一九五〇年代、批評の政治学 書評|佐藤 泉(中央公論新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年1月26日 / 新聞掲載日:2019年1月25日(第3274号)

一九五〇年代、批評の政治学 書評
一九五〇年代批評の可能性を求めて
竹内好、花田清輝、谷川雁、三人の批評家の営為から

一九五〇年代、批評の政治学
著 者:佐藤 泉
出版社:中央公論新社
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 著者が、最初に明らかにしているように、一九五〇年代は、朝鮮戦争やサンフランシスコ講和条約といった政治的・社会的な事件に焦点が当てられることはあっても、それらに関わる、あるいは、あの時代に新しく現れた文化的・思想的な諸問題に対する批評的な営為は忘れられ、「戦後史の落丁」になっている。のみならず、「落丁」となったこと自体をも忘れてきたのが、一九八〇年代以降の現在であろう。

本書の第一の功績は、その落丁となったページを、当時の政治的・社会的状況を踏まえて、それと切り結んだ三人の批評家の営為を明らかにすることで、可能性としての一九五〇年代を検証した点にある。三人の批評家とは、すなわち、竹内好、花田清輝、谷川雁である。

この三人、いまではなかば忘れられているとはいえ、六〇年代においては、個別には問題化され、批判もされた。典型的なのは、吉本隆明の花田批判であろう。吉本は、花田がみずから明らかにした、戦時中にファシスト中野正剛の東方会に属していたということを、あたかも花田の「触れてほしくないアキレス腱」であるかのように言い立て、「ファシスト」呼ばわりしたのである。また、それを真に受けた活動家の学生などは、花田といえばファシスト、でなければスターリニストと切り捨て、竹内好の「国民文学論」なども、それが何をベースに提唱されたかを知ろうともせずに、ただ単純に「国民文学」という言葉に反撥して黙殺したのである。

その意味では、一九五〇年代の花田や竹内の批評的な営為を「忘れ」させたのは、一九六〇年代の高度成長をベースにした社会状況の変化によると同時に、六〇年代後期に顕在化した六〇年代思想が、一九五〇年代批評を過去の遺物のように扱った結果でもある。

著者は、そのような歴史に埋もれた埃を振り払って三人の批評を読んでいくのだが、注目すべきは、三者それぞれの批評の射程を個別に捉えるだけでなく、そこに共通するテーマを掘り起こしていることである。

共通する主題とは、「アジア」と「集団」である。そして、これらは、現実の問題としても、五〇年代初頭に浮上していた。まずアジアは、第二次大戦後のインドシナ半島を中心とする欧米植民地における独立を目指す民族運動として現れており、それが日本の講和条約後の「独立」という問題とも絡んで論議をよんでいた。著者は、雑誌『中央公論』で二度にわたって特集された「アジアのナショナリズム」について、戦前から捻れつつ連続する日本のナショナリズムを視野に入れながら周到な分析をしているが、そのうえで導き出したのは、戦前の日本の「独立」を認めない竹内好が、法的政治的な主権の思想による「独立」ではない「独立」、すなわち「独立」の再発見を目指して文学史の書き換えを求めたという点である。著者は、それが「国民文学論」の課題でもあったとする。

日本の「独立」というテーマは、日米同盟が強化され、米国への従属が深まる現在も問題として俎上にあがるが、そこでの独立は依然として、法的政治的主権による独立のイメージから抜け出ていない。著者が竹内のうちに読み取ったような「独立」の脱構築、「独立」の再発見という問題意識はほとんどないのだ。



一九五〇年代にあって、その後、まったく忘却されているのは、「無名」の人々による集団的な文化運動である。わたしも、本書によって改めて思い出したのだが、「国民文学論」がリアリティを持ち得たのは、そのような「無名」の人々による自立的な文化運動があったからだ。

具体的には、『山びこ学校』に象徴される子どもたちの「生活綴り方」から、女性たちの「生活をつづる会」をはじめとする「生活記録運動」があり、そこでは「集団創作」も行われていたというのだが、「無名」の人々による文化サークル活動は、それにとどまらず「詩を中心にした文学サークル、美術、音楽、演劇、学習会、あるいはただ集まってしゃべるだけの会など多種多様な展開を見せていた」のであり、しかも、そこでは「地域や組合の詩人集団が創り出した詩に、音楽サークルのメンバーが曲を付け、それをコーラスのサークルが歌うという『集団創造』が可能だった」というのである。

