今中哲二氏インタビュー〈飯舘村長泥地区をフレコンバックの最終処分場にするな〉(聞き手=佐藤嘉幸)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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原発事故から8年:飯舘村でいまなにが起こっているのか
更新日:2019年1月16日

今中哲二氏インタビュー〈飯舘村長泥地区をフレコンバックの最終処分場にするな〉(聞き手=佐藤嘉幸)

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福島第一原発事故からまもなく8年が経過するが、強制避難者の賠償問題も含めて、未だ問題はまったく解決していない。福島第一原発事故直後から飯舘村で放射能汚染状況の調査を続けている今中哲二氏に、飯舘村の現状についてお話を伺った(聞き手=佐藤嘉幸)。(編集部)
第1回
飯舘村での汚染調査

今中 哲二氏
佐藤 
 福島第一原発事故直後から飯舘村で放射能汚染状況の調査を続けておられる今中哲二先生に、飯舘村住民の置かれた状況をめぐって、飯舘村でのご自身の活動との関係でお話を伺いたいと思います。まず、福島第一原発事故直後の話をお伺いします。最初に飯舘村に調査に行かれたときのことを聞かせてください。

今中 
 二〇一一年三月二八、二九日に入ったのが最初です。正直言うと、少し出遅れているんです。原子力屋として事故後の状況を眺めていて、三月一五日の段階で、「福島がチェルノブイリのようになってしまった」という判断を既にしていましたからね。我々専門家が現地に行って、きちんと測っておかなければいけないという意識があった。私自身は、広島・長崎やチェルノブイリについての研究を続けてきて、大事だと思うのは、事が起きた後のデータを取っておかないといけないということです。要するに、事実そのものをきちんとおさえておかないと、下手をすると、なかったことにされてしまう。そういう事態は、これまで歴史的にたくさんあります。だから、自分のできる範囲で、一刻も早く調査をしておきたかったわけです。
ただ、三月一一日の朝、ウクライナからお客さんが来ていて、チェルノブイリ二五年のセミナーを予定しており、どうしても福島に行くことができずにいました。それで彼が帰国した二〇日過ぎから、調査へ向けて動きはじめました。とにかく現地に入って調査をするつもりでした。そんな時、飯舘村の村興しをしているグループのメンバーである小澤祥司さんから、直接電話があったんです。文科省の調査で飯舘村にすごい汚染があるという報道が新聞に出て、一キログラムあたりのセシウムの量も書かれていた。セシウムの数値を見れば、一平方メートルあたりの値もすぐに換算できますから、それとチェルノブイリの強制移住の対象となった地域とを比べてみると、約六倍近くになっていました。それを受けて、朝日新聞に次のような私のコメントが出ました。「原発から北西に約四〇キロ離れた福島県飯舘村では二〇日、土壌一キログラムあたり一六万三千ベクレルのセシウム137が出た。県内で最も高いレベルだ。京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)によると、一平方メートルあたりに換算して三二六万ベクレルになるという。チェルノブイリ事故では、一平方メートルあたり五五万ベクレル以上のセシウムが検出された地域は強制移住の対象となった。チェルノブイリで強制移住の対象となった地域の約六倍の汚染度になる計算だ。今中さんは「飯舘村は避難が必要な汚染レベル。チェルノブイリの放射能放出は事故から一〇日ほどでおさまったが、福島第一原発では放射能が出続けており、汚染度の高い地域はチェルノブイリ級と言っていいだろう」と指摘した」。その記事を読んだ小澤さんから協力を求められ、飯舘村に行くことになった。これが、おおよその経緯です。
もう一つ、あのとき私が考えたのは、放っておくと、国を含めてデータを隠すのではないかということです。「連中、隠す気だな」ということです。なぜか。あれだけ酷いことになっているのに、データが全然出てこなかった。頭をよぎったのは、一九九九年に起きた東海村のJCO臨界事故です。二〇一一年の福島第一原発事故の際の日本の原子力防災体制は、JCO事故を教訓にして作られた原子力災害特別措置法に基づいています。特措法ができたとき、政府の高官がこんなことを言っていたんですね。「JCO事故の際は、情報がバラバラに出て来て困ったけれども、今後は、この法律に基づいて、新しく設置されるオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)で、情報を集約して管理していく」。

佐藤 
 つまり、情報を統制したいということですね。

今中 
 そうです。だから、福島第一原発事故の時に、「隠す気だな」と感じたわけです。でも、今にして考えてみると、オフサイトセンターもろくに機能しなかったし、国のシステムそのものがきちんと動かなかった。すべてがバラバラで、防災システム自体がメルトダウンしたというのが実情です。

佐藤 
 事故直後の三月中旬、飯舘村で白い防護服姿の人々が放射線量をしている光景が目撃されましたね。その時点で、飯舘村がかなりの汚染を受けていることが、原子力安全・保安院(現原子力規制委員会)や原子力安全委員会(同)にも既にわかっていた、と考えていいのでしょうか。

今中 
 いや、ほとんどわかっていなかったと思います。そこまで情報が上がっていなかった。そのことを私は、原子力安全委員会の人間から直接聞きました。

佐藤 
 防護服姿の人たちは放射線量の調査に来たけれども、彼らが取った情報は生かされなかった可能性があると?

