日本の同時代小説 書評|斎藤 美奈子(岩波書店 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年1月19日 / 新聞掲載日:2019年1月18日(第3273号)

問われているのは伴走者としての読書人
船頭・斎藤美奈子の導く航路は息つく暇がない

日本の同時代小説
著 者:斎藤 美奈子
出版社:岩波書店
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本書がカバーしているのは、一九六〇年代から二〇一〇年代までの約六〇年間の小説。それも純文学のみならず、エンタメ小説もノンフィクションも含まれている。斎藤美奈子は、こうした膨大な書物群をグルーピングし、意味付けるという途方もない作業を成し遂げた。

この、恐るべき労作の、書評当番になった私の心配は、「読んでない作品のオンパレードだったら、どうしよう…」というものだった。が、結論から言うと(無論、読めていない小説は山のようにあるものの)、骨格や肝に据えてある作品が、封切館で観た映画のように、鮮烈に甦る読後感なのである。一読した時は、文学少女あがりで、国語や日本文学のセンセイをして還暦を過ぎた自分にだけ起こる特典(?)かと思ったが、メモを取りながらもう一読して、いやこれは同時代小説が好きでその時々にそれなりに付き合って来た人なら、カバーしている年代がどこからかの差異はあるものの、ほぼもれなく起こる現象である、と確信した。

その理由は、取り上げられている作品が「問題作」(中には、これが「問題作」だった文壇の価値観の方が問題だというものも含め)か「ベストセラー」(同時代が愛した折紙付)か、希代の読書人・斎藤氏が今読み返して取り上げないではいられないオススメ小説によって構成されている——つまりは、「何を」あるいは「いかに」に照らして面白いもの揃いであることに拠る。

「芥川賞でベストセラー」というキラーコンテンツが、要所要所に配置されている。エンタメ小説やノンフィクションも流行語や社会現象になったような作品が出揃う。近代文学の伝統芸能たる「タワケ自慢の私小説の系譜」を追っていたつもりが、いつの間にかタレントの「涙と感動」の自伝エッセイにとってかわられるマジックや、八〇年代にヴェテラン作家たちが競い合うように描いて見せた奇想天外なユートピア小説群が、二〇一〇年代の東日本大震災に伴う原発事故後に噴出したディストピア小説群に凌駕されて行くどんでん返しなど、最近でこそ、ネットに押されて紙の本は旗色が悪いが、六〇年分を蔵ざらえしてみると、船頭・斎藤美奈子の導く航路は息つく暇がない。作家たちも書き倒したんだろうけれど、読者も本屋や図書館に足繁く通い、頼まれもしないのに読書会をして喧々諤々喧嘩寸前まで語り倒し、良く付き合ったよな…と、溜息が出る(この頃、ポチッとして一人読書が多くなったよなぁ)。

中村光夫の『日本の近代小説』や『日本の現代小説』ではゲットー化さえされ得なかった女性作家たちの小説は、九〇年代以降、質量ともに充実するばかりか、同時代文学を牽引する存在として紹介されている。これと響き合っているのは、七〇年代のノンフィクションの興隆で、石牟礼道子や森崎和江、山崎朋子、そして『複合汚染』の有吉佐和子らの仕事である。

渡辺京二が当初、「石牟礼道子の私小説」と看破した『苦海浄土』が千頁を超える叙事詩として完結するのは二〇〇四年のことであるから、超高齢化社会となった今日、書き手が九〇年代に蒔いた種子の刈り取りを二〇三〇年代にするのはほぼ確定だとすれば、問われているのは作家たちである以上に、伴走者としての読書人(つまり、私やあなた)である。

本が読める状態のからだとこころで、小説が提示してくる「何を」にも「いかに」にも反応できる経験知を積んで、収穫に参加したい——心底そう思わせてくれる一冊である。
この記事の中でご紹介した本
日本の同時代小説/岩波書店
日本の同時代小説
著 者:斎藤 美奈子
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
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