家父長制と近代女性文学 闇を裂く不穏な闘い 書評|長谷川 啓(彩流社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年1月19日 / 新聞掲載日:2019年1月18日(第3273号)

家父長制と近代女性文学 闇を裂く不穏な闘い 書評
女たちによる「不穏な闘い」
近代日本女性文学史の確かな厚みと土壌

家父長制と近代女性文学 闇を裂く不穏な闘い
著 者:長谷川 啓
出版社:彩流社
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近代日本女性文学の研究が、女性研究者を中心に進められてきたということに異論はないだろう。多くは男性中心社会と闘う当事者として、七〇~八〇年代を生きながら、作品を通して先達としての女性作家たちと出会っている。その後継者としての自負が、女性文学を発掘し、文学史を塗り替える原動力となっているのだろう。著者はそのような研究を牽引してきた一人である。

全体は四部構成になっており、第Ⅰ部「近代家父長制への抗い」、第Ⅱ部「社会変革への挑戦」、第Ⅲ部「戦争の時代と、終わりの惨劇」、そして第Ⅳ部「老いの想像力」と、近代の女性作家たちが、その時その時に何と闘ってきたのかが一望できる配置がとられている。「近代女性文学の軌跡をたどることは、今日直面している問題を考える一手立てになる」という発言は、たとえば女性の能力の発揮と戦争が矛盾しないという見えにくい事実を過去から学ぶ必要性を強調するものであろう。

個人的には第Ⅱ部第7章の伊藤野枝論「彗星のごとき伊藤野枝」と第Ⅲ部第13章の尾崎翠論「不安の文学〝母性〟からの離陸とその挫折―尾崎翠における自我の構図」に強く魅かれるものを感じた。

野枝については、「〈大きな社会の壁〉に向かって挑みつづけた、全面戦争のようないのち」と評し、「〈斥けやうとしてゐる習俗〉が、外部にあるばかりでなく、何よりも〈自分と云ふものゝ隅々にまで喰ひ込んで邪魔をするのだと云ふ自覚〉」を見出した点に「まさしく作家の眼」を指摘する。また翠については、彼女の生涯を「神経を痛めてまで己が夢に生きんとした魂の闘い」とみ、「目覚めるということが、自然の解放へとむかわずに、このように逆に自意識の中に閉じ込められてしまう質の存在を、これまでの女の解放の歴史の中では避けてきたきらいがあった」が、翠こそが「早い時期に、この自意識の問題に向かい続けた作家であった」と高く評価している。どちらも活動時期の短い作家だが、近代女性文学を語る上でこの二人が欠かせない所以をくっきりと際立たせている。

他に取り上げられた田村俊子にせよ、宮本百合子にせよ、あるいは著者が専門とする佐多稲子にせよ、どの論においても、作家への深い理解と、時代や社会状況、とりわけプロレタリア陣営内の諸事情や戦時下の軍と作家の微妙な関係への広い知識が、評伝を併せ読むように人物像を立ち上がらせ、その上で展開される読みの世界を説得力あるものにしている。

女はものを言わぬ存在、という前提で始まった近代であるから、社会や国家の思惑に合致しない彼女たちの動きは当然「不穏な」闘いと呼ばれることになる。現代の少子化も、結果的には女性自身をも含む国家全体に危機をもたらしたが、これも女たちによる「不穏な闘い」の結果と言えようか。それならば、高齢化社会も女が作ったものと言えなくもない。第Ⅳ部の「老いの想像力」が外せなかったのは、男とは違う老いの世界を獲得しようとする女の姿もまた「不穏な闘い」の一つであるからだろう。

過去に発表した論考集とのことだが、構成の工夫によって各論の意義が改めて明らかにされ、近代日本女性文学史の確かな厚みが、現代に次々と女性作家たちを生み出す土壌を作り出しているという事実に深く思いを致すことができた。
この記事の中でご紹介した本
家父長制と近代女性文学 闇を裂く不穏な闘い/彩流社
家父長制と近代女性文学 闇を裂く不穏な闘い
著 者:長谷川 啓
出版社:彩流社
「家父長制と近代女性文学 闇を裂く不穏な闘い」は以下からご購入できます
「家父長制と近代女性文学 闇を裂く不穏な闘い」出版社のホームページはこちら
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