技術の完成 書評|フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー(人文書院)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年1月12日 / 新聞掲載日:2019年1月11日(第3172号)

「リスク社会」の予言の書
現代技術という一大迷宮に思いをめぐらす

技術の完成
著 者:フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー
出版社:人文書院
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 東日本大震災から、もうすぐ八年。3・11以後、何が変わったのだろうか。何も変わっていやしないと言い捨てたくなる反面、やはり確実に変わったことがあるとも感じる。その一つに、自然と技術との関係を再考するのに役立つテクストに対して、以前よりも感度が上がったことが挙げられる。3・11以後の観点からハイデガーの技術論を読み直す試みも活発となった。そんな中、改めて味読されるべき現代の古典がまた一つ現われた。本邦初訳の一九四六年刊『技術の完成』である。

著者フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー(一八九八―一九七七年)は、二〇世紀ドイツの高名な作家エルンスト・ユンガー(一九九五―一九九八年)の実弟。兄エルンストの『総動員』や『労働者』がハイデガーの思索に影響を与えたことは有名だが、弟フリードリヒ・ゲオルクの本書もハイデガーの技術論に少なからぬ刺激を与えたと訳者解説にある。どれどれと読み始めると、なるほどと唸らせる論述がのっけから続く。他方で、3・11以前にはこれほどの感度では読めなかっただろうとの思いもよぎる。出るべくして出た翻訳であり、二〇〇八年から十年がかりで訳出したF・G・ユンガー研究会に敬意を表したい。

題名『技術の完成(Die Perfektion der Tech-nik)』については、最初のほうで示唆が与えられる。技術の進歩によって人間は労働から解放され、ゆとりと自由な活動を手に入れると信じられているが、話はあべこべで、むしろ労働量は全体として増えている。機械にできない仕事を労働者は強いられ、機械を補助し、機械に従属する労働に投入される。「技術の完成」とは、技術の目的=終局と喧伝されているのとは裏腹の事態なのである。

もう一つ俎上に載せられるのは、技術の進歩による富の増大という幻想である。生産性の向上によって豊かになるのなら、われわれはとっくに豊かになっているはずだが、その実感はない。消費が増えているのは、必需がもたらした結果にすぎず、持続的貧困が前提となっている。消費の増大とは、豊かさではなく貧しさの徴なのである。「そこで起こっているのは絶えず増大し、力強くなるばかりの、とどまることのない消費であり、地球上にこれまでなかった規模の収奪である。仮借ない、次第にエスカレートする収奪こそが、現代技術の特徴なのだ。そしてこの収奪のみが技術を可能にし、技術を開花させる」。

このあたり、ハイデガーが現代技術の本質として性格づけた「総かり立て体制(Ge-stell)」に酷似している。ゲ-シュテルは「巨大収奪機構」とも訳される。ただ、それを言うなら、マルクスの「資本」批判こそ原型というべきだろう。重要なのは、「収奪」をさらにどう規定するかである。ユンガーはここで、「自動化」に着目する。「技術の進歩とは、あらゆる種類の自動機械(アウトマート)が増えることと同義である」。現代の技術を特徴づけるのは自動化であり、これによってはじめて技術は完成の域に達するのだという。
ユンガーはとりわけ、時計という機械によって測定された時間概念を重視する。「時計による時間の測定が依拠しているのは、一つの事象が機械的に正確に反復をするということである」。時計によって測定される時間をあっさり「死んだ時間」と呼ぶのはいささかロマン主義的だが、時間測定への着眼は鋭い。自動的に引き起こされる機械的に一様な反復を、「車」という事例に即して考察しているのも面白い。かくして、自動機械の反復運動に従属させられてゆく人間の労働が、分業という自動化の原理に即して浮き彫りにされる。

さらにユンガーは、収奪という性格を、機械を装備した実験室で待ち伏せしては、「自然を圧迫し、苦しめ、暴力的手段によってその法則性を顕わにしようと奮闘する」科学的探究態度に見てとる。フランシス・ベーコン以来の「自然の拷問」の作法だが、ユンガーの議論のポイントは、自然が、暴力的攻撃を受け略奪されるがままではなく、いわばその挑発に乗って反抗してくる、とする点にある。「挑発」という語で現代技術の動向を言い当てようとしたのはハイデガーだが、ユンガーはそれを先取りしていたかのようである。ユンガーが自然の根源的な力を徴用する例として挙げている「採掘」は、ハイデガーの技術論でも範例とされる。「ウラン」開発が語られている点も同じである。
「根源的な自然は機械設備によって封じ込められ、すさまじい力で押しつぶされ、打ち負かされ、人工的な方法で搾取される」。だが、「一方的に働く圧力や強制、機械によってもたらされる恐喝には、それに対応するものがあるのだ。というのも、ここへきて今度は根源的な自然の方もまた、その力ですべての機械的なものを満たし、己を屈服させた機械設備の中で拡大、拡張してゆくからである」。
技術の側の「機械的なもの」と自然の側の「根源的(エレメント的)なもの」との相互作用を記述するユンガーの筆致は冴えており、つい長々と引用したくなる。「単調な作業工程を自動的にこなす機械の中を、猛烈なパワーの根源的諸力がはち切れんばかりに満たしてゆき、パイプやボイラー、車、導管、炉の中を漂流し、機械装置という牢獄、すべての牢獄同様に囚人の脱走を防ぐために鉄と格子で覆われている牢獄の中を疾走する。しかし、技術によって引き起こされた耳慣れない奇妙な音の洪水に耳を凝らすとき、かの囚人たちのため息や嘆き、身悶えやあがき、すさまじい怒りを聞かない者がいるだろうか」。
技術が完成に向かえば向かうほど、根源的諸力の「反乱分子的」破壊性も高まる。技術下の進展に伴い頻度を増す機械工場の「稼働中の事故」が、その実例とされる。「抑圧されてきた根源的力がどっと沸き出して自らを解き放つ瞬間」、人為に対する自然の報復行為が行なわれる。「技術の進歩に伴い」、「凶暴で破壊的な、爆発的な事象が頻発する」。
こうした記述をそのまま原発過酷事故の凄惨な光景と重ね合わせてしまうのは、私だけではないだろう。われわれの前にあるのは「リスク社会」の予言の書なのである。
荒廃した「原子力都市」を描くユンガーの筆致も、予言的である。プルトニウム工場、ゴム手袋とマスク、ガイガー管とアルファ線カウンター、警告サイン。
「放射線はすべてを汚染する。この汚染は、今日明日のみならず、何千年もつづく。放射性廃棄物が置かれたところは、人間が住むことのできない土地となったのである」。
ユンガーの叙述のスタイルは、論理的というより即物的であり、もっと言えば印象批評的である。本書を読んでも、現代技術のゆくえに関する指針は与えられない。隔靴掻痒の感は否めない。だがそれは本書の責任ではない。現代技術という一大迷宮に思いをめぐらすこと自体、得体のしれないヒリヒリしたむずがゆさに囚われざるをえないのだ。(今井敦・桐原隆弘・中島邦雄監訳)(もり・いちろう=東北大学教授・哲学)
この記事の中でご紹介した本
技術の完成/人文書院
技術の完成
著 者:フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー
出版社:人文書院
以下のオンライン書店でご購入できます
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