今中 
 汚染の情報は取ったけれども、どこかで誰かが握りつぶしたんだと思います。三月一五日に、二号機から放射能の大量放出がありましたね。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の予測だと、浪江町から飯舘村辺りでは、かなり高い数値が出ることがわかっていました。文科省のモニタリングカーが原発から二〇キロ圏内のデータを測っていて、浪江町の赤宇木では、夜の八時ぐらいで、二〇〇〜三〇〇マイクロシーベルトだった。これは報道もされている。佐藤さんが今言われたように、飯舘村近辺では、防護服姿の人が測定をして回っていた。事故直後には、日本全国の原子力関係機関に、すぐ連絡がいって、現地に助っ人が入っていたんですね。福島県ではなく他県から来ている人たちです。例えば避難者に対するスクリーニングにしても、七万人、八万人の対象者がいますから、人手が足りない。だから、私の勤める原子炉実験所からも、所員が応援に駆けつけています。

佐藤 
 ただ、甲状線被曝に関しては、それほど調査しなかったということですね。

今中 
 あれは酷い。原子力屋からすれば、甲状腺被曝についてきちんと測っておくのは、モニタリングの一丁目一番地の話です。けれども福島県が、住民の不安を煽るから調査するなと言って、やめさせたわけです。例えば弘前大学のグループが調査していたら、途中でやめさせられたそうです。ああいうやり方を見ていると、どうも福島県が一番悪いんじゃないかなという気がしますね。

佐藤 
 福島県は今でも、小児甲状腺ガンのデータを、福島県立医科大学を通じてすべて集中的に管理していますね。今中先生が三月の終りに飯舘村に入られたときは、まず土壌調査をして、空間線量を測られたわけですね。

今中 
 ええ。原発事故が起こった後の被曝に関して注意しなければならないのは、被曝にもいくつかの種類があるということです。第一に、放射能プルーム(放射線を含む大気塊)から直接浴びる被曝です。第二に、放射能が地面に沈着し、そこから受ける外部被曝がある。第三に、呼気で吸入する被曝があります。災害評価をやっている経験から言えば、プルームが通ったときの被曝よりも、大きな沈着が起きた地面から受ける方が圧倒的に大きい。八割、九割方は、そちらからの被曝だと考えた方がいいと思います。だから我々も、三月二八、二九日に入った後、五ヵ所から土を採取して、汚染放射能の組成を測定しました。どんな放射能が、どれだけ入っているかが分かれば、汚染が起きてからの放射線量を推定できます。福島の場合、チェルノブイリと比較して、それほどいろんな放射能はないこと、そして五つのサンプルの組成比があまり変わらないこともわかりました。

佐藤 
 そこから初期被曝のデータを作ることができるわけですね。

今中 
 そうです。二〇一一年の秋ぐらいには、自信を持てるぐらいのデータを作ることができました。金沢星稜大学の沢野伸浩さんというGIS(地理情報システム)の専門家が作成した、汚染マップが大変役に立ちました。アメリカの核安全保障局(NNSA)が、三月から五月にかけて、福島県の上空の放射能測定をしたデータがウェブでオープンにされていることを沢野さんが知り、そこから福島県の汚染マップを作ったんですね。例えば、飯舘村のセシウム137の汚染地図はかなり細かく作られている。飯舘村は当時約一七〇〇戸、その一軒一軒の家の汚染レベルが、沢野さんの汚染マップから割り出すことができる。そこに、各人がどういう挙動をしていたかという情報を組み合わせる。
私自身は、二〇一二年から二年間、環境省の研究公募で、「飯舘村の初期放射線被曝評価」というプロジェクトにリーダーとして関わりました。初年度は、すべての家の汚染レベルを見積もり、翌年は、飯舘村村民の約三割に当たる四九六家族、一八一二人の住民にインタビューをしました。「何月何日、どこで何をしていましたか」という質問をし、そうしたすべての情報を合わせながら、被曝評価をしていったわけです。そうすると、避難するまでの外部被曝線量は、平均七ミリシーベルトであることがわかりました(詳細は、以下の論文を参照。今中哲二・飯舘村初期被曝評価プロジェクト、「飯舘村住民の初期外部被曝量の見積もり」、『科学』、二〇一四年三月号、『科学』、二〇一四年三月号)。この数字は、ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)で調停中の人たちにも提供しました。
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