書に収められた文章には「批評と呼べるものもあれば、哲学論文と呼べるものもある」。千葉の思考は野生状態の諸存在に向けられており、それゆえ必然的に雑多化し、交雑し、雑種化する。千葉は自身の専門は「存在論 ontology」であると明言するが、ある意味で本書に収録されたすべての論考は「存在論」、それも雑種的な「存在論」を語っていると見なせるものである。哲学的考察と批評的考察のギアを噛み合わせ、存在一般と特異的な対象とを並行的に論じてみせるところに千葉の思考の本領があることは、『動きすぎてはいけない』の脱構築的ドゥルーズ読解の時点ですでに証明されていた。本書はそれを文化一般におけるより具体的な諸事例に即して展開したものとしても読まれうる。前半に置かれた芸術論「思考停止についての試論――フランシス・ベーコンについて」や「パラマウンド――森村泰昌の鼻」はその印象を鮮やかに補強する。

たしかに千葉の論には「ほどほどさ」としての「有限化」の推奨、「儀礼」の擁護といった、保守的と受け取られかねない側面がある。しかし本書を構成する諸部分の雑多さ、そしてところどころに顔を覗かせる、度し難い自己(破壊の)享楽への誘惑を見て取るならば(たとえば「力の放課後――プロレス試論」)、一転して千葉の存在論的アナーキズムへのコミットぶりは疑いようのないものとなる。そもそも、上で触れた「意味がある無意味」と「意味がない無意味」の対立図式にしたところで、最終的には「相対主義」と「ポスト・トゥルース」(!)の対立図式に重ねられていくのである。千葉は「ポスト・トゥルース」を「相対主義」から区別する。いわく、現在世界的に生じているのは後者におけるような「解釈の争いではな」く、前者におけるような「世界と世界の争い」なのだ、と。ここでは「世界」は、カンタン・メイヤスーに依拠して「偶然的事実」と同一視される。そのような「事実=世界」は理由もなく生成し、消滅しうる。同じ主題は、論考「此性を持つ無――メイヤスーから九鬼周造へ」では「複数的な無」の観念によって、「思弁的実在論と無解釈的なもの」では「石-秘密」の観念によって、変奏されるだろう。あれこれの無、解釈を撥ねつける石たち、それが衝突しあう諸事実=諸世界である。

この思想、この存在論が危険でないはずがない。だが同時に本書『意味がない無意味』は、「アンチ・エビデンス――九〇年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い」に典型的な様相的留保表現の数々を通じて、個体的事物のリアリティをこれ以上なく柔らかに眼差そうとするノスタルジーに貫かれた書物でもある。留保なき無意味と留保そのものとしてのノスタルジー。本書のこのような性格的二重性をどう「解釈」するのか、それは読者に委ねられている。(なかやま・ひふみ=批評家)

この記事の中でご紹介した本
意味がない無意味/河出書房新社
意味がない無意味
著 者:千葉 雅也
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「意味がない無意味」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
千葉 雅也 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 哲学・思想関連記事
哲学・思想の関連記事をもっと見る >