黒川 創ロングインタビュ― 鶴見俊輔伝 「不良少年」から「不逞老人」へ 『鶴見俊輔伝』(新潮社)刊行記念|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月1日 / 新聞掲載日:2019年2月1日(第3275号)

黒川 創ロングインタビュ―
鶴見俊輔伝 「不良少年」から「不逞老人」へ
『鶴見俊輔伝』(新潮社)刊行記念

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鶴見俊輔伝(黒川 創)新潮社
鶴見俊輔伝
黒川 創
新潮社
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「もしも、彼という存在がなければ、この社会のありようは、いまとはいくらか違ったものになっていただろうか?」(本書「あとがき」より)。
戦後日本を代表する哲学者・鶴見俊輔が九三歳で亡くなって三年。二〇一八年十一月、作家の黒川創氏による評伝『鶴見俊輔伝』(新潮社)が刊行された。鶴見俊輔は政治家の家の長男として生まれ、その出自との葛藤を経て渡米し、ハーヴァード大学に入学。日米開戦後に敵国人として拘留されるも収容所で大学を卒業し、「戦争が終わるときは、負ける側にいたい」と日米交換船で帰国して敗戦を迎える。戦後、一九四六年に「思想の科学」を都留重人、丸山眞男、武谷三男らと創刊。社会運動にも深くコミットして、戦後リベラル思想の代表的知識人として、「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」や「九条の会」の活動など、社会への働きかけを続け、九三年の生涯を生ききった。本書は公私にわたり半世紀近くを鶴見俊輔の間近で過ごした著者による本格評伝である。鶴見俊輔の思想と態度を形作った家と時代とは、鶴見俊輔が遺した仕事とは、私たちは鶴見俊輔から何を受け取り、引き継いでいくべきか、黒川氏の実体験も含めお話しいただいた。  (編集部)
第1回
未来の新しい読者に向けて

黒川 創氏
――二〇一五年に鶴見俊輔さんが九三歳で亡くなられてから三年。二〇一八年十一月に『鶴見俊輔伝』(新潮社)を刊行されました。黒川さんは鶴見俊輔さんと「思想の科学」の編集に携わり、これまで『鶴見俊輔コレクション』(全四巻、河出書房新社)、『鶴見俊輔さんの仕事』(全五巻、編集グループSURE)や、鶴見俊輔・加藤典洋との共著『日米交換船』(新潮社)、『不逞老人』(聞き手・黒川創、河出書房新社)など、たくさんの鶴見さんに関する本を出してこられました。本書の「あとがき」では、故人を身近に知る人びとが急速に少なくなりつつあるという現実が執筆を促した、と書かれていますが、鶴見さんの評伝を書くにあたり、大正から昭和を経て九三歳で亡くなるまでの平坦ではない長い道のりとその多岐にわたる膨大なお仕事をどのようにまとめようと考えられたのでしょうか。
黒川 
 鶴見さんとは行動をともにする期間が長かったので、お話を聞く機会も多かった。加えて、聞き書きや、著書を編集したりもしてきたので、裏付けを取るために文献なども調べます。そうした積み重ねが下敷きとなって、だんだんと鶴見さんの生涯全般のアウトラインというか、こういうふうに生きてきたのか、という見取り図が自分のなかに育ってきた。

ただし、鶴見さんと僕とは、年齢にして三九歳違うんです。だから、鶴見さんには、もっと年齢の近い、少し年下の親しい知人たちが大勢いた。ベ平連で行動をともにした小田実さん(作家)や吉川勇一さん(市民運動家)、あるいは、それより前、転向研究会や六〇年安保のころから一緒に活動した高畠通敏さん(政治学者)も、そうですよね。そういう方たちは、いつか自分たちの手で鶴見さんのお葬式も挙げるつもりだったと思うんです。ところが、鶴見さんが長生きするあいだに、その人たちが次々と先に亡くなった。そして、気がつくと、高齢の鶴見さんと僕とのあいだにあたる世代に、もうそういう人たちがほとんどいなくなってしまっていた。これは、いよいよ自分が鶴見さんの伝記を書いておかなきゃいけないんじゃないかと、だんだんに感じはじめたということですね。べつに誰と相談したわけでもないのだけれど。

鶴見さん自身は、いろんな談話なども残しているけれど、あの人独特の屈曲した話法、途中を省略したようなものの言い方なども多いので、読んでいて、なんか、あやふやな気持ちのまま置き去りにされるようなところがあるでしょう(笑)。だから、未来の読者に向けて、そういった脈絡をできるだけはっきりさせておく必要があるだろう、ということですね。ただ、どうやったら、それが書けるか。そのスタイルのようなものを鶴見さんが亡くなってからは考えはじめました。
──黒川さんは『新潮』に二〇一七年七月から翌年七月までの一年間、五回にわたって「鶴見俊輔伝」を連載されました。
黒川 そう、一回が四百字詰原稿用紙一五〇枚をメドに、それを五回。実際には、少し短くなった回も、二百枚を越えた回もあったけど、最初にそういう外形を決めておくことにしたんです。際限なく長いものにはしたくなかった。むしろ、ある制限のなかで、何を選びながら書くか、そこを考えていこうということですね。
──以前、本紙の鶴見俊輔さんの追悼対談(二〇一五年九月四日号「追悼鶴見俊輔」)で、小沢信男さんとお話しいただいたとき、黒川さんは「鶴見さんが一番やりたかったのは『思想の科学』だったと思う」とお話しになっていました。戦後、「思想の科学」が創刊される連載第三回(本書第三章「『思想の科学』をつくる時代」)は、鶴見さんの仕事の出発点で、時代状況と併せて初めて知ることも多く、読みどころの一つでした。
黒川 
 「思想の科学」創刊の背景をなす敗戦直後の日本が、連合国軍(実質は米軍)による占領期であるということが重要です。つまり、どういう社会状況だったかを明らかにする必要があった。敗戦直後は、ワーッと雑誌が出た時代なんです。「近代文学」、「世界」、「新日本文学」なども、そうですね。でも、そんな空気はすぐに終わる。占領軍による検閲などもある。この状況での雑誌発行という事業、そこでの苦闘も書かなければいけない。

全体を書きながら考えたことですけれども、七〇年代にベトナム戦争が終わって、八〇年代くらいからあとは、鶴見さんが書いたものなどが本として手に取りやすい状態で残っている。また、二一世紀に入ってからの鶴見さんの晩年の仕事は、われわれが運営している編集グループSUREが一連の本にまとめてきた。それまでのものは、著作集で読めますよね。だから、鶴見さんの書いたものは、ほぼ通覧できる状態になっている。したがって、『鶴見俊輔伝』では、これらのバックグラウンドを明らかにすることに力を注ぐほうがいいだろうと。
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この記事の中でご紹介した本
鶴見俊輔伝/新潮社
鶴見俊輔伝
著 者:黒川 創
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
不逞老人/河出書房新社
不逞老人
著 者:鶴見 俊輔
編集者:黒川 創
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
日米交換船/日米交換船
日米交換船
著 者:鶴見 俊輔、加藤 典洋、黒川 創
出版社:日米交換船
以下のオンライン書店でご購入できます
「日米交換船」出版社のホームページはこちら
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