フランス的思考 野生の思考者たちの系譜 書評|石井 洋二郎(中央公論新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2019年1月22日 / 新聞掲載日:2019年1月18日(第3273号)

石井洋二郎著『フランス的思考 野生の思考者たちの系譜』
立教大学 青木 涼馬

フランス的思考 野生の思考者たちの系譜
著 者:石井 洋二郎
出版社:中央公論新社
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 「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える」 ――石井は朝日新聞ヨーロッパ特派員であった笠信太郎の『ものの見方について』(1950)からこの言葉を引用し、序章を始める。かつて人口に膾炙したこのフレーズは「ドイツ人は~」「日本人は~」といった様々なバリエーションを生み出してきたが、このような「国民性」についての類型化には学問的な裏付けなどはなく、曖昧なイメージにより醸成された諷刺に過ぎないと石井は述べる。

そのような漠然とした実感や推測によって、特定の国の人々についてなんとなくわかった気になってしまうような危険性。それを踏まえて、あえてこの本には『フランス的思考』というタイトルがつけられている。「すでに考えられたもの」としての思想ではなく「現に考えること」として、動詞的なニュアンスを含む思考という言葉が採用されている。 また、「フランス的」とは国家としてのフランスの制度的文脈に縛られない思考の記述を目指したゆえである。

紹介されているのは、サド、フーリエ、ランボー、ブルトン、バタイユ、バルト の六人である。彼らは一般に知られている肩書でいえば、作家、思想家、詩人、革命家など様々で、フランス出身である点以外ではまとまりがないラインナップに見える。しかし、彼らはみな、普遍主義と合理主義という思想のありかたを根底から突き崩し、新しい世界の見方を考え出そうとしていたのである。サドは合理性が特定の個人によって保持される危険性を暴力的なポルノによって描き出し、フーリエは革命の時代を生きる中で、集団が合理性を盾に社会を牛耳ることを危惧する。ランボーとブルトンは詩によって人間の主体性を解体する議論を展開し、バタイユは人がなぜ自ら非合理に足を踏み入れるのかを突きとめようとする。そしてバルトは大学での講義の中で、合理性がヒエラルキーを生みだしている可能性に思い至る。

この本を読み終えた後には、目から鱗が落ちるような爽快感はない。何が言いたかったのかがよく分からないという浮遊感に包まれる事すらありうるだろう。しかし、それこそが著者のねらいであったのだと思われる。「思考者たち」の主張が漠然としている分、考える余地は読者に残されており、読了後には各々が異なる思考をするはずだ。

とはいえ、この本から得られる教訓には一つはっきりしているものがある。それは、現代でも普遍的とよばれる価値観に対抗する手段として合理性を引き合いに出せば、かえってそれに足を掬われる可能性があるということだ。現代でもたびたび起こる議論である過重労働問題や、ネット上での執拗なまでの政治的言説の揚げ足の取り合いは、人間に異様なまでの合理性を求めているが故ではないだろうか。

もちろん、合理性の倒錯に気付いたがために性犯罪を起こしたサドや、無闇に革命を起こすことを理想としたブルトンのようになってはならない。しかし、答えのない問いへ向かっていくための一助として、フランスの「野生の思考者たち」に頼りながら思考してみるのも、悪くないのではないかと思われる。
この記事の中でご紹介した本
フランス的思考 野生の思考者たちの系譜/中央公論新社
フランス的思考 野生の思考者たちの系譜
著 者:石井 洋二郎
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「フランス的思考 野生の思考者たちの系譜」出版社のホームページはこちら
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