竹内、花田、谷川という三者を並べたとき、一貫して「集団」による「共同制作」を主張し、次々と会を組織した花田清輝や、サークル村で実践的な集団創造を展開した谷川雁に較べ、実際には戦前も戦後も中国を対象にした研究会を組織しながら、集団への言及が少ないのが竹内好であった。 

だが、著者によれば、そのような竹内好も、『山びこ学校』や生活記録運動を「人と人との間に個を発見しようとする新しい思想運動」として捉えていたというのである。彼が、そこから汲み取ったことを端的に示しているのが、以下の言葉であろう。

「人は孤立してものを考えるわけにいかない。考えるとは、人と人の関係で、対社会的に考えることである。孤立して考えているように見えても、それは過去の経験の蓄積にたよるか、自分の内部での対話にたよっているのである」(『人と人との間』)

ここには、人は徹底して関係のなかにしか存在しないとして、一貫して「集団創造」を追及した花田と響き合う調べを感じるのだが、と同時に、サークル村での集団創造を巡って発言した谷川雁の以下のような言葉とも共鳴している。

「独白のなかには対話がないと考えるのは対話への過小評価だ。対話は必ずしも対話のかたちをとらなくても存在しうるし、逆に対話の形式をとっていてさえそのなかに存在しない場合もある。いまの日本の悩みは後の場合で,どこにも対話がみつからない、故に対話をうちにもった独白も成立しないという文化全体の不具性の問題だ。それは文学でいえば一種の自己閉鎖性になる」

いわば彼らは、近代的自我を自明の前提であるかのようにして営まれる文学や芸術表現の閉域を、「人と人との関係」「対話」すなわち集団性によって打破しようとしていたのである。




むろん、その後の歴史は、五〇年代に無数にあった「無名」の人々による文化活動を過去のものとして忘れ去るように展開した。それはたんなる自然的な変化などではない。著者は、それをもたらしたのが、第二次世界大戦後の「生産性向上運動」、すなわち「労働者の魂を労働に組み込むことを基軸とする管理方法」にあるとして、「経営者と従業員、従業員とその家族といった『人間関係』、労働者の感性や情動を含めた生の総体が再編の対象となり、それが労働者の『自主管理』レベルを基盤として進められた。この広範な『思想運動』が功を奏し、本格的な高度成長が始まる前夜、すでに労働者は従業員に変容しつつあった」と。

「すでに労働者は従業員に変容しつつあった」というのは、的確かつ、複雑な思いを想起させる言葉だが、一九六〇年代から七〇年代にかけて日本がGNP大国となっていくプロセスは、まさに、「従業員」の「生の総体」を投じた労働の「成果」だったのだ。そこでは、もはや余暇を自発的な文化運動に割く時間はない。

これは卓見であるが、しかし、二〇〇〇年代に入ってからは、事態はもう一回転したように見える。というのは、グローバル経済の進展と産業構造の変化により、非正規の派遣労働が拡大し、一応は正規の労働者であれ簡単にリストラされるという状況が一般的になったからである。つまり、誰もが安心して「従業員」ではいられなくなったのだ。ということはすなわち、花田清輝のいう、プロレタリアートが続々と輩出される事態になったということである。もはや、そこでは、心臓は犬にくれてやらずとも、すでに肉体は物と化しているのではないか。問題は、彼らがいつ、物としての自分の姿に気づくか、ということではあろう。そこに到る段階では、谷川雁の「退職者同盟」を参照すべきかと思うが、いかがなものか。



この労作には、まだまだ読まれるべき箇所があるが、紙数が尽きたので、第二章以下の著者の読みによって示唆を受けた点をあげておく。というのは、花田と谷川雁とが、たんに集団創造に力を注いだというだけでない共通点があることに気付かされたからだ。それは、花田の形式論理批判を通して描いた楕円の思想ともいうべきものと、雁の組織論における「前衛」と「原点」が、二つの焦点を持つ楕円運動として考えられていることとがつながるからである。さらに花田に関しては、吉本が見なかった戦時下の東方会の機関誌『東大陸』に書いた文章群、また谷川雁に関しては、サークル村の活動から、「東洋的共同体」を巡る考察はぜひ読まれるべきである。
この記事の中でご紹介した本
一九五〇年代、批評の政治学/中央公論新社
一九五〇年代、批評の政治学
著 者:佐藤 泉
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「一九五〇年代、批評の政治学」出版社のホームページはこちら
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