見事にエモいガールミーツボーイ物語 青木淳悟「憧れの世界」  小佐野彈「車軸」、彩瀬まる「森があふれる」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月3日 / 新聞掲載日:2019年2月1日(第3275号)

見事にエモいガールミーツボーイ物語 青木淳悟「憧れの世界」
小佐野彈「車軸」、彩瀬まる「森があふれる」

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大きなアイドルグループの解散もない。文春砲も鳴らない。政治家の汚職もこれといって目立ったものはない。平成最後の新年ムードは静かに終わりを告げていった(一月二四日現在)。

平成において、エポックメイキングとなった年のひとつは、一九九五年だろう。青木淳悟の「憧れの世界」(『文學界』)はその年の前後に、高校受験を迎える一人の都心から離れたニュータウンに住む少女が主人公だ。彼女には、夢がない。そのことに、戸惑う。夢がないことは、先へ、一つ上の階段を登ることができないことではないのか。作品は、浮遊するドローンのような視点で、彼女が夢を見つけられないことの葛藤を映し出す。その技術は卓越したものだ。しかし、従来の同作者の小説と異なるのは、この作品においては、物語への信頼度がいつにも増して高いことだ。青木淳悟が、その巧みな技法を駆使して、見事にエモいガールミーツボーイストーリーを書くとは! 作者は最後、少女に涙を流させる。その雫は、憧れるということの尊さを、そっと、告げるものだ。ちなみに本作はジブリの『耳をすませば』が下敷きにされている。その助けもあって、青木淳悟は高く飛翔した。

人と人の関係性とは友情とか恋愛とかだけで語れるものではないと、示して見せたのは小佐野彈「車軸」(『すばる』)だ。大学生の真奈美は、潤というゲイの手招きを経て、ホスト通いに狂いはじめる。彼女は、そこで一人のホストを見初める。彼にずぶずぶにはまる彼女は、一夜にして数十万もの大金を使いまくる。けれど、やがて彼女は気づく。ホストクラブで見つけた関係性は、一対一の単純なものではない、と。このホストを通じて、彼女は潤とつながりたい欲望に駆られる。そしてことを実行に移す。その前半までのストーリーテリングは、新宿という街の欲望を描出しつつ、そのなかでヘドロのような三者の実存を描き切ることに成功している。しかし、この小説の弱点は後半にある。物語の鍵となるのは、それぞれが抱える「血のコンプレックス」だ。語り手はいう、「潤もまた、血のコンプレックスと共に生きてきたはずだ」と。「はずだ」、という確信のなさが物語に影響してしまっている。つまり、それぞれの「血のコンプレックス」を作者が確かな手応えをもって読者に提示しきれていないのだ。そのため物語が音を立てて瓦解していく。そこが、惜しい。

彩瀬まる「森があふれる」(『文藝』)は妻が森になる話だ。何を言っているのかわからないかもしれないが、妻がひとつの樹木になり、やがて森へと化すのである。中堅作家の埜渡徹也の不倫が原因で、妻は「種」を食べる。それから「発芽」が起こるのだが、そこに巻き込まれる、5人の人物それぞれの個の振る舞いから浮かび上がるのは、男女の間にある無視できない大きな壁だ。男は身勝手に振る舞う。女性は理解を得ようと試みる。その虚無感が「肉体の物理的な破壊」によって現前化される。意欲作である。

それ以外には、藤野可織「助けて」(『新潮』、全方向からもたらされる女性の絶望と慄きをホラー仕立てにして描いている)とリービ英雄「西の蔵の声」(『群像』、エクリチュールのなかから多様な声が響き渡る、そのざわめきに思わず手が震えた)が、エッセイではリン・ディン「カワイイ、灰色の日本」(『新潮』、エキゾティシズムだけでとらえない冷徹かつシニカルな眼差しに比較文化論の新たな地平が見えた。また、文体も良い)が印象に残った。

最後にすばるクリティーク賞について。今回受賞者の赤井浩太の文体が評価され、前回受賞者の近本洋一の文体が評価されないのは何故かという声を耳にするが、それは前者の方が批評の可能性を刷新しているからである。批評は常に新たな可能性を模索しなければならない。彼はそれをやってみせている。その上で言うならば、群れるな、孤高であれ、エゴサはするな。だから、論文冒頭の引用は余計だ。